伯爵家の矜持
その後、依頼の詳細について聞くため、オリヴィエとリアはベロニカの馬車に乗って彼女の屋敷へと招待された。
屋敷は馬車を二十分ほど走らせたところにあり、黄色い煉瓦の壁に黒い屋根瓦を使った立派な外観をしていた。
だが、煉瓦はよく見るとところどころ腐食しており、蔦が幾重にも壁に絡みついているせいで廃屋敷のように見えた。柱や窓には繊細なレリーフが施されていたが、風雨に晒されたせいか色褪せ、おまけに一部が欠損して意匠が台無しになっていた。
屋敷に併設された庭園は、かつては季節の花が咲き誇る美しい花園だったのだろうが、今は雑草が伸び放題になった密林と化している。庭師に
出迎えの召使いはいなかったので、ベロニカが自分で玄関の扉を開けてオリヴィエとリアを室内に通した。
屋敷の内部も外と同じように廃れていて、元々の材質こそ立派であるものの、絨毯は擦り切れ、家具はどれも損傷が目立つ有様だった。壁の一部が四角く変色しているのは肖像画でもかけられていたのだろうか。今は一枚も絵が飾られていないところを見ると売りに出してしまったのかもしれない。かつては伯爵家の歴代当主の顔が並んでいたであろう場所ががらんどうと化している光景は何とも侘しかった。
一番奥にある応接室にオリヴィエ達を案内した後、ベロニカは自分でティーセットの乗ったワゴンを運んできて三人分の紅茶を入れた。ポットからカップに紅茶を注ぐ手つきは慣れたものだった。すでに何年も自分で身の回りの世話をしてきたのだろう。
「それで、私に依頼したいこととは何です? 確か荷運びとお聞きしましたが」
紅茶を飲んで人心地ついたところで、オリヴィエが向かいのソファーに座るベロニカに尋ねた。
ベロニカは紅茶を一口だけ飲んだ後、膝の上に両手を乗せて話し始めた。
「依頼というのは宝飾品の運搬ですわ。主人が懇意にしていた宝石商の方が付近の街にいらっしゃるので、品物を売って代金を持ち帰っていただきたいのです」
「なるほど。その街はここからどのくらいかかるのですか?」
「馬車であれば二日で到着できます。馬を飛ばせば一日でも着くと思いますわ」
「積み荷の量はどの程度おありで?」
「小さなものばかりですから、馬一匹でも十分運べる量だと思いますわ」
「では馬車を使う必要はなさそうですね。宝飾品はどちらに?」
「こちらの宝石箱にしまってございますわ」
ベロニカが紅茶を脇に避け、代わりに隅に置いていた小型の箱をオリヴィエ達の前に出す。蓋を開けると、大きな宝石をあしらったネックレスやイヤリングが目に入った。寂れた屋敷の中で大粒のダイヤやらアメジストやらが
「これは母から譲り受けたものです」ベロニカが言った。
「ロンギフォリア家の令嬢に代々受け継がれてきたもので、婚礼の儀を行う際に身に付けることになっています。最後に付けたのは結婚十五周年目のパーティーだったかしら……。あの頃は召使いも大勢いて、屋敷ももっと賑わっていたのですけれど……」
「つまり思い出の品というわけですか。手放すのは断腸の思いでしょうね」
「ええ……これは母の形見でもありますから、できれば最後まで取っておきたかったのですけれど、何せ資産が枯渇していますので、これを売るより他に屋敷を維持する方法はないのです。他に値が付きそうなものは売ってしまいましたし……」
「あの……差し出がましいようですけれど、お屋敷を手放すことはできませんの?」リアがそっと口を挟んだ。
「これだけ立派なお屋敷であれば、他の貴族様がお求めになるかもしれません。お屋敷を売ってもっと小さな家に引っ越せば、暮らしも楽になると思うのですけれど……」
「ええ、その方が賢明なのはわかっておりますわ」ベロニカが頷いた。「でもあたくし、たとえこの屋敷と心中することになったとしても、屋敷を手放す気はありませんのよ」
「どうしてですの?」
リアが小首を傾げて訪ねる。ベロニカはカップに手を添えたが紅茶を飲もうとはせず、視線を落としたまま憂わしげに言った。
「そうですね……。伯爵家の矜持、とでも申しましょうか。この屋敷を守り抜くことは、残されたロンギフォリア家の者としての使命だと考えているのですわ。
ロンギフォリア家は初代当主の頃からこの屋敷に住み、領主として辺り一帯を治めてきました。今は土地も全て売りに出してしまいましたけれど、それでも屋敷だけは手放す気になれませんでした。
この屋敷には、ロンギフォリア家の歴史が何代にもわたって眠っています。今はこの通り零落していても、屋敷に身を置いてさえいれば、かつての栄華の薫りをわずかでも感じ取ることができる……。そして、何らかの幸運に恵まれて再び一家が栄えることになれば、この屋敷を拠点として、ロンギフォリア家の新たな歴史を紡いでいくことができるかもしれない……。
それを思うと、たとえ懐を痛めることになったとしても屋敷を手放す気にはなれないのですわ。もっとも、他の方からすれば愚策としか思えないのでしょうけれどね」
ベロニカが寂しげに微笑み、カップを持ち上げて紅茶を一口だけ飲んだ。テーブルには角砂糖入りの小瓶もミルクの入ったポットも置かれていない。きっと何年も切らしているのだろう。夫人の紅茶はさぞ苦い味がするのだろうとオリヴィエは思った。
リアは気まずそうに顔を俯け、自分も両手でカップを持って紅茶を飲んだが、その実少しも美味しそうではなかった。
オリヴィエ自身は紅茶に手を付ける気にすらなれなかった。単に味の問題ではなく、この未亡人の境遇が哀れに過ぎてティータイムを楽しむ気になれなかったのだ。
だが、ベロニカは不遇な状況にも負けず、伯爵家を守るために一人貧苦に耐えている。そんな彼女の清貧さにオリヴィエは敬意を払いたくなった。レオポルトやグロキシニアの息子とは違い、彼女は真に
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