女傑の騎士

 トリトマの森から十分ほど歩いたところにある王城。そびえ立つ白妙しろたえの外壁に緑色の屋根を持った尖塔せんとうが連なり、壮麗な外観を呈している。門や城壁の周りでは、騎士たちがきびきびとした足取りで警護に当たり、部外者の侵入を防ぐべく目を光らせている。また、城内にも無数の騎士が配置され、鋭い眼を方々に向けながら大股で廊下を闊歩かっぽしている。


 そんな重厚な警備の敷かれた王城の最上階に王の間はある。床には深紅の絨毯が敷かれ、壁際には白い柱が等間隔に並んでいる。柱の上方にはペチュニアの花を生けたスワッグが飾られ、室内の雰囲気を華やいだものにしている。奥の壁は一面が窓になっており、窓の両側にはユリを生けた花瓶が置かれ、室内にかぐわしさを立ち込めさせている。


 その王の間には今、二人の人物がいた。一人は玉座に腰かける男。皺の目立つ顔や、長い顎髭が白くなっている点からして年齢は六十歳を超えているのだろう。大柄な体躯に緋色のガウンをまとい、頭には花の紋章を模った金色の王冠を乗せている。


 彼の名はゼラ・フリードリヒ・ニヘルム。エーデルワイス王国の十三代目国王である。玉座に鎮座するその風体はいかにも国王然としているが、一方で薄くなった頭髪や、気弱げに眉を下げた表情はどこかくたびれて見える。


 そして玉座の隣にはもう一人女性が立っている。身体のラインに沿った紫紺しこん色のドレスを着ているが、ドレスの上からでもわかるほどに腰はくびれ、豊満な胸のラインが際立っている。紫色の髪は渦巻き状にアップにされ、白く細い首を剥き出しにした姿がまた艶めかしい。肌は皺一つなく艶やかで、加齢による衰えを一切感じさせない。


 彼女の名はカトレア・ヴィルヘルミーナ・ニヘルム。ゼラの正妻にして、このエーデルワイス王国の女王である。外見からでは年齢はわからないが、若い女に負けないほどの色香を漂わせていることは確かだ。


 そんな二人の待つ王の間の扉が、不意に重々しい音を立てて開かれた。扉の番をしていた騎士が脇に退き、その間から別の騎士が現れる。白い鎧に翠色みどりいろの長い髪をなびかせて歩くのは、先ほど森で盗賊を退治した『翠色すいしょくの騎士』だ。


 翠色の騎士は王の間に足を踏み入れると、ゼラとカトレアそれぞれに向かって腰を折ってお辞儀をした。ゼラがそれを見てゆっくりと頷く。


「オリヴィエか。時間を取らせてすまぬが、ひとまず我が面前まで来てくれるか?」 


 オリヴィエと呼ばれた騎士が顔を上げた。硬い表情で頷くと、大股で玉座の前まで歩いていく。ゼラの眼前まで来たところでオリヴィエは膝を折ってかしずいた。


「グラジオからおおよその話は聞いておる」ゼラが言った。「何でも、森に現れた賊を退治したそうだな」


「はい。遺骸の運搬もすでに済ませ、先ほど共同墓地に葬ったところです」オリヴィエが答えた。


「そうか。ご苦労であったな。お前の活躍はかねてから聞き及んでおる。お前は我が『花騎士団』の中でも白眉はくびと呼べる存在で、このエーデルワイス王国の平和が保たれているのはお前の力ゆえと言っても過言ではない。その功績に対し、一言礼を申し述べたいと思ってな。グラジオに頼んで、時間を取ってもらったのじゃ」


 ゼラがゆっくりと言った。グラジオは花騎士団の隊長を務める男で、各騎士の仕事ぶりについて、ゼラは彼から日々報告を受けている。そんな中でもオリヴィエの活躍は目覚ましいもので、グラジオも彼女のことを逸材だと言って褒め称えていた。だからゼラも彼女に注目し、直に話をしたいと思ってこうして呼びつけたというわけだ。


「陛下直々にお褒めのお言葉をたまわるとは……幸甚こうじんの至りでございます」オリヴィエが深々と頭を下げた。

「ですが、私は騎士としての職務を果たしたまでのこと。このエーデルワイス王国の平和を脅かす輩に鉄槌てっついを下す。それが騎士としての務めです」


 ゼラは意外そうに目を瞬いた。ゼラが騎士を呼び出して彼らの功績を湛えたことは今までにもあった。彼らはみな謙遜したものの、それでも滲み出る喜びを隠しきれずにいた。それなのに、今目の前にいる女騎士は無表情で、喜びを表すどころかむしろ感情を抑えつけているように見える。


「ふうん……。噂どおりストイックなのね、あなた」


 口を挟んだのはカトレアだった。人差し指を口元に当て、興味深そうにオリヴィエを眺めている。


「あなた、女性なのに騎士団の中でも実力はトップクラスなんでしょう? もっと自慢したってよさそうなのに、全然それを鼻にかけないで、逆に誰よりも長く訓練に励んでるそうじゃない。そういうところが格好いいって、侍女たちがいつも噂してるわよ」


「騎士を拝命した以上、性別などは関係ありません。私は職務を遂行するために全力を尽くす。そのために訓練を積むのは当然のことです」


 オリヴィエの口調はあくまで淡々としている。それを見てカトレアは婀娜あだっぽく笑った。


「ふうん……。あなた、なかなかいいわね。その辺りの男よりもよっぽど男らしいわ。あなたが男に生まれなかったのが残念だわ」


 カトレアが悩ましげにため息をつく。オリヴィエは何も言わなかったが、唇を引き結んだその表情は、先ほどとは少し違って見えた。


「とにかく、お前の功績はよくわかった」ゼラが咳払いをして話を戻した。

「お前は我が花騎士団の中でも穎脱えいだつした実力の持ち主。それに相応しい待遇を与えるよう、グラジオに取り計らっておくことにしよう。騎士団にはこれから戻るのか?」


「はい。陛下のご用命が終わり次第戻るとお伝えしています」


「そうか。では長く引き留めるのも悪い。もう行ってよいぞ」


「承知いたしました。それでは失礼いたします」


 オリヴィエはそう言って立ち上がると、国王と女王それぞれに向けて腰を折ってお辞儀をした。きびすを返して歩いていき、両扉を開けて部屋を出て行く。


「……ふふ、噂どおり素敵な子ね」


 オリヴィエが出て行った扉を見つめながら、カトレアがうっとりと言った。


「あれだけ綺麗な顔をして、おまけに強くて勇ましいなんて……思わず欲しくなっちゃったわ。あの子が男じゃないのが本当に残念」


 カトレアが頬に手を当ててため息をつく。それを見たゼラが眉をひそめた。


「カトレア……。その辺りにしておけ。あまり色目を使ってもオリヴィエが困るだけだ」

「あら、色目だなんて心外ね。私はあの子が素敵だって言ってるだけよ。別に部屋にお誘いしようなんて思ってないわ」


 カトレアが気分を害したようにつんと顎を上げた。彼女が好色な発言をするのは今に始まったことではない。好みの騎士を見つけては、夜な夜な部屋に招いているという噂をゼラは何度も聞いていたが、気づかない振りをした。自分が老いさらばえてしまった今では、妻が奔放な真似をするのも致し方ないと思っていたのだ。


「……だが、騎士団での立ち位置は危ういだろうな」ゼラが物憂げに言った。

「女が騎士をしているというだけでも眉を顰める者が多い世の中だ。それであの性格と実力となれば、他の騎士から顰蹙ひんしゅくを買うことは免れんだろう」


 花騎士団は、世間的には高潔な精神を持った騎士の集まりと言われている。だが、実態は噂とは乖離かいりしていて、昔ながらの男尊女卑的な思考が蔓延はびこっていると聞く。そんな騎士団の中でオリヴィエがどのような立場に置かれているか、想像に余りあった。


「そう……。あの子も可哀そうね。男社会の中で、たった一人で生きていかなければいけないなんて……」カトレアが同情するように言った。

「あんなに綺麗な顔をしているんだから、普通に女として生きたとしても幸せになれたでしょうに、どうしてあの子の親はあの子を騎士にしたのかしら?」


「そこはオリヴィエの家系の方針のようだ。オリヴィエの家からは代々騎士が輩出されている。産まれた子が女だからと言って騎士にしないという選択はなかったのだろう。唯一の救いは、オリヴィエ自身が騎士であることに不満を抱いていないことだな」


「そうね……。あの子は騎士であることに誇りを持っているみたいだし、実際に活躍してくれている。あの子が騎士として生きることを望んでいるのなら、部外者が同情するのは失礼ね」


 夫婦の会話はそこで途切れた。それぞれがオリヴィエの境遇に思いを馳せ、彼女が置かれた運命の過酷さに対して憐憫れんびんを寄せている。


 だが、そんな二人でも、王の間を出て行く直前のオリヴィエの変化には気づかなかった。最後まで謹厳な態度を崩さなかった彼女が、内心ひどく動揺していたこと。そしてそれを気取られまいとして、籠手ガントレットの内側で震える拳を必死に握り締めていたことは、二人とも知る由もなかったのだ。

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