旅の道連れ

 そうして馬を走らせること早五日。早朝から三時間ほど走行を続けたところで、オリヴィエはブレットを休ませるために一旦馬を下りた。


 今いるのは平原で、付近にある川までリアがブレットを連れていって水を飲ませている。宿に滞在している間は従業員が馬の世話をしてくれ、リアがブレットに触れる機会はなかったが、今、久しぶりに飼い葉をやったりブラッシングをしたりしているリアは嬉しそうだった。賓客としてもてなされるよりも、動物の世話をしている方が性に合っているのだろう。


 水辺で憩う一人と一匹の姿を横目に、オリヴィエは近くにある木陰の下で座りながら地図で現在地を確認していた。


 今いる平原はノウゼン地方の北端にある。四つの地方に分かれたディモルフォセカの中で、この平原は北と東の境目の役割を果たしている。平原を越えればノウゼン地方の領土は終わり、北の地方に入ることになる。そこまで行けばグロキシニアという例の領主が追ってくることもないだろう。

 この五日間、どこで領主の刺客が現れるかわからずオリヴィエは常に目を光らせていたが、幸い襲撃を受けることはなかった。刺客の男達を二度も返り討ちにしたことで領主も怖れを為したのかもしれない。


 進路を確認したところで、オリヴィエは地図をしまって頭上を見た。今は昼下がりで、青々とした空の中にゆったりと雲が流れている。街の喧騒から離れ、流れゆく雲を見つめていると自然と安閑とした気分になる。


 エーデルワイス王国にいた頃はこんな気分を味わったことはなかった。剣術の稽古に明け暮れて空を見上げる余裕がなかっただけでなく、安閑を覚えるほど無心になれる場もなかったのだから。


 自分が祖国から遠く離れた場所で一人雲を眺めている。その事実に思いを致すと、オリヴィエは急に侘しくなった。


 牧場で一ヶ月半、カズーラの街の街で二ヶ月を過ごし、故郷を離れてからすでに三ヶ月もの期間が経ってしまっている。王国は今頃どうなっているのだろう。姫付きが不在のままとも思えないので、誰か代わりの騎士がアイリスの護衛に付いているのだろうが、それでもオリヴィエの深憂は晴れなかった。

 自分以上に主人を慈しみ、剣となり盾となれる人間は他にいない。どれだけ卓抜した剣の腕前を持っていても、命に替えて主人をお守りするという気概がなければ姫付きは務まらない。

 その気概を持っているのは私だ。私はあらゆる意味において、姫様をお慕い申し上げているのだから。


「騎士様、お待たせしました。そろそろ出発いたしましょうか」


 リアに声をかけられてオリヴィエは意識を現実に戻した。川の方に顔を向けると、リアがブレットの手綱を引いて戻ってくるのが見えた。水を飲んで元気になったのか、ブレットは鼻息を荒くしながら盛んに蹄を踏み鳴らしていた。走りたくて仕方がないようだ。


「もうすぐ境界ですわね。エーデルワイス王国までは後どのくらいあるのでしょうか?」


「牧場からカズーラの街までが十日、カズーラの街からここまで五日かかっている。ノウゼン地方を抜けたとしてもまだ北の地方があり、国境に到着するのは当分先だろうな」


「北の地方はノウゼン地方よりも土地が広大ですものね……。もし途中で路銀が足りなくなればまたどこかの街に滞在することになるのでしょうか」


「そうだな。だが、できればこれ以上の長期滞在は避けたい。私を狙っているのはグロキシニアだけではないからな」


「そういえば……騎士様は金騎士団の皆様からも追われているのでしたね。どうしてですの?」


「私が敵国の人間だからだ。ディモルフォセカは領土拡大のために周辺諸国に戦を仕掛けており、我がエーデルワイス王国も侵略の危機にひんした。私はその過程で金騎士団の騎士を何人も亡き者にした。奴らが仲間の仇を取ろうとするのは当然だろう」


「そうでしたの……。でも私、金騎士団の方々が他の国を襲ったなんて信じられませんわ。騎士団の皆様は、私達のような庶民にはとても親切なんですのよ」


「自国民と敵国の人間に対する態度が違うのは当然だ。私からすれば、奴らはエーデルワイス王国を脅かす賊に過ぎん。もし道中で遭遇することがあれば迷わず叩き切る」


「ええ……わかっておりますわ。私はどんな時でも騎士様の味方です。敵国の方かどうかなんて関係ありませんわ」


 温かなリアの言葉がオリヴィエには有り難かった。本来であれば、自分が敵国の人間であることが判明した時点で金騎士団に突き出されても不思議はなかったのだ。

 だがリアはそうせずに自分をかこい、衣食住の面倒を見てくれただけでなく、旅の道連れにまでなってくれた。エーデルワイス王国にいた頃は悪印象しかなかったディモルフォセカ帝国だが、そこに住む人々全員が唾棄だきすべき敵ではない、そんな当たり前の事実をオリヴィエは再認識していた。

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