賊の正体

「事情はわかりました。ところで、その任は危険を伴うものとお聞きしましたが、具体的にはどのような危険が?」


 オリヴィエが話を戻そうと尋ねる。ベロニカは再び俯いて話し始めた。


「実は……その街に行くまでの道に盗賊が出るという噂があるのです。知り合いの貴族も何人か積み荷を奪われたようで、ブルーノ一人で向かわせるのは危険かと……」


「盗賊……ですか。確かにご老人に適した任とは言えませんね」


「ええ……それにあたくし、彼を失うわけにはいきませんの。彼がいなくなったら、あたくしは本当に生きていけなくなってしまいますから……」


「彼は屋敷に残っている唯一の使用人というお話でしたね。ただ、あなたへの不遜な態度は、使用人として相応しいものとは思えませんでしたが」


「それは……仕方がないのですわ。彼は元々あのような性格なのですから。でも、あたくしには本当によく仕えてくださっていますのよ。今だってまともなお給金も払えていないのに、屋敷内の清掃や調理まで手伝ってもらっているのですから」


「あら、意外ですわね。あの方はもっと頑迷な方かと思っていましたけれど」リアが目を丸くした。


「ブルーノは口が悪いだけで、心根は優しい人間なのです。彼がいてくれなかったら、あたくしはすぐに挫けて主人の後を追っていたかもしれませんわ」


 そう言って微笑んだベロニカの表情は優しげで、心からブルーノを頼りにしていることが窺えた。

 確かに思い返せば、ベロニカの依頼を断った時に自分を引き留めてきたのもブルーノだった。女主人の窮状を見かねて口を挟まずにはいられなかったのだろう。この二人は見た目よりも固い信頼で結ばれているのかもしれないとオリヴィエは考えた。


「依頼の内容はわかりました。ご老人を賊の脅威に晒すのは忍びないですから、街へは私が馬を走らせて一人で向かうことにしましょう」


「それがよろしいと思いますわ。もし御入り用であれば馬をお貸ししましょうか?」


「いえ、結構。ブレットに乗っていきます」


「あぁ、そういえばあなたは立派な馬をお持ちでしたわね。うちの老馬と交換してほしいくらいですわ。……もちろん冗談ですけれど」


 ブレットはベロニカの馬車を引いていた馬と一緒に厩舎に入れられている。今はブルーノが世話をしてくれているはずだ。

 痩せ衰えたベロニカの馬を思い出しながらオリヴィエは続けた。


「それと……これはお願いなのですが、依頼の間、彼女の身を預かってはいただけませんか?」隣に座るリアの方を見る。

「彼女は私と違い、ごく普通の女性です。同行させて賊との乱闘に巻き込むことは避けたい」


「もちろん構いませんわ。部屋の数だけはありますから、一番いいお部屋をご用意いたします」


「まぁ……そんな、申し訳ないですわ」リアが首を横に振る。

「私は別に物置でも構いませんし、それに……その、できれば騎士様と一緒に……」


「リア。これはお前のためなんだ」オリヴィエが諭すように言った。

「万が一お前に怪我をさせるようなことがあってはマルコさんに合わせる顔がない。知らない家で気を遣うだろうが、辛抱してくれ」


 リアは不服そうに眉根を寄せていたが、やがて黙って頷いた。オリヴィエも頷いてベロニカの方に向き直る。


「ところで、盗賊についての情報はご存知ですか? 負け戦をするつもりは毛頭ありませんが、できるだけ事前に情報を仕入れておきたいのです」


 思い出すのは、いつかトリトマの森で商人を襲っていた盗賊だ。筋骨隆々の裸体に直に防具を身につけ、いかにも兇漢きょうかんという風体をしていた。だから今回の盗賊も似たような輩だと考えていたのだが、ベロニカの口から出たのは意外な言葉だった。


「私も詳しくは存じません。聞くところによると、鎧を着た三人組だそうです」


「鎧?」


「ええ……ですから知り合いの貴族も、最初は騎士団の方だと思って気に留めなかったそうです。そうしたら相手が剣を向けてきたので、恐怖で卒倒しそうになったと……」


 つまり盗賊は騎士ということだろうか。金騎士団の一部の人間が暴挙を働いているのか、それとも全く別の騎士か。いずれにしても、同じ騎士として看過できない事態だ。


「それで……どうでしょう? 依頼を引き受けていただけますか?」


 ベロニカが上目遣いに尋ねてくる。オリヴィエは数秒考えてから頷いた。


「ええ。屋敷に参じた時点でお引き受けする腹積もりはできておりましたが、賊の正体が騎士と聞いてより決意が固まりました。無抵抗の人間に剣を向けるなど、騎士としてあるまじき蛮行。奴らの精魂を私が叩き直してやりましょう」


「まぁ……何て頼もしい。あなたのような方がいればこの国の未来は安泰ですわね」


 ベロニカが称賛のこもった眼差しでオリヴィエを見つめてくる。自分がこの国の人間ではないと明かして感動に水を差す気にはなれず、オリヴィエは黙って紅茶を一口飲んだ。果実の瑞々しい香りが柔らかく鼻腔をくすぐり、仄かな甘みが乾いた喉を潤していく。


「それで、出発はいつにしましょう? 私としては今すぐでも構いませんが」


「え? ええ……そうですわね。でも今から行っては夜に馬を走らせることになってしまいますし、明朝でもよろしいんじゃありません?」


「ですが、街までは一日かかるのでしょう? 明朝に出発したところで夜に馬を走らせることに変わりはないと思いますが」


「それはそうですけれど……ほら、あたくしも宝飾品の準備をしなければなりませんから。それにせっかくお招きしたんですから、お二人には一晩ゆっくりしていただきたいんです」


「ですが……」


「……この屋敷にお客様が来訪されるなんてもう何年もなかったのです。来ていただいた以上、おもてなししたいと思うのは貴族として当然のこと。哀れな未亡人のわがままに付き合っていただけませんこと?」


 涙混じりにそう言われると断るのも憚られ、オリヴィエは困惑してリアの方を見た。リアも逡巡するようにしばらく考え込んでいたが、やがて頷いて言った。


「奥様がそうおっしゃるのでしたら、出発は明日にした方がいいかもしれませんわね。騎士様も長旅でお疲れでしょうし、少し休んだほうがよろしいかと」


「特に疲れてはいないが……お前がそうしたいというなら私に異存はない」


「では、ここはお言葉に甘えることにしません? ブレットも久しぶりにお友達ができて喜んでいるみたいですし」


「わかった。では夫人、申し訳ありませんが、一晩厄介になってもよろしいですか?」


「ええ、もちろん。精一杯のおもてなしをさせていただきますわ」


 そう言ったベロニカの表情にはなぜか安堵の色があったが、自分が依頼を受けたせいだろうとオリヴィエは考え、深く追及することはしなかった。

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