花騎士の矜持

 五分もかからずに準備を終え、オリヴィエは宿舎を飛び出して王城に向かった。

 白亜の城は昼間と同じ壮麗さを保って闇の中に鎮座していたが、今、その周りに害虫のように金色の集団がひしめいていた。金騎士団の騎士だ。城が近づくにつれて男達の雄叫びが耳を突き、剣戟けんげきの音が激しさを増していく。どこかから火の手が上がっているようで、時折火の粉が空を舞っては、漆黒の空を血のように赤く染め上げていく。


 城門まで辿り着いたオリヴィエは立ち止まって辺りを見回した。花騎士団の騎士が金色の騎士とあちこちでつば迫り合いを続けている。花騎士団の鎧が様々な色を成しているのに対し、敵側の鎧は金色で統一されている。花のごとき色とりどりの鎧が闇の中で動き、それに応じて金色の鎧が闇の中で瞬く。その姿は花と星の共演を見ているようだったが、時折上がる呻き声や血飛沫が、それが決して煌びやかなショーではなく、文字通り死の舞踏であることを物語っていた。


 闇の中で騎士の鎧の色を判別するのは難しかったが、それでもグラジオの赤銅しゃくどう色の鎧がないことはわかった。別の場所に移動したのかもしれない。

 オリヴィエは少し考えた後、城門の先にある玄関ホールに向かうことにした。城門を突破した騎士を食い止めるには玄関ホールで防衛線を貼るしかない。そこにグラジオはいると考えたのだ。


 オリヴィエは玄関ホールに駆け出そうとしたが、そこで背後から刃が空を掠める音がした。振り返ると、金色の騎士が二人して彼女に剣を向けているのが見えた。


「ここから先には行かせぬぞ、花騎士団の騎士」

「我が主君の悲願達成のため……貴様にはここで消えてもらう!」


 金の騎士二人が言って剣を構える。彼らの足元には赤と青の鎧を着た騎士が転がっていた。鎧の下から血潮が染み出している。


「……敵を一人倒して調子づいたか」オリヴィエが静かに言った。「だが、私がその者達の二の舞になるなどと思わないことだ」

「随分と自信があるようだ。単なる虚勢でなければいいのだが」金の騎士が言った。

「虚勢などではない。貴様らは私が誰か知らないと見えるな」

「一介の騎士の名になど興味はない」もう一人の金の騎士が言った。「所詮は我らの剣のさびになるだけの存在。名前を覚えるだけ徒花あだばなというものだ」

「……私も見くびられたものだな。だが、これを見ても同じことが言えるかな?」


 オリヴィエが兜の後ろに手を入れ、しまいこんだ自分の髪を取り出す。はらりと風に舞う翠色みどりいろの髪を見た瞬間、二人の騎士が身を強張らせたのがわかった。


「その髪……。貴様まさか、『翠色すいしょくの騎士』か!?」

「そうだ。そしてこの剣は、『銀風ぎんぷうの騎士』から受け継いだものだ」鞘からエリアル・ブレードの剣身を覗かせる。「貴様らは戦いを挑む相手を間違えたようだ。ここで大人しく降伏するか?」

「くっ……戯れ言を。敵前逃亡など弱者の振る舞い。誰が相手であろうと打ち倒すのみ!」

「なるほど。見上げた闘志だ。だが懸命な判断ではなかったようだな」


 言った傍からオリヴィエが鞘から剣を抜き出して振るう。一瞬の静寂の後、一人の金の騎士の首筋から勢いよく血飛沫が噴き出した。飛び散った鮮血が金色の鎧に降りかかり、花の国章の上に斑模様を刻む。何が起こったのかも理解しえぬまま、攻撃を受けた騎士はその場にくずおれた。残った方の騎士は、一瞬で相方が葬られたことで兜の奥の目を白黒させている。


「この国を荒らす者に容赦はしない。全員まとめて葬ってくれる」


 冷徹な声で告げ、オリヴィエが単身となった騎士に剣を向ける。

 金の騎士は生唾を飲み込んだ後、自棄になったように叫びながらオリヴィエに襲いかかっていった。








 城門で死闘が繰り広げられている頃、玄関ホールでは花騎士団の騎士たちが敵の侵攻を食い止めていた。

 ここが防衛線である以上、参集した騎士も自ずと精鋭揃いになっていた。グラジオ、ルドベキア、ズオウ。彼らの卓抜した腕の前には敵勢も太刀打ちできず、深紅の絨毯の上には次々と金色の遺骸が積み上げられていった。


「そこ! 右だ! 右から攻撃が来るぞ!」

「余所見をするな! 後方から敵が迫っているぞ!」


 グラジオの怒号がホールを貫く。彼は自身も敵の相手をしながら、周囲に視線を走らせては矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。


「騎士十名が新たに侵入! 主塔に向かっています!」ある若い騎士が叫んだ。

「十名だと? すぐに鎮圧しろ!」グラジオが唾を飛ばす。

「駄目です! 数が多くて抑えきれません!」


 騎士の怒号が飛び交う中、金の騎士の一団がときの声を上げながらホールになだれ込んできた。二名の花騎士が行く手を阻もうとするがあっという間に蹴散らされる。


「主塔には武器庫がある! そこを押さえられると我らに勝ち目はないぞ!」

「しかし、この数では……! うわっ!」


 敵の刃が眼前を掠めて若い騎士は慌てて身を引いた。さらに二名の金の騎士が戦闘に加わっため、彼はグラジオとの会話を中断せざるを得なくなった。


「金騎士団め、噂に聞いていたよりも遙かに兵力を増している」グラジオが忌々しそうに兜の奥の顔を歪めた。「捕虜を利用したか、いずれにしても姑息な奴らめ……」


 一刻も早く主塔に向かう一団を食い止めたかったが、あいにくグラジオの前にも五人の金の騎士が控えていた。自分達が場を制圧していることに調子づいたのか、十名の金の騎士は階段を駆け上がりながら再び鬨の声を上げた。


 その時だった。一団の先頭にいた金の騎士が急に動きを止めた。びくりと身体を痙攣けいれんさせた後、突っ伏す格好で床に倒れ込む。後続の騎士は当惑した顔で一斉に足を止めた。


「いけませんね。人の庭で無作法な振る舞いをしては。それでは騎士の名が泣きますよ」


 前方から冷静な声がした。一団がその方を見ると、鉄色くろがねいろの鎧をまとった騎士が柱の陰からゆらりと姿を現した。ルドベキアだ。手にした細身の剣から血が滴り落ちている。


「武器庫は騎士にとって神聖な場。部外者が荒らすことは許しませんよ」


 落ち着いた口調で言い、ルドベキアが軽く剣を振るう。ひゅん、という音と共に刃が弧を描き、近くの窓から垂れ下がっていた旗が真っ二つに切り裂かれた。金の騎士達が血の気の引いた顔で後ずさりし、急いで撤退しようとしたが、今度はしんがりを務めていた騎士が急に呻き声を上げて倒れた。巨大な剣が兜にめり込んでいる。


「へっ、何でぇ、一撃かよ。口ほどにもねぇ奴らだぜ」


 赤紫色の鎧を着た大柄な騎士が言った。ズオウだ。丸太ほどもある両手剣を片手で軽々と持ち上げ、肩に担いでからぐるりと金の騎士の一団を見回す。


「このズオウ様がいる限りここから一歩も進ませねぇよ。せいぜい安らかにおねんねできるようお祈りしとくこったな」


 鼻息荒く言ってズオウが大剣を振るう。ごっ、という音と共に突風が起き、近くにあった柱が音を立てて真ん中から崩れた。柱の傍にいた金の騎士が青ざめた顔で身を引く。


「ほう、驚きましたねズオウ殿。まさかあなたが援護射撃をしてくださるとは」ルドベキアが意外そうに言った。

「好きで助けてんじゃねぇよ」ズオウが顔をしかめた。「お前は新入りのくせに強くて、本当のこと言えばあの女騎士と同じくらい気に入らねぇ。でもこんな時まで仲違いしてもしょうがねぇし、一次休戦ってわけだ」

「なるほど、懸命な判断です。あなたが騎士の誇りを失っていないことに敬服いたしますよ」

「そういう馬鹿丁寧なとこも気に入らねぇんだよな……。まぁいい、とっととやるぜ」

「ええ、花騎士団の誇りにかけて」


 ルドベキアが一揖いちゆうして剣を構え、ズオウも大剣を振り上げる。逃げ道を塞がれた金の騎士達は狼狽えながらも自身の剣を抜いた。


 それを見てグラジオは安堵した。彼ら二人がいれば急襲部隊を殲滅せんめつすることもできるだろう。グラジオは前方に向き直ると、自分に襲いかかってきた五人の騎士を一太刀でぎ払った。騎士五人が床に将棋倒しにされる。


「グラジオ隊長!」


 激しい剣戟が繰り広げられるホールに別の声が飛び込んできた。グラジオが視線をやると、翠色の髪をなびかせながら城内に走ってくる白い甲冑の騎士の姿があった。


「オリヴィエか、よく来てくれた。城門はどうなっている?」

「敵は多勢でしたが、先ほど殲滅しました。間もなくこちらに援軍が来るかと」

「そうか、こちらも今のところ善戦している。ホールより奥に侵入した者はないはずだ」

「それは何よりです。『蒼炎そうえんの騎士』もこちらに?」

「いや、奴はここにはいない。城門の方にはいなかったのか?」

「はい。ですからいち早く城に侵入したものと思っていたのですが……」

「ふむ……。となると、もしや城壁側から侵入したのかもしれんな」

「城壁側から?」オリヴィエが眉を上げる。「しかし、あそこは人がよじ登れるような場所ではありませんよ」

「わかっている。だが万一ということもある。念のために陛下のご様子を見てきてくれるか?」

「承知しました」


 軽く頷いてオリヴィエはホールを駆け抜けた。剣戟に混じって呻き声が聞こえたので視線を向けると、金の騎士が束になって階段を転がり落ちていくのが見えた。階段の上部と下部にはルドベキアとズオウがいる。王国の窮地に際して彼らも協力関係を結んだらしい。


 オリヴィエは階段横を走ってホールを抜けようとしたが、そこで廊下へ続く吹き抜けの前で立ち往生しているシャガの姿が目に入った。シャガは剣こそ手にしているものの、視線を左右させるばかりで一向に参戦する気配がない。


「あ……オリヴィエ! 来てくれたのか!」オリヴィエに気づいたシャガが声を上げた。「城門の前、大量だったろ? 大丈夫だったのか?」

「あぁ。数は多いが雑魚ばかりだった。時間をかけるまでもない」

「マジかよ。すげぇなお前……。俺なんか参加すらできてねぇのにさ。どこにいたらいいかわかんねぇからここ来てみたけど、みんな動き速すぎて全然ついてけなくてさ……」


 確かにホールにいる金の騎士は城門で戦った相手よりも手練れのように思える。経験のないシャガが臆するのも無理はない。それでも敢えてオリヴィエは言った。


「実力に差があるのは仕方がないが、見物を決め込むのは感心しないな。倒すことまではできずとも、せめて迎え撃つくらいの気骨を見せたらどうだ?」

「で、でもよう……もしやられたらって思うと怖くてさ……」

「ここには隊長がいらっしゃる。お前を見殺しにするような真似はなさらないだろう」

「いや、でもさ……」

「くどいぞシャガ、私が何のためにお前に稽古を付けたと思っている?」


 語気を強めて言い、オリヴィエがシャガとの距離を詰める。長身の彼女に見下ろされてシャガが気圧されたように身を引いた。


「シャガ、お前は騎士だ。騎士の務めは何だ? ここで突っ立って戦況を見守ることか?」

「それは……」

「お前は強い騎士になりたいと言った。強い奴と戦うことで自分を磨きたいのだとな。ならばここで実践を積み、覚悟が付け焼き刃ではないことを証明したらどうだ?」


 一息に言ってシャガを見下ろす。シャガは視線を落として黙りこくっていたが、すぐに顔を上げると、勢い込んで頷いた。


「わかったぜオリヴィエ! 俺、頑張る! 金騎士団の奴らなんかに負けてたまるかってんだ!」


 そこでオリヴィエの背後に人の気配がした。剣が空を斬る音。それが到達するよりも早くオリヴィエは身をひるがえした。前方を視認。敵は二人。いずれも真新しい金の甲冑に身を包んでいる。新参の騎士だろうか。


「オリヴィエ、ここは俺に任せろ! 俺があいつらを食い止めてやる!」


 シャガが声を張り上げて叫び、両手で剣を掲げて騎士へと向かっていく。一人の騎士の攻撃が右前方から飛んできたがシャガは身を引いて攻撃をかわし、次いで左からの攻撃も回転して避けた。二つの剣が交差したところで、シャガはその下を潜り抜けて二人の騎士の背後に回り込み、左側にいた騎士に不意打ちを食らわせた。振り向きざまにかざされた剣に攻撃は阻まれてしまったが、シャガは気落ちした様子を見せずに次なる好機を狙っている。


(……それでいい。今のお前なら、奴らに一方的に敗れることもないだろうからな)


 オリヴィエは横目でシャガの戦いを確認すると、一人廊下を駆けていった。

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