慕情

 翌朝、日が昇る前にオリヴィエは起き出し、簡単な朝食を摂ってから屋敷を出た。ベロニカが持たせた宝飾品は袋一杯分ほどの大きさだったため、ブレットの背中に括りつけず自分で持つことにした。


 出発の時にはベロニカとリアが外まで見送りに来てくれ、ブルーノは厩舎からブレットを連れてきてくれた。久しぶりに厩舎で眠ったせいかブレットは昨日よりも元気になっており、オリヴィエの姿を見るなり駆け寄ってきて盛んに蹄を鳴らしてきた。ブレットには今まで以上に長距離を走ってもらうことになる。彼が精力にあふれている様子を見るのはオリヴィエとしても安心できた。


 そうしてオリヴィエはブレットと共に屋敷を出発した。一人で馬を走らせるのは初めてだったが、今ではオリヴィエも馬を乗りこなし、ブレットも彼女に慣れていたため、走行には何の問題もなかった。


 馬は瞬く間に平原を抜け、荒れた道をも物ともせずに疾駆する。その勢いはまるで疾風のようで、すれ違う馬車の乗客は例外なく目を留め、あれだけの速度で馬を走らせているのは誰だろうと窓を開けて確かめようとした。

 だが、彼らが窓から首を出す頃にはすでにブレットの姿は砂埃に紛れて見えなくなっていた。ただし稀に幸運な者は、翠色みどりいろの長い髪を風になびかせる美しき女騎士の姿を目にすることができた。


 数度の休憩を挟みながらブレットは快調な走りを見せ、目的の街に到着したのは当日の夜のことだった。


 宝石商はベロニカから話を聞いていたらしく、オリヴィエはすぐに店の奥に通された。袋から宝飾品を取り出し、その場で鑑定を依頼する。

 宝石商は一つ一つの品をじっくりと調べた後、合計で五十万ベリルの金額を渡してきた。オリヴィエが一ヶ月の間にギルドで稼いだ五倍の金額だ。馴染みのよしみで多少は色を付けているのだろうが、それでもこれほどの金額になるとは。さすがは伯爵家だとオリヴィエは感心した。


 街で宿泊することもできたが、時間が惜しかったのでオリヴィエはそのまま街を発つことにした。

 帰りもブレットは健脚ぶりを発揮し、朝日が昇る頃には道程の半分ほどまで戻ってきていた。この分だと昼前には屋敷に到着できるだろう。件の盗賊に遭遇することもなく、任務は順調に終えられそうだ。


 そうして馬を走らせ続けること数時間、夜通し走り続けてきたことでさすがにブレットにも疲れが見え始め、歩調が少しずつ鈍くなっていった。少し酷使し過ぎたかもしれない。

 近くに川があったので、オリヴィエは昨日と同じように馬を休ませることにした。川辺の傍まで行ったところで馬を降り、水を飲ませる。ブレットは勢いよく水を飲んだ後で足を畳んでその場に座り込んだ。やはり疲れていたようだ。ここで無理に走らせ、エーデルワイス王国への帰還に支障がでては本末転倒。しばらく休憩を取った方がいいだろう。


 近くにあった木に手綱を括りつけた後、オリヴィエは少し辺りを散策することにした。

 今いるのは昨日とは別の平原で、特に目を留めるようなものはない。だが、五分ほど歩いたところで、灌木かんぼくに薔薇が咲いているのが見えた。赤色の花弁が緑色の葉に映えている。薔薇園と呼べるほど立派なものではなかったが、それでも代わり映えのしない平原を見続けてきたオリヴィエは、その光景を見て幾分目を楽しませることができた。


(……薔薇など長らく見る機会はなかったな。最後に見たのはサルビアの庭園だったか……)


 いつかアイリスと共にサルビアの王城に向かう道中に通りがかった薔薇園。あれは本当に見事な眺めだった。赤、白、桃色と、色とりどりの花弁が至るところで咲き誇り、かぐわしい香りが立ち込め、まさに花の祝宴とでも呼ぶべき絢爛けんらんな様相を呈していた。

 もっとも、薔薇園に入って間もなく金騎士団の急襲を受けたため、花を愛でるどころではなくなってしまったのだが。


(……あれからもう三ヶ月経つのか。姫様は今頃どうしておられることか……)


 最初は自分の不在に索漠さくばくを感じていたとしても、三ヶ月も経てば慣れてしまっても不思議はない。オリヴィエは今でもアイリスの姿を思い起こすたびに心が掻きむしられ、一刻も早く主人の傍に戻りたいと考えていたが、そんな風に感じているのは自分だけかもしれない。アイリスの方は一介の騎士のことなど忘れ、新しい姫付きとの関係に愉しみを見出している可能性もある。


 その考えはオリヴィエの心を痛ませたが、すぐに憶測に過ぎないと思い直して首を振った。昨日もそうだが、無聊ぶりょうな時間があるとどうしても物思いに沈んでしまう。まったく私らしくもない。くだらない感傷に浸っている暇があったら剣の鍛練でもしていた方がいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る