旅立ち
「あの……騎士様……?」
おずおずと声をかけられてオリヴィエは振り返った。リアが少し離れたところからこちらを見つめている。傍にはマルコとブレットがいて、ブレットは暴漢を追い払えたことを喜ぶように尻尾を左右に振っていた。
「リア、怪我はないか?」オリヴィエが剣を鞘に納めて彼女に近づいた。
「はい、おかげさまで……。騎士様の方は……?」
「私も無事だ。すまないな、怖い思いをさせてしまって……」
「そんな……謝るなんて止めてくださいまし。むしろお礼を申し上げなければいけませんわ。騎士様がいらっしゃらなかったら今頃どうなっていたか……」
リアが小さな肩をぶるりと震わせる。男達に服を剥がされかけた時の恐怖がまだ残っているのだろう。こんな純朴な少女を娼婦に仕立て上げようとするとは、オリヴィエは改めて男達への怒りが湧き上がると共に、彼女を守ってやれなかった自分への不甲斐なさに
「私からもお礼を言わせてください」マルコが前に進み出た。「あなたがいなければ、リアは今頃奴らの慰み者にされ、わしと家畜も路頭に迷うことになっていたでしょう。わしらを救ってくださったこと……どれほど感謝を申し上げても足りません」
「いえ……。これで奴らが大人しく引き下がるとよいのですが」
「あれだけの目に遭わされたのですから、彼らがここに現れることはないでしょう。問題は領主の方ですな。新しい領主はかなりの冷血漢の様子。わしらの窮状など知らず、別の者を取り立てに寄越すかもしれませぬ。そうなったらどうすればよいか……」
マルコが憂鬱そうにため息をつく。その小柄な姿をオリヴィエは見下ろしながら、彼らの今後について考えを巡らせた。
今回は偶然自分が居合わせたために事なきを得たが、もし先ほどのような屈強な男を何人も差し向けられたら、マルコとリア二人だけでは到底対処できないだろう。この善良な老人と孫が虐げられるような事態は避けたい。
しばらく逡巡した後、オリヴィエはおもむろに口を開いた。
「……マルコさん、もし、お望みであれば、私がここに留まり警護を務めても……」
「それはいけませんわ、騎士様」
きっぱりと言ったのはリアだった。オリヴィエが驚いて彼女の方を見る。
「騎士様はこんなところに留まってよいお方ではございません。私達のことはお気になさらず、どうぞ出発なさってくださいまし」
「しかし、そうなるとあなた達が……」
「あなたは牧場の娘ではなく、花騎士団の騎士様なのです。あなたを故郷で待っておられる方はたくさんおられます。私達がそれを邪魔することはできませんわ」
自分を待っている人――リアのその言葉が呼び水となったかのように、オリヴィエの脳裏に次々と懐かしい顔が浮かんだ。花騎士団の数少ない仲間、シャガとルドベキア。厳しいながらも公平な上司、グラジオ。そしてアイリス……。
アイリスは今も自分を待っていてくれるだろうか。自分がシオンの森を見ながら失われた日々に胸を痛めていたように、彼女もまた、トリトマの森の花々を眺めながら、失われた騎士のことを思い出してくれているだろうか。
待ち受ける日々が平穏なものでないとわかっていても、オリヴィエの心は依然として故郷に惹きつけられており、他に帰るべき場所があるはずもなかった。
オリヴィエはしばらく黙りこくった後、やがてマルコに視線を向けて言った。
「……お孫さんのおっしゃる通りです。私はやはりエーデルワイス王国に帰らねばならない。あなた方の御親切に報いることができないのは心苦しいですが……」
「いえいえ、あなたは十分わしらのために尽くしてくださいました」マルコが温厚に微笑んだ。
「孫も申しましたが、わしらのことはどうぞお気になさらないでください。農家の方達とも相談しながら対策を考えてみますので」
「……わかりました。長期間にわたって御親切を賜り……心より謝意を申し上げます」
オリヴィエが直立して深々と頭を下げる。彼らを残していくのは忍びなかったが、ここで立ち止まってはいけないことは、彼女にも十分過ぎるほどわかっていた。
「すぐに荷物をまとめます。敵国の騎士が潜伏していると知られれば金騎士団が押し寄せる可能性もある。これ以上の厄介事を持ち込むことはできませんので」
顔を上げてマルコに告げてから、オリヴィエが足早に家に向かおうとする。
マルコはその背中をしばらく見つめた後、おもむろに声をかけた。
「騎士様……。一つだけ、わがままを申し上げてもよろしいでしょうか?」
オリヴィエが立ち止まって振り返る。マルコは続けた。
「あなたの旅にリアを同行させていただけませんか? ブレットも一緒にお貸しします」
「おじいさま!?」リアが驚いて祖父を見る。
「どうして!? そんなことをしたらおじいさまが一人になってしまいますわ!」
「わしはお前が心配なんだよ、リア。もし、さっきのような男達がまた押しかけてくるようなことがあっても、わしの力ではお前を守ってやれん。わしはお前が卑しい男の手に落ちるところなど見たくないんだよ」
「でも……おじいさまを一人にするなんて……」
「わしのことなら心配するな。こう見えて二十年は牧場をやっとるんだ。一人でも十分仕事は回せる。
それにリア、お前だってまだ騎士様と一緒にいたいんだろう?」
全てを見透かしたような祖父の言葉に、リアが顔を赤らめてうつむいた。
マルコは頬を緩めると、オリヴィエの方に向き直って続けた。
「騎士様、あなたのお邪魔になるような真似はいたしません。馬があった方が帰路は速いでしょうし、リアは馬のことを熟知しています。万が一ブレットが病気になるようなことがあってもすぐに対処できるでしょう」
「しかし……そこまでご迷惑をおかけするわけには……」
「ご迷惑などではありません。むしろわしらはあなたのお役に立ちたいのです。リア、お前もそう思うだろう?」
マルコに尋ねられ、リアがそっと顔を上げてオリヴィエを見る。オリヴィエと目が合うと視線を落としてしまったが、少ししてもう一度顔を上げ、ためらいがちに頷いた。
「そういうわけです、騎士様。わしらのわがままを聞いてはくださいませんか?」
そう言われてもオリヴィエはすぐには決断できなかった。エーデルワイス王国のまでの道のりがどれほど長いものかわからない。旅先で盗賊や金騎士団に遭遇する可能性もある。リアをこれ以上危険な目に遭わせるような真似はしたくなかった。
だが、マルコの言う通り、馬があれば確実に到着までの日数は縮められる。そして馬を連れていくとなれば、世話をする人間が必要なのも事実だ。もし自分達が賊に襲われるようなことがあっても、自分がいればリアに指一本触れさせはしない。マルコはそこまで考えて、孫を自分に託そうとしているのかもしれない。
「……わかりました」
しばらく逡巡した後、オリヴィエがゆっくりと頷いた。
「あなた方の厚意を無駄にするのは忍びありません。お言葉に甘え、馬を借り受けることにいたしましょう。もちろん傷つけずにお返しいたします。馬だけでなく、あなたの大事なお孫さんも」
きっぱりと告げたオリヴィエの瞳の力強さを見て、リアが小さく息を呑んだ。
だが、すぐに安堵したような表情になると、そっとオリヴィエに近づいて言った。
「……ありがとうございます、騎士様。私……お役に立てるように頑張りますわ」
主人に同調するようにブレットが
脅威が去った牧場は、元の平和な姿を取り戻していた。
[第六章 故郷を想うは牧場の大地 了]
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