緑風のヴァルキリア

瑞樹(小原瑞樹)

第一部 花の王国

第一章 剣を携えし君の名は

穢された森

 白い花弁が特徴的な花、エーデルワイス。その名を冠したとある王国が存在する。


 花の名を冠するとおり、その国には多種多様な花が咲き乱れ、人々は生まれた時から花に囲まれ、花と共に生きてきた。


 王国には、国王召し抱えの騎士団がある。それは『花騎士団はなきしだん』と呼ばれ、高潔な精神を持った騎士たちが属し、王国の平和を守ってきた。


 その花騎士団の中に、一人の美しい騎士がいた。翠色みどりいろの髪を持つその騎士は、髪をなびかせて戦う姿から、『翠色すいしょくの騎士』と呼ばれていた。


 これは、『翠色の騎士』と、騎士を取り巻く人々にまつわる物語である――。






 エーデルワイス王国の中心部にあるトリトマの森。そこからは白い外壁に囲まれた王城が見え、新緑の木々と相まって美しいコントラストを成している。木々の足元には色とりどりの花が咲き誇り、鮮やかな色の羽を持った蝶がその間を飛び交っている。深閑とした空気が辺りを包み込み、木々が立てる葉擦れの音や、小鳥の可愛らしいさえずり以外には何も聞こえない。その光景は平穏そのもので、花も蝶も小鳥も、自分達が脅かされることなど露ほども想像していないように見えた。


 だが、そんな心地よい静寂を破るような声が突如として森に響いた。


「助けてくれ!」


 それは男の声だった。驚いた小鳥たちがばさばさと枝から飛び去っていく。次いで灌木かんぼくががそごそと揺れる音が聞こえ、その間から一人の男が血相を変えて現れた。それは小柄な中年の男で、大きな包みを両手でしっかり抱え、転がるようにして木々の間を駆け抜けていく。


 その後ろからすぐに別の男が現れる。身体は中年の男の二倍ほどの大きさがあり、手には斧を握り締めている。筋骨隆々とした上半身に直に防具を身に着けた様はいかにも屈強そうで、荒くれ者の雰囲気を醸し出している。


 大男は顔に薄笑いを浮かべながら、執拗に中年の男を追いかけて行く。途中でいくつもの花を踏み潰したが大男は気にも留めていない。中年の男は息を切らして追っ手から逃れようとしたが、そこで突起になった木の根につまづいて地面に倒れ込んだ。衝撃で包みが投げ出され、紐が解けて中身が飛び散る。金貨や銀貨、それに紙幣が空を舞い、それを見た大男は口の端を持ち上げてにやりと笑った。


「へっ。思った通り、たんまり金を持ってやがったな。待ち伏せした甲斐があったぜ」 


 大男は舌なめずりをしながら言うと、じりじりと中年の男に近づいて行く。それを見た中年の男が怯えた顔で叫んだ。


「お……お願いです! 命だけは助けてください! 売上金は全て差し上げますから……!」


 中年の男は土下座して男に許しを乞う。どうやらこの男は商人のようだ。だが、大男は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「はっ。もう遅ぇよ。最初から大人しく金を渡しゃあ見逃してやってもよかったが、お前、俺が金をよこせって言った時、何て言ったか覚えてるか? 『これは私が汗水垂らして稼いだお金。お前のような薄汚い盗賊に渡すわけにはない!』って言ったんだぜ。

 ……天下の盗賊サマが、薄汚いなんて言われて黙ってるわけにはいかねぇよなぁ?」 


 大男――いや盗賊は意地の悪い笑みを浮かべて言った。斧を握り直し、商人の男目がけて斧を大きく振りかぶる。商人の男はひっと声を漏らし、頭を抱えてその場にうずくまった。


 その時だった。ひゅっと風を斬るような音がしたかと思うと、次いで何か硬いものがぶつかるような音がした。商人の男がそろそろと顔を上げると、自分の前に誰かが立ちはだかっていた。それは白い鎧をまとった騎士で、その手に握られた剣が盗賊の斧を受け止めている。


「な……何だてめぇは!?」


 盗賊がうろたえた様子で叫んだ。力任せに斧を押して騎士を押しのけようとするが、騎士はびくともせず、無言のまま盗賊を見据えている。兜を着けているので表情は見えない。


「ちっ、こんなとこで花騎士に遭っちまうとはな。だが騎士の一人くらい、すぐにぶっ倒してやるぜ!」


 盗賊は口の端を持ち上げて言うと、斧を下ろして騎士から一旦距離を取った。騎士も剣を下ろして盗賊を見返す。商人の男は地面に尻もちをついた格好で、不安げに二人の間で視線を交わしている。


 先に動いたのは盗賊の方だった。唸り声を上げながら両手で斧を振りかぶり、騎士の兜目がけて振り下ろそうとする。だが騎士は剣で素早く攻撃を受け止め、軽く腕を振るって盗賊を払い除けた。盗賊は舌打ちをし、今度は騎士の身体を狙ったが、騎士は少し脇に避けただけであっさりと攻撃をかわした。その後も盗賊は狙う位置を変えながら何度も攻撃を仕掛けたが、そのたびに騎士は避けたり受け止めたりして攻撃は一向に当たる気配はない。


「ちくしょう……。どうなっていやがる? さっきから掠りもしねぇ……」


 盗賊が肩で息をしながら呟いた。何度攻撃を仕掛けてもいなされるので、まるで自分が騎士に遊ばれているような気分になってくる。最初は余裕のあった表情には今や焦りと苛立ちが浮かび、盗賊は忌々しげに騎士を睨みつけた。


 その時、ずっと黙りこくっていた騎士がおもむろに口を開いた。


「……虚仮威こけおどしだな」

「何?」


 盗賊が目をすがめた。兜をつけているせいで騎士の声はくぐもっている。騎士は続けた。


「貴様はいかにも強者の風体を装ってはいるが、中身は遊具を手にした幼児も同じだ。勢いに任せて武器を振るうばかりで、攻撃は大雑把で隙が多い。仮にも盗賊を自称していながら、その程度の実力しか持たぬとは……底の浅さが露見したな」


「何だと!?」


 盗賊が目を剥いて叫んだ。侮辱されて顔が真っ赤になり、斧を握る手が震え始める。


「てめぇ……よくも俺を怒らせやがったな。すぐに吠え面かかせてやる!」


 男は歯を剥いて叫ぶと、怒声を上げて騎士に飛びかかった。商人の男がひいっと声を上げて仰け反る。だが騎士は怯まなかった。


「怒りに身を任せて攻撃を仕掛けるか……。やはり児戯じぎだな」


 盗賊の斧が騎士目がけてまっすぐに振り下ろされるが、騎士は避ける素振りを見せない。両手ですっと剣を持ち上げ、冷厳な目で盗賊を見返す。


 次の瞬間、金属がぶつかり合う音がして、次いで何かがどさりと地面に倒れる音がした。手で顔を覆っていた商人の男は恐る恐る手を顔から外した。盗賊の男が地面に仰向けに倒れている。斧は遠くに弾き飛ばされ、盗賊の腹部からは血が流れ出している。


「な……何だ? 何が起こった?」


 盗賊が目を白黒させながら叫んだ。そこへ騎士がつかつかと盗賊の方へ近づいて行き、彼の傍に立ってその身体を見下ろした。騎士の持つ剣からは血が滴り落ちている。どうやら盗賊の攻撃を受ける直前、騎士の刃が彼の腹を切り裂いたようだ。


 盗賊は苦々しげに騎士の顔を睨みつけたが、そこで初めて、騎士の額当てと面頬めんぼおの間から覗く瞳がはっきりと見えた。涼やかな水色の瞳。その間に前髪がはらりと落ちる。その瞬間、盗賊ははっと息を呑んで恐怖に顔を引きつらせた。


「お前……まさか、『翠色すいしょくの騎士』か?」


 騎士は答えなかった。無言で剣を構え直し、盗賊に止めをさそうとする。盗賊は素早く起き上がると、地面に頭を擦りつけた。


「た……頼む! 見逃してくれ! もう二度と盗みなんかしねぇって約束する! だから命だけは助けてくれ!」


 突然態度を変えた盗賊を、商人の男は不思議そうに見つめた。だが騎士は無情だった。


「この期に及んで命乞いとは……最後まで見苦しい男だ。貴様の腐った魂は、この森が浄化してくれる」


 騎士は冷ややかに言って剣を掲げた。盗賊の目が恐怖に見開かれる。


「森を荒らす悪しき盗賊よ……。花のひつぎで眠るがいい!」


 騎士は語気を強めて言うと、迷いなく剣を振り下ろした。剣は盗賊の腹部に突き刺さり、盗賊の口から呻吟しんぎんが漏れる。だが間もなくそれも聞こえなくなり、盗賊は口から泡を吹いてがっくりと首を横に垂れた。


 騎士は動かなくなった盗賊を無言で見つめていたが、やがて静かに腹部から剣を引き抜いた。刃先に付いた血を腰に巻いた布で払い、鞘に納める。


「あ、あの……」


 後ろから声がして騎士は振り返った。中年の男が腰を上げ、おずおずと自分の方に近づいてくる。


「助けていただいてありがとうございました。私はこの近くの街で商売をしているんですが、よその街へ行商に行った帰りにあの盗賊に襲われたんです。本当に危ないところでした。あなたがいなかったらどうなっていたことか……」


 商人の男は何度も平身低頭して礼を言う。だが騎士はかぶりを振って言った。


「大したことはしていません。それよりも早く街に戻った方がいい。いつ別の賊が現れるかわかりませんので」


「ええ、そうします。本当にありがとうございました」


 商人の男はへこへこと頭を下げると、地面に散らばった金貨や紙幣をかき集め、早足で森の中へと姿を消した。騎士は彼の姿を見送った後、倒れている盗賊の方に視線を移した。盗賊の腹部からは血が流れ続けており、足元の花が鮮血に染まっている。


「……すまないな。お前達をけがしてしまって」


 騎士は悲しげに呟いて花の傍に屈み込んだ。目を細め、籠手ガントレットの指先で労わるように花弁を撫でる。


 騎士はしばらく花を見つめていたが、やがておもむろに立ち上がると、兜に両手をかけてゆっくりとそれを取り払った。兜に覆われていた髪がはらりと舞う。


 そうして現れたのは、腰まで伸びた翠色みどりいろの髪を持つ、一人の女性の姿だった。

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