旅の指針
こうして二人は牧場を出発した。オリヴィエが手綱を取り、リアがその後ろに座る。騎馬訓練や牧場の仕事で数回乗馬の経験があるとはいえ、馬を足にするのは初めての経験だったので、オリヴィエも最初は様子見がてら
ある程度操作に慣れたところで、オリヴィエは手綱を絞って
そうして一時間ほど馬を走らせた後、二人は森を抜けて平原へと辿り着いた。
マルコの情報によればこの辺りには街や村はなく、民家が点在しているだけらしい。オリヴィエはマルコにもらった古びた地図を確認しながら、昨晩の彼との会話を思い出していた。
『よいですかな、騎士様。長旅にあたって何よりも必要なのは資金です』
家の居間でテーブルを挟んで差し向かいで座り、マルコがオリヴィエに語りかける。普段の
『旅先では何が起こるかわかりませぬ。予期せぬ形で足止めを食らうこともあれば、遠回りを余儀なくされることもある。ですが、そこで持ち合わせた金銭が最低限のものでは、旅を続けることすら困難になります。不測の事態に備えて、金銭はできる限り潤沢に用意しておいた方がいい』
『わかっています。ですが、こちらの仕事でいただいた報酬がありますから、当面はそれがあれば十分かと』
『それはどうでしょうか。牧場の仕事で得られる収入など微々たるものです。物資や食料品を購入すればすぐに底を突いてしまうでしょう。長旅に備えようと思えば、もっと割のいい仕事で資金を稼いだ方がいい』
『ですが、私は職に就いた経験などありませんよ。あるのは剣術の腕ばかりで……』
『その剣術の腕を求めている仕事があるのですよ。騎士様はギルドという場所をご存知ですか?』
『ギルド?』
『はい。ギルドというのは旅人向けの職業斡旋所でしてな。大きな街に一つはあり、街の清掃や手紙の配達、薬草の採取や鉱石の採掘など、様々な単発の仕事を紹介しております。
仕事は住民からの依頼によって発生し、難易度が高くなればなるほど報酬は高くなります。中には要人の護衛や盗賊の討伐など、武力を伴う依頼もあり、そうした依頼は支払われる報酬も高くなります。
昨日の戦いを見る限り、あなたは相当な強者のご様子。あなたの実力を以てすれば、武力を伴う依頼であっても難なくこなすことができるでしょう』
オリヴィエは考え込んだ。要人の護衛や賊の討伐。それは花騎士団においても請け負ってきた任務であり、こなすことは造作もないだろう。
だが、そのために一つの街に留まることには抵抗があった。依頼をこなして資金を稼いだところで、それで故郷に帰るのが遅れてしまっては意味がない。オリヴィエとしては、旅先で不自由のない生活を送ることよりも、多少不便があっても早く祖国に辿り着く道を選びたかった。
『ご忠告は有難いですが……私は見知らぬ街で時間を浪費するつもりはありません。暖かな食事も寝心地のいい布団も私には不要。いざとなれば家の軒下で寝る覚悟です』
『そうはおっしゃいますが、騎士様。女の二人旅で野宿など、ご自分の身を危険に晒すようなものですぞ。世の中には悪徳な人間が山ほどいますからな』
『お孫さんの身を案じていらっしゃるのであれば心配はご無用です。就寝時の襲撃にも対応できるよう、騎士の訓練で反射神経を身につけていますから』
『問題はそれだけではありません。この辺りの夜は冷える。何日も野宿を続けていればすぐに風邪を引いてしまうでしょう。そうなれば馬を走らせることも難しくなり、結果として王国に帰るのも遅くなる。
わしはですな、騎士様。ただ急がば回れということを申し上げたいのです』
オリヴィエは黙り込んだ。マルコの言葉は正しい。最初に自分がシオンの森に漂着した時も、彼とリアが引き留めなかったら、すぐに牧場を飛び出して国に帰ろうとしていただろう。だが、当時の自分は金品も移動手段も持たず、まして武器さえも失くした形骸の騎士だった。そんな状態で帰路に就いたところで、金騎士団の騎士に捕らえられるか、下卑た輩の手に落ちて慰み者にされていただけだろう。
最速の手段が最善の方策とは限らない。確実に故郷に辿り着こうと思えば、マルコの忠告に従った方が賢明なのは明らかだ。
『わかりました。それで、そのギルドはどこにあるのですか?』
『ここから一番近い場所ですと、カズーラの街にあります。カズーラの街はノウゼン地方の東部にある港町で、古くから交易都市として栄えている街です。人の流入も多いですから、そこに行けばまず仕事に困ることはないでしょう』
『わかりました。ご忠告、痛み入ります』
『いえいえ。元はといえば、この家が貧乏なのがいけないのです。わしがもっと援助を差し上げられればお手間を取らせることもなかったのですが……』
『あなたが気に病まれる必要はありません。むしろ十分過ぎるほど尽くしていただいて感謝しています』
それはオリヴィエの心からの言葉だった。本来なら、偶然知り合っただけの自分を家に留め置く必要などない。にもかかわらず、マルコは一ヶ月半もの長期間自分を家に置いてくれ、おまけに大事な孫娘と馬を自分に託してくれた。いつか相応の礼をしなければいけないなとオリヴィエは思っていた。
「さて……ひとまずカズーラの街を目指すとするか」
追想から意識を引き戻してオリヴィエが呟く。地図によれば、ディモルフォセカは東西南北で四つの地方に分かれており、ノウゼン地方は東側に位置する。牧場やシオンの森があるのはノウゼン地方の東端で、北側にあるカズーラの街までは相応の距離があるが、馬があればそこまで時間を費やすこともないだろう。途中にいくつか小さな村や街があるそうなので、そこで宿を取りつつ北を目指す。行程を頭の中で整理したところでオリヴィエは地図を畳んだ。
「では出発しよう。準備はいいか? リア」
「リア、どうかしたか?」
声をかけるとリアが弾かれたように振り向いた。取り繕うように慌てて口を開く。
「あ……申し訳ございません。私、森の外に出るのが初めてなもので……。何だかすごく遠くまで来てしまったような気がして……」
確かに、オリヴィエが共に生活していた時もリアの行動範囲は限られていた。基本は一日牧場にいて、たまに出掛けても同じく森の近くにある農家に行くくらいで、森を抜けることはまずない。酪農品は行商人が買いに来てくれ、日用品も行商人から調達している。だから彼女の生活はシオンの森の内側で完結しているといってよかった。
「そうか。もし不安なら引き返してもいいぞ。ここを発ってしまえば、当分森にも牧場にも戻れないだろうからな」
「い、いえそんな、気を遣わないでくださいまし。私は騎士様のお傍にいたいんです!」
言ってすぐにリアが顔を赤らめて手で口を押さえる。オリヴィエにはその理由が解せなかったが、特に気に留めることなく「そうか」とだけ言って前方に向き直った。手綱を勢いよく振り下ろし、待ち構えていたようにブレットが疾走する。走法は
リアは振り落とされないようにオリヴィエの身体にしがみつきながら、蹄の音に合わせて心臓の鼓動が早まるのを感じていた。
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