凋落の一族

「失礼……。あなたは夫を亡くされているのですか?」


 オリヴィエがベロニカに尋ねる。ベロニカは扇で口元を隠し、憂鬱そうに頷いた。


「ええ……。そうですの。五年前に疫病えきびょうにかかりまして、そのまま帰らぬ身に……」。


「……それはお気の毒です。今はお一人で?」


「ええ……。でも、独り身になってからの生活は楽ではありませんでしたわ。子どもはいないので養育の心配はなかったのですが、金銭面で苦労していて……」


「金銭面で? ですがあなたは伯爵夫人なのでしょう? 旦那様の遺産を多数相続しているものと推察しますが」


「それが……夫は賭け事が趣味だったようで、多方面に借金を作っていたことが死後に判明したのです。高額な利子もあって返済額は膨れ上がり、全てを払い終えた時には遺産はおろか、家全体の資産もほとんど残っていないような状態に……」


「それにしても無一文というわけではないでしょう。現に今も立派なお召し物を身に着けておられる」


「これは昔の衣装ですわ。今はドレスを新調する余裕もなく、外出時に着るものが他にないのです」


 つまり夫の死後、彼女は没落貴族になったということだ。そういう目で改めてベロニカを見ると、顔には化粧では隠しきれない疲れがにじんでおり、ドレスも色褪せや細部のほつれが目立った。落ちぶれた身の上を恥じているのか、口調まで当初よりもしおらしくなっている。


「では、私に依頼をなさろうとしたのも、他に頼る人間がいないからなのですか?」


「ええ……。使用人に支払うお給金もありませんから、ほとんどの者に暇を出しております。今残っているのはブルーノくらいですが、彼のような老齢の者に危険な仕事を担わせることはできません。腕利きの御仁を雇おうにも報酬を支払うだけの余裕もなく……困り果てていたところであなたの噂を耳にしたのです。

 聞けばあなたは誇り高き騎士様とのこと。あなたであれば、報酬の多寡にかかわらず、哀れな未亡人を助けてくださるのではないかと考えたのですわ」


 なるほど。ようやく話が見えてきた。このベロニカという伯爵夫人は夫に先立たれた挙句、借金の返済に追われて家は没落の一途を辿っている。使用人を雇う余裕もなくなり、残されたのは年老いた御者ただ一人。金もなく、頼れる人間もいない状況で、彼女はわらにもすがる思いで赤の他人である自分の手を借りようとした。

 にもかかわらずオリヴィエは街におらず、知らせを聞いたベロニカは絶望したことだろう。そこへ今回の邂逅かいこうが起こり、ベロニカは渡りに船といった心境になったに違いない。そうした事情を知ると、オリヴィエは彼女の申し出をしりぞけることが人道にもとるような気がしてきた。


「騎士様……どうなさいます?」


 リアが静かに尋ねてくる。彼女もベロニカの境遇を不憫に思ったのだろう。眉を下げた表情には同情の色があった。

 オリヴィエは少し考えてから答えた。


「そうだな……。ただの依頼であれば断ったところだが、騎士である私が頼られているとなれば話は別だ。この依頼、お引き受けいたしましょう」


「まぁ……なんて有り難い」ベロニカが胸に手を当てる。

「でも、お二人は先をお急ぎではありませんの? 言い出しておいてなんですけれど、あたくしのためにお手をわずらわせてしまうのは何だか申し訳ないですわ」


「私のことはお気にならさず。私は騎士としてあなたを扶翼ふよくしたいと考えただけですから」


「まぁ……光栄ですわ。あたくしのような哀れな未亡人に手を差し伸べてくださるなんて、あなたは本当に高邁こうまいな騎士様でいらっしゃいますのね……」


 ベロニカが感極まった調子で言い、馬車から手を伸ばしてオリヴィエの手にそっと触れる。やや芝居がかった仕草ではあったが、それだけ感動の度合いが大きかったのだろう。手袋をめていない手は皺んでいる上にひびとあかぎれだらけで、老いた未亡人の辛苦を物語っているように思えた。

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