第七章 雌雄を決する札と知恵

平和との別れ

 男達の襲来があった翌朝、オリヴィエとリアは荷物をまとめて牧場を発った。オリヴィエが着ていたリアの母の衣服は前日に返しており、今は元の鎧姿だ。久しぶりに鎧を身に着けると、オリヴィエは生き返ったような気分になった。作業着に比べると鎧は当然重くて動きにくいのだが、それでも五年以上騎士として生きてきた彼女にとっては、鎧こそがもっとも動きやすく、そして自分らしい衣装だった。


 出発の日の朝には、マルコはもちろん、放牧されていた家畜までもが二人を見送りに来てくれた。リアは家畜一匹一匹の名前を呼んで撫でながら、ご飯をしっかり食べるように、マルコの言うことをきちんと聞くようにと言い聞かせていた。そのたびに家畜は尻尾をぱたぱたと振って鳴き声を上げた。まるで彼女の言葉を理解しているような姿を見て、オリヴィエは改めて、リアが家畜たちに慕われていることを感じ取った。


 家畜はオリヴィエとの別れも惜しんでくれたようで、牛や馬、羊や鶏などがオリヴィエの周りに群がっては、鎧に身体を擦りつけたり、頬を舐めたりしてきた。オリヴィエがしゃがみ込んで背中を撫でてやると家畜たちは嬉しそうに尻尾を振ったり、羽を振るわせたりした。その姿は何ともいじらしく、オリヴィエはこの愛らしい生き物たちと別れることを少しだけ寂しく思った。


「こちらが今日まで働いてくださった報酬です。旅の資金としてお役立てください」


 マルコが紐で口元を縛った布製の袋を差し出しながら言った。オリヴィエは受け取って中身を確かめたが、すぐに顔をしかめて彼を見た。


「マルコさん、失礼ですが、金額をお間違えではないですか? 一ヶ月半の報酬としては、金貨の量がいささか多いように思うのですが」


「それはわしからの心付けです。あなたには本当にお世話になりましたからな」


「ですが、それではあなたにご負担を強いることになる。必要以上の金額は受け取れません」


「いいえ。受け取っていただかないとわしの方が困ります。何せリアを旅に同行させていただくのですからな。二人分の食費がかかると考えれば上乗せするのは当然でしょう」


 確かにリアがいなくなる分牧場の食い扶持は減るが、それにしてもこの金貨の量は多すぎる。この牧場が決して裕福ではないことはオリヴィエもよく知っている。地代の問題も解決したわけではない以上、少しでも蓄えを残しておいた方がいいのではないだろうか。


「わしのことはどうぞお気になさらないでください」マルコがオリヴィエの迷いを読み取ったように言った。

「この辺りの土地は共助の精神が根付いておりますから、いざとなれば農家に援助を求めることもできます。むしろ金銭が入用なのはあなたの方でしょう。旅先では何が起こるかわかりませんからな。資金が大いに越したことはない」


 確かにそうかもしれない。数ヶ月にもわたって旅をするのであれば、食費はもちろん、宿代だって必要だ。場合によっては薬や装備品を購入することもあるだろう。マルコに負担を強いるのは心苦しかったが、その厚意を退けるのも礼に外れる気がした。


「……わかりました。お心遣いに感謝いたします」


 頭を下げて金貨の入った袋を受け取る。ずっしりとした金貨の重みは、託されたものの大きさをオリヴィエに感じさせた。


「……それでは、これで失礼いたします。本当にお世話になりました」


 身体の横で手を揃え、マルコに向けてオリヴィエが深々とお辞儀をする。牧場の入口ではリアがブレットと共に待っていた。ブレットは外に行けるのが嬉しくてたまらないのか、前足で頻りに地面を擦っている。


「リア、マルコさんに挨拶をしなくていいのか?」


 オリヴィエがリアに近づいていって尋ねた。彼女を旅の道連れとすることが決まった時点で敬語は止めていた。


「はい。昨日の夜に済ませましたから。今日はもう結構ですわ」


「だが、出発すれば数ヶ月は戻ってこられない。一言くらい声をかけておいた方がいいのではないか?」


「結構ですわ。……祖父の顔を見たら、泣いてしまいそうですもの」


 うつむけた顔にリアが影を落とす。その表情を見てオリヴィエは彼女の心境を察した。


 リアも本当は心細いのだろう。オリヴィエが共にいるとはいえ、住み慣れた牧場を後にし、未知の世界に旅立っていくことへの不安を感じないはずがない。

 それに、年老いた祖父を一人残していくことへの心苦しさもあるだろう。もし、昨日のような荒くれ者が再び牧場に来ることがあったら、マルコがどんな目に遭わされるかわからない。何もできなくても祖父の傍にいたいと思うのは当然だ。でも、そうしたことを口にしてオリヴィエの負担になるのが嫌だから、敢えて平気な振りをしているのだ。


 不安を押し殺したリアの表情を見つめながら、オリヴィエは改めて、この少女を自分の旅路に同行させるべきではないと考えた。女は牧場の娘であり、家畜に囲まれた平和な世界に生きている。争いと血に塗れた自分の世界に巻き込むべきではない。


 だけど、それを自分が口にすることは、彼女とマルコが迷いの末に下した決断を無下にしてしまう気がした。この旅が単なる慰安旅行でないことは彼らも百も承知。であれば自分が為すべきことは、リアを拒むことではなく、リアと共にエーデルワイス王国に帰還し、その上でこの牧場に彼女を返すことだ。


 オリヴィエはリアを見つめた後、彼女の決意を受け入れるように固く頷いた。



 

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