交易都市カズーラ

 その後の旅は順調に過ぎた。ブレットはかなりの健脚のようで、二、三時間連続で走らせていても少しも根を上げることはなかった。それでも時々木陰で休ませて水を飲ませ、その間にリアが怪我の有無などを確認した。

 餌は牧場から持参した飼い葉を使ったが、走り続けているせいかブレットは旺盛な食欲を見せ、大量に持参したはずの飼い葉はあっという間に少なくなっていった。軽くなる荷物を持ち上げるたびにオリヴィエは不安を覚え、カズーラの街に飼い葉は売っているだろうかと考えた。


 日が落ちればその日はそれ以上進むことはせず、近くにあった村や町に寄って宿を取った。狭い部屋に硬いベッドがあるだけの安宿ばかりだったが、屋根がある場所で眠れるだけでもオリヴィエは有難かった。

 リアも文句一つ言わずに硬いベッドに身を横たえ、ベッドが一つしかない時には床で眠ることさえした。オリヴィエは自分が床で寝ると言ったが、リアは小さい頃に厩舎でよく寝ていたからと言って聞き入れようとしなかった。だからオリヴィエも無理強いはしなかったが、それでも初っ端から不便を強いてしまっていることを申し訳なく思った。

 早くカズーラの街に辿り着き、まともなベッドでリアを休ませてやりたい――。そう考えて微睡みの中で大都市の光景を夢想することが、いつしかオリヴィエの日課となっていた。


 道中、何台かの馬車とすれ違うことがあった。

 多くは食料品を積んだ行商人の馬車で、女の二人連れが珍しいのか、彼らはオリヴィエたちの姿を見るたびにどこに向かうのかと尋ねてきた。オリヴィエは最初カズーラの街と答えようとしたが、思い直してエーデルワイス王国だと答えた。遠く離れた異国を目指していると言うと彼らは一様に驚き、旅の足しになればと言って商品を少しずつ分けてくれた。

 オリヴィエは有難くそれらの品を受け取った。長旅をする以上、些細な支援であっても無駄にすることはできなかった。


 旅を始めて数日が経つ頃には、白馬に乗った女騎士の存在は行商人の間でちょっとした噂になっていた。

 翠色の長い髪をたなびかせて馬を疾駆させる姿は実に絵になっていて、見ればその日は一日幸運に恵まれるという願掛けにすら使われていた。


 だが、自分の存在が人口に膾炙かいしゃするのは、オリヴィエにとって歓迎できることではなかった。

 自分がいるのはあくまで敵国であり、広く存在を知られるわけにはいかない。せめて顔を隠すことができればと思い、オリヴィエは今さらながら、兜を失くしたことを惜しんだ。






 そうして旅を続けて六日が経過した頃、二人はようやく目的の街に辿り着いた。


 一目見ただけで、カズーラの街がそれまで訪れた村や街とは比べ物にならないほど繁栄していることがわかった。

 まず人が圧倒的に多い。それまでの村や街では数えるほどの人数しかいなかったのに、この街はどこを見渡しても人でひしめき合っていて、肩をぶつけずに歩くのが難しいくらいだった。また街並みも壮観で、色とりどりの壁面や屋根を持つ石造りの建物がずらりと並び、尖塔の伸びた教会や鐘楼しょうろうを持つ聖堂がひときわ存在感を放っている。建物の向こうには青々とした海が広がり、湾岸にはマストを二本も三本も付けた立派な帆船はんせんがいくつも並び、その間を蒸気船が汽笛を鳴らしながら出航していく。太陽に向かって帆を広げる姿は希望に満ちていて、この街が開かれた都市であることを感じさせた。


「まぁ……何て大きな街なんでしょう。私、こんなにたくさんの人を初めて見ましたわ」


 リアが感嘆の息をついて辺りを見回す。初めて見る大都会の姿に圧倒されているらしく、屹立する建物や堂々たる帆船をみるたびに目を白黒させている。


「これだけ人の多い街は私も初めてだ。交易都市の名は伊達ではないようだな」


 オリヴィエも同意して街を眺める。エーデルワイス王国の城下町も人出は多いが、この街の喧騒とは比べ物にならない。城下町でもない街がこれだけ繁栄しているのだから、ディモルフォセカの興隆こうりゅうの程が窺える。


「これだけ広いとどこに行けばよいかわかりませんわね。まずは何から始めればよろしいのでしょう?」リアが小首を傾げる。


「済ませねばならないことはいくつかある。ギルドでの職探し、物資の購入。だが、まずは拠点となる宿を見つけた方がよいかもしれないな」


「しばらくこの街に身を落ち着けることになるんですものね……。でもこんなに立派な街に、私達を泊めてくださるような宿があるのでしょうか?」


 リアが不安そうに言って自分の衣服を見下ろす。彼女はよそ行きの服を持っていないらしく、普段から着ているエプロン風の茶色いワンピースを身につけていた。だが、カズーラの街の人々はみな鮮やかな色の仕立てのよい服を身につけていて、質素で地味なリアの衣服は逆に目立っていた。

 一方のオリヴィエはといえば、長期間馬を走らせていたせいで白い鎧が土で汚れており、王室召し抱えの騎士とは思えない野暮ったい外見になってしまっていた。


「場合によっては門前払いを食らわされるかもしれんな。運良く宿を見つけられたとしても、代金が高額であれば長期滞在は難しい。なるべく安い宿を探した上で、早く仕事を見つけた方がいいだろうな」


「ブレットの餌も購入しなければいけませんし、お金を無駄にはできませんものね……。本当なら市場も見て回りたかったのですけれど」


 リアがため息をついて人だかりのできた方を見やる。視線の先には複数の露店があった。人々の衣服と同様に色鮮やかなテントが張られ、食材や雑貨などが所狭しと並べられている。交易都市というだけあって、市場での行商が盛んなようだ。


「市場か……。宿で見つけた後であれば立ち寄っても構わないが、どうする?」


「あら……そんな、結構ですわ。お買い物をしに来たわけではありませんし」


「購入せずとも、目を楽しませることはできるだろう。せっかく街に出てきたんだ。いろいろと見て回りたいのではないのか?」


「え、ええ……。でも、騎士様のご迷惑では……」


「私は構わない。どのみち食料品も購入せねばならないからな」


 オリヴィエ達の食料としては、マルコから持たされた大量のミルクや卵、それに行きずりの商人から受け取った野菜や果物がある。だから当分食事には困らないが、先のことを考えれば、食料品の店に当たりをつけておく必要はあった。


「ここで話していても始まらない。とにかく宿を探すとするか」


 そう言ってオリヴィエは歩き出したが、そこで通りの向こうから歩いてきた男と肩がぶつかった。オリヴィエは謝罪しようとしたが、それより早く男が怒鳴った。


「ったく、どこ見て歩いてんだ! 貧乏人は道を譲れって教えられてねぇのか!」


 咄嗟のことでオリヴィエは言葉を返せなかった。男はこれ見よがしに舌打ちをすると、肩を怒らせて大股で歩いていく。それでも怒りが収まらないのか、道の脇に置いてあったゴミ箱を蹴飛ばし、紙くずや食べかすが石畳の上に散らばった。


「騎士様、大丈夫ですか?」


 リアが素早くオリヴィエに駆け寄って尋ねる。オリヴィエは機械的に頷いたが、視線はぶつかった男の背中に注がれたままだった。

 男はふんぞり返った格好で通りの真ん中を歩き、その様子に怖れを成した様子で人々が道を空けている。道を空ける人々の服装はいずれも貧相なもので、豪華な身なりの男の格好とは雲泥の差だった。


 それを見てオリヴィエはこの街の実態を悟った。一見華やかに思えるこの街は貧富の格差が激しいのだろう。富める者は幅を利かせるが、そうでない者は強者の顔色を窺いながら日陰で暮らすしかない。

 そうした目で改めて街を見回してみると、市場から外れたところではみすぼらしい格好をした人々が座り込んでいることに気づいた。その表情は市場の賑わいとはかけ離れた陰鬱なもので、彼らがこの街で受けている待遇は察するに余りある。


 オリヴィエはため息をついた。マルコから託された報酬があるとはいえ、自分達も潤沢な資金を手にしているわけではない。おまけに格好も風采が上がらず、貧乏人として冷遇されることは目に見えている。

 まともな寝所でリアを休ませる目算が、早くも瓦解する予感がした。

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