愛馬は告げる

「もう止めてくださいまし!」


 突然響いたその声がオリヴィエの意識を呼び覚ました。マルコと並んで戦況を見守っていたはずのリアがこちらに駆け寄ってきて男達の前に立っていた。


「この方は私達とは何の関係もございません! それ以上乱暴されることは許しませんわ!」


「あぁ? だったらどうするってんだ?」ハンマーの男が手を止めて振り返った。


「私があなた方と一緒に行きます! それで地代を払えばよろしいのでしょう!?」


「ほう? 嬢ちゃん。おめぇ意味がわかって言ってるんだろうなぁ?」ナイフの男が下卑た笑みを浮かべてリアを見る。


「も……もちろんわかっていますわ! 私が殿方のお相手をすればよろしいのでしょう!?」


「リア! 止めないか!」マルコが悲痛な声を上げた。「お前にそんなことをさせるくらいなら、わしは家畜共々行き倒れる方を選ぶ!」


「おじいさまをそんな目に遭わせるわけにはいきませんわ! それにこれしか騎士様をお救いする方法はないのです!」


「じゃが、リア……!」


「はっはっは! 話のわかるお嬢ちゃんだ!」ハンマーの男が大口を開けて笑った。「自分から身売りを希望するたぁ、大人しい顔していい根性してるぜ! どれ、せっかくだからこの場で試してやるか。もう邪魔が入る心配もねぇしなぁ!」


 ハンマーの男はそう言ってオリヴィエから乱暴に手を離すと、大股でリアの方に近づいていって彼女の髪を摑んだ。体格のいい男に見下ろされてリアが身を竦める。マルコが何やら喚きながら男の足にしがみついたが、男はあっさりとマルコを蹴り飛ばした。その間にナイフの男もリアに近づき、二人して彼女を柵に押しつけた。ファスナーを下ろす間も惜しいのか、ワンピースを強引に肩から引き剥がそうとする。


「リア!」


 ようやく意識が鮮明になったオリヴィエが駆け出そうとした瞬間、自分の脇を何かが疾走していくのが見えた。立派な体躯の白馬。ブレットだ。厩舎に繋いでいたはずのロープが切れている。


 ブレットは男達に向かって突進していき、振り返ったハンマーの男の顔面を前足の蹄鉄ていてつで蹴り飛ばした。次いで後ろ足でナイフの男の顔を蹴る。男二人は鼻血を出しながら地面に倒れた。その隙にマルコがリアを連れて男達から離れる。


 オリヴィエは呆気に取られて一部始終を眺めていたが、そこでブレットが振り返ってこちらを見た。その目はまるでお前も戦えと告げているようで、オリヴィエは自分を覆っていた雑念が次第に取り払われていくのを感じた。

 動物に諭されるとは情けない。だが、この忠実なる馬のおかげで、ようやく本来の自分を取り戻せたようだ。


「騎士様! こちらを!」


 リアの声に呼ばれて振り返る。彼女の手にはエリアル・ブレードが握られていた。急いで家に帰って取ってきたのだろう。

 リアが両手で剣を投げ、剣は弧を描きながらこちらに向かってくる。オリヴィエは片手でそれを受け止めた。

 愛剣の感触が手に戻った途端、呼び覚まされた騎士の精神が彼女に闘志を湧き上がらせた。数回素振りをし、地面から起き上がろうとしている男二人を見据える。


「貴様らは私達を陵辱しようとした。その罪……ここで償ってもらおう」


 真剣を手に只ならぬ気迫を見せるオリヴィエを前に、男達が一瞬怯んだ様子を見せる。だが、すぐに逆上したように顔を歪めると、再び武器を構えて襲いかかってきた。先ほどまでは心が乱れて見切れなかった攻撃も、今は手に取るように動きがわかる。オリヴィエが少し身を引いただけで男達はあっさりと攻撃を外し、頭から砂地に突っ込んでいった。咳き込みながら起き上がり、再び攻撃を仕掛けるも一向に届く気配はない。


 はえでもあしらうように軽く攻撃をかわしながら、オリヴィエは静かに決意を固めていた。誰もこの身体に触れさせはしない。まして髪には。あの方が愛したこの髪には――。


 調子を取り戻したオリヴィエにまるで歯が立たず、男達の顔に焦りと疲労が滲む。元より戦闘慣れしていないのか。武器を振るう動きも次第に緩慢になってきていた。ハンマーは標的から数十センチは離れた地面を打ち、ナイフは肉ではなく空気を切る始末。

 これ以上戦闘を続けたところで勝機がないのは明らかだったが、それでも男達は諦めきれないのか、半分倒れそうになりながらも武器を片手に向かってきた。その行動が領主への忠誠心ゆえなのか、それとも意地ゆえかはわからない。ただ一つ確かなのは、彼らがもはやオリヴィエの敵ではないということだ。


 疲弊しきった男達の攻撃を躱した後、オリヴィエは柵の上に着地して彼らを見下ろした。馬に顔面を蹴られた痛みが尾を引いているのか、男達の足取りはふらつき、立っているのもやっとという様子だった。

 もはや勝負はついたも同然。それでもオリヴィエは、まだ彼らに一矢を報いる必要があると思った。


「……貴様らに一つ忠告しておいてやる。性別で力量を測ろうなどと思わないことだ」


「あぁ? 何だって?」ハンマーの男が武器を引き摺りながら怒鳴る。


「貴様らは私が女であることを理由に私を見くびった。女であれば力づくで組み伏せられるとでも思ったのだろうな。

 だが私は貴様らの玩具にはならなかった。その理由がわかるか?」


「知るかよんなもん。たまたま馬に助けられただけだろ」ナイフの男が吐き捨てる。


「違う。あの馬に救われたのは事実だが、そうでなくても私は貴様らの性具になど成り果てはしなかった。それは、私が女である以前に騎士だからだ。騎士である限り、誰であろうと私を組み伏せることなどできない」


「はぁ? 騎士だと? 田舎娘が何をほざいてやがる?」


 ハンマーの男が嘲るように言って顎を突き出す。そこで不意に風が吹き抜け、柵の上で佇むオリヴィエの長い髪を揺らした。牧場の草木の中でも映える、鮮やかな翠色みどりいろの髪。それを見た瞬間、男の一人が何かに気づいた様子ではっと息を呑んだ。


「おい待て! その髪の色……。まさかこいつは……!」


「……ようやく気づいたか」オリヴィエが目を伏せる。

「そう、私はエーデルワイス王国花騎士団が騎士、オリヴィエ・ミラ・グリュンヒルデ。人は私を、『翠色すいしょくの騎士』と呼ぶ」


「翠色の騎士って、あの……!?」


 ナイフの男が目をわななかせてオリヴィエを見る。自分達がいかに分不相応な相手と戦っていたかを知り、戦慄が二人の全身を駆け巡った。


「逃げろ! こんな化け物が相手じゃ勝ち目はねぇ!」


 ハンマーの男が叫び、ナイフの男も頷いて武器を放り出して逃げようとする。だがそれより早くオリヴィエが跳躍ちょうやくし、地面に降り立って彼らの行く手を阻んだ。日光を浴びて煌めくエリアル・ブレードの刃。その鋭い切っ先を前に、男達の顔から血の気が引いた。


「……貴様らの死体を牧場の肥やしにするつもりはない。だが、貴様らはこの長閑な地を蹂躙じゅうりんした。相応の対価は払ってもらう」


 低い声で言い、オリヴィエが剣を構えて男達ににじり寄る。男達は身を固くしたが、足が地面に縫いつけられたかのようにその場から動けなかった。

 その間にオリヴィエは柄を握り直し、真正面から彼らを見据えて告げた。


「女をろうする卑しき獣よ……巣穴に帰り眠るがいい!」


 ひゅん。ひゅん。交差する剣筋が空を裂き、辺りが一瞬、静寂に包まれる。男達は何が起こったかわからず、呆けた顔でその場に突っ立っていた。


 だが次の瞬間、彼らが身に着けていた衣服がばらばらに切り裂かれ、男達は生まれたままの姿を白日の下に晒した。二人はぎょっとして自分の裸体を見下ろし、慌てて男の箇所を隠した。


「これに懲りたら二度とこの牧場に近づくな。さもなくば今度こそ棺で眠らせる」


 剣を二人に突きつけたまま、オリヴィエが冷ややかな声で告げる。男たちは引きった顔のまま何度も頷くと、衣服をかき集めてこそこそと森の方に逃げて行った。獅子のごとき屈強な外見をしていても中身は鼠も同じ。オリヴィエは蔑むような視線を彼らに向けたが、目を汚す必要もないと思い直して放っておくことにした。

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