慈善の裏に

 オリヴィエの予想通り、宿探しは難航した。


 人の流入が多い街だけあって、宿自体は多くあった。だが、その多くは高級宿で、オリヴィエの手持ち金では一晩の宿代さえも賄うことができなかった。受付にいる支配人はオリヴィエやリアの薄汚れた衣服を見るだけで眉をひそめ、あなた方に提供できる部屋はないと明言し、あるいは言外に匂わせた。

 十軒も宿を回った頃には徒労感が押し寄せ、オリヴィエはいよいよ野宿も覚悟しなければいけないと考えるようになった。




 その後、宿探しを中断し、オリヴィエ達は市場に行くことにした。このまま闇雲に宿探しを続けたところで時間を浪費するだけであり、市場が空いているうちに物資の購入を済ませておいた方がいいと考えたのだ。


 だが、市場に行っても二人が冷遇される状況に変わりはなかった。

 露天商はオリヴィエ達の服装を見るなり侮蔑的に目を細め、冷やかしはごめんだと言って犬でも追い払うようにあしらった。応対してくれる露天商がいたかと思えば、およそオリヴィエ達には支払えない法外な金額をふっかけてきて、金のない人間に用はないという事実を暗に突きつけてきた。そのくせ身なりのよい客が来店すると態度を一転させ、これはあなたのために特注した商品だなどと言って目に見えて阿諛追従あゆついしょうしていた。


 そんな浅ましい人間の姿にオリヴィエは嫌気が差し、早々に市場から撤退した。ただしリアは、ブレットの餌だけは購入したいと言ったので、後で落ち合うことにして一旦別れた。




 表通りから外れた海辺の通りで、オリヴィエは建物の壁に背をつけ、腕組みをした格好で海を眺めていた。

 この街道は散歩道のように開けていて、白い手すりの向こうに青々とした海と空が広がっている。道の両脇には綺麗に刈り込まれた生け垣があり、橙色のノウゼンカズラの花が一面に花を咲かせている。ラッパのような形をしたこの花は、勝者を祝福するファンファーレを連想させることから名声や名誉の象徴として知られ、この地方と街の名前の由来にもなっているそうだ。赤々とした大ぶりの花弁は目にも鮮やかで、栄華を極めるこの街には相応しい。

 だが、一つ路地に入れば、そこには行き場を失った浮浪者が身を寄せ合っている現状がある。勝者を称える花が咲き誇るその下で、敗者たる貧民が通りに寝そべっているのは何とも皮肉な光景だった。


(マルコさんはここに逗留とうりゅうして旅の資金を稼ぐように言っていたが、この分では難しいかもしれん。物資の購入だけ済ませ、早々に街を出るべきか……)


 オリヴィエがそんな風に考えに耽っていると、不意に馬車が目の前で止まった。黒塗りの車体に金色の装飾が施された、見るからに豪華な馬車だ。誰か貴族の所有物だろう。また因縁をつけられるのもいとわしかったのでオリヴィエは街道から立ち去ろうとしたが、そこで背後から呼び止められた。


「そこのお嬢さん、お待ちください」


 お嬢さん、などという呼称で呼びかけられたことなどなかったので、オリヴィエは最初人違いではないかと思った。

 だが、周囲には散歩をしている老人か、走り回っている子どもくらいしかいない。ならば声をかけられたのは自分なのだろう。


 オリヴィエが訝しげに振り返ると、そこには立派な身なりの男がいた。橙色のフロックコートの下に揃いの色のベストを着込み、折り目の付いた黒いズボンに黒い革靴を合わせている。コートの襟や袖口は金糸で縁取られているほか、胸ポケットにも金色のエンブレムが刺繍され、かなり凝ったデザインであることがわかる。さらに胸飾りとして三重のジャボを付け、手には白手袋まで嵌めている。これから舞踏会にでも行くのかと思えるほどめかし込んだ格好だ。

 年齢は四十過ぎに見えるが、肌は異様なまでに艶々としており、贅沢なものを食べて暮らしていることを窺わせる。鼻の下から八の字型に伸びた髭は両端が上向きに反り返り、いかにも貴族然とした雰囲気を醸し出している。


「あなたは……?」


 オリヴィエは目を細めて男を見つめた。こんな見るからに高貴な出で立ちの男に声をかけられる理由がわからなかった。


「突然お声がけしてしまい申し訳ございません」男が恭しく胸に手を当てて一礼した。「私はレオポルト・ルスト・ストレリチアと申します。僭越せんえつながら、ストレリチア家の第十五代目当主を務めさせていただいております」


「ストレリチア家?」


「おや、ご存知ありませんか? この界隈の方であれば当然耳にしたことがあるはずですが」


「私はこの国の人間ではありません。有名な家名なのですか?」


「有名も何も。ストレリチア家といえば、ディモルフォセカ建国時から続く由緒正しき家系ですよ。陛下からは男爵の称号も賜っているほどで」


 なるほど、立派なのは外見だけではないということだ。だが、男の正体が判明したところで、オリヴィエは警戒心を解く気にはなれなかった。

 自己紹介で家名を強調するくらいだ。家柄を傘に着る男であることは容易に想像がつく。そんな男がみすぼらしい自分に声をかけるには、何か魂胆があるに違いない。


「無知はお詫びいたします。ですが、男爵様もの位にあられる方が私に何の御用です?」


「いえね。私は人助けを趣味としておりまして、困っていらっしゃる方がいれば声をかけずにはいられないのですよ。貧しき方に手を差し伸べることは持てる者の義務ですからね」


 レオポルトが口髭を引っ張りながら人の好さそうな笑みを浮かべる。本人は善行を働いているつもりなのだろうが、オリヴィエに言わせれば自らの優位性を暗にひけらしているに過ぎない。だが彼と問答を交わす気にもなれなかったので、「そうですか」とだけ短く答えておく。


「あなたの殊勝な心がけは結構ですが、私には何の関係もありません。施しの相手をお探しであれば他を当たった方がいい」


「そうでしょうか? 見たところあなたは行き場を失い途方に暮れておられるご様子。こんな大きな街で若い女性が一人でいられてはさぞご不安でしょう。よければ私が手を貸して差し上げましょうか?」


「私は人と待ち合わせをしているだけです。それに、たとえ面倒事が生じていたとしても、見ず知らずの方の手を借りる気は毛頭ありません」


「そうおっしゃらずに。人の厚意は有り難く受け取るものですよ。ましてあなたは今晩の宿さえも見つかっていないのでしょう? 浮浪者が蔓延はびこっている街で、若い女性が野宿するなど正気の沙汰ではないと思いますがねぇ」


 オリヴィエは顔をしかめた。なぜ自分が宿探しに難儀していることをこの男が知っているのだ。

 

「いえね。実は私も宿を探しているんですよ」レオポルトはオリヴィエの疑念を読み取ったように続けた。


「今日は商用でこの街に来ているんですが、せっかくですから二、三日泊まっていこうかと思っていましてね。

 で、贔屓ひいきにしている宿を回っていたら、鎧を着た女性が来たという話を耳にしまして。それで興味を持って探してみたら、ここであなたをお見かけしたというわけです。いやはや、鎧を着た女性などと、屈強な女傑だとばかり思っていましたが、これほど美しい女性だったとは驚きました」


「それで? あいにく私はお喋りに付き合っている暇はない。あなたの狙いはいったい何なのです?」


 もはや礼儀を保つのも煩わしくなってオリヴィエは冷淡に尋ねた。レオポルトは気にした様子もなく、媚びるような笑みを浮かべて言った。


「私はね、お嬢さん。あなたに宿を提供して差し上げたいんですよ。ストレリチア家の名前を出せば、街一番の高級宿であっても半値で泊まることができるでしょう。何なら無料で食事の供を受けられるよう、口添えをして差し上げてもいい」


「大した慈善家だな……。当然、何か見返りを求めているのだろうな?」


「見返りだなどと。まぁ……強いて言うなら、見目麗しい女性を近くに置いておきたいといったところでしょうか。アバンチュールは無聊ぶりょうな日常に刺激をもたらしてくれますからね」


「……やはり狙いはそこか。人助けが聞いて呆れるな」


 深々と息をつき、これ以上の話は無用とばかりにレオポルトに背を向ける。男爵の称号を持っている人間ですら下心でしか動かないのかと思うと、この国の底の浅さが露見したように感じた。


「私は諦めませんよ、お嬢さん。ストレリチア家の人間は、欲しいと思ったものは必ず手に入れるのですからね。そう、どんな手段を使っても」


 宣戦布告するようなレオポルトの声が背後から飛んできたが、オリヴィエは振り返らなかった。この虫唾が走る男と一秒でも顔を合わせていたくなかった。

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