命運尽きて
失われた力が少しずつ蘇るのを感じながら、オリヴィエは改めてギルベルトを見据えた。私が彼に
今の彼女には、自分の進むべき道がはっきりとわかっていた。自分はやはり騎士であり、帰るべき場所はエーデルワイス王国しかない。今も自分を待つ主人のためにも、卑劣な策の前に屈するわけにはいかなかった。
「……そうかい」
ギルベルトが低く呟いた。美しい追想に浸っていたオリヴィエは、そこでようやく目を開けて彼の方を見た。
ギルベルトは呆然とした様子で寝台に腰かけていた。項垂れているので顔は見えない。
オリヴィエは最初、
「ふうん……。そうかい。残念だねぇ……。お前が侯爵夫人になるってんなら、それに相応しい扱いをしてやろうと思ったんだが……お前はそれを撥ねつけるってわけか……。だったら俺も……ここらでやり方を変えさせてもらわねぇとな」
そこでギルベルトが不意に顔を上げ、その目がまっすぐにオリヴィエを捕らえた。
三白眼の瞳は、最初に彼と相対した時と同じ――猟犬のごとき獰猛さを
次の瞬間、ギルベルトは勢いよく立ち上がると、オリヴィエの手を乱暴に摑んで床に引き摺り下ろした。オリヴィエは床に仰向けに押しつけられ、その上にギルベルトが覆い被さってくる。ぎらぎらと光る目には先ほどまでの抑えつけた様子はなく、はっきりとした欲望の色があった。
「……お前はそこらにいる女と変わらねぇ。だったらもう遠慮はいらねぇってことだ」
低い声で呟きながらギルベルトがオリヴィエのドレスの肩に手をかける。彼の目的を察したオリヴィエは身をもがいて抵抗しようとした。膝蹴りを食らわせ、腕に噛みつこうとする。
だが、ギルベルトはそのたびに倍以上の力でオリヴィエを押し返してきた。痩身からは想像もつかないほどその力は強く、まさに獰猛な獣を相手にしているかのようだった。
肩からドレスを引き剥がそうとしていたギルベルトだが、上手くいかないことに業を煮やしたのか、矛先を胸部に変えてきた。彼の手がとうとう一線を越えようとするのを見て、オリヴィエは素早く身体を反転させてうつ伏せになった。
だが、それは懸命な手とは言えなかった。ちょうど背中のファスナーを彼の前に晒すことになってしまったのだ。
気づいた時にはすでに遅く、ギルベルトはファスナーに手をかけ、力任せにそれを下ろそうとした。が、急いで下ろしたせいで布を巻き込んでしまい、ファスナーは背中の中ほどで止まった。その隙にオリヴィエはピンヒールで彼の顔面を蹴り上げようとしたが、頭を床に押しつけられているせいで上手く狙いを定めることができなかった。
そうした攻防を繰り返しているうちにギルベルトも苛立ってきたのか、ファスナーを下ろすのを諦めて背中にある継ぎ目に手をかけた。ドレスを強引に引き裂くつもりなのだろう。オリヴィエは自分も猛獣のように暴れながら彼の手を払い除けようとしたが、ギルベルトは信じられないほど強い力で彼女の動きを抑えつけた。
抵抗が効かないのを知ってオリヴィエは愕然とした。やはり力では男に叶わないのか? 剣を持たない以上、私は無力な女に過ぎないのか? 諦観が脳裏を掠め、追い打ちをかけるように繊維の千切れる音がする。びり、びり、という耳障りな音と共に背中が冷気に晒されていく。自分が再び
だが、ギルベルトが腰まで一挙に一挙に繊維を引き千切ろうとしたその時、部屋から別の音が聞こえた。人の怒号。次いで金属音。ギルベルトの意識がそちらに逸れた隙にオリヴィエは体当たりを食らわせて彼を跳ね飛ばした。急いで彼の下から抜け出して立ち上がり、壁際に下がる。幸い、繊維の破られた範囲は少なかったようで、露わになった肌は背中の上半身で止まっており、ドレスがずり落ちるような醜態を晒すことはなかった。
ギルベルトは直ちに起き上がってオリヴィエを追ってきたが、そこで外から乱暴に扉が打ちつけられ、何度か音がした後に蹴破られた。すぐさま何人かが部屋に入ってくる。
衛兵? オリヴィエはその方に視線をやったが、そこで驚愕に目を丸くした。そこには見覚えのある姿があった。金色の甲冑を
金騎士団は何名もいるらしく次々と部屋になだれ込んでくる。開いた扉の隙間から、見張りの衛兵が倒れているのが見えた。先ほど聞こえた金属音は彼らの
しかし、なぜ金騎士団がここに? オリヴィエは最初、彼らが自分を捕らえにきたのかと思ったが、そうではなかった。彼らの剣の切っ先は、オリヴィエではなくギルベルトに向けられていた。
「ギルベルト・ヘル・グロキシニア! 誘拐及び婦女暴行の罪で投獄する!」
半円状にギルベルトを取り囲んでから戦闘にいた金の騎士が叫ぶ。ギルベルトは困惑した様子を見せたものの、すぐに口の端を持ち上げて笑った。
「おいおい……こりゃ何の冗談だ? お前ら、何の権利があって俺様の屋敷に踏み込んでやがるんだ?」
「ある方から通報があったのだ。お前が女性を
「以前からお前には女人暴行の疑いがあったが、証拠がないため投獄には至らなかった。しかし今はこうして現場を押さえている。言い逃れはできぬぞ!」
「はっ。騎士風情が、生意気なこと言いやがって……。てめぇら誰に向かって口聞いてるかわかってんのか? 俺は侯爵様なんだぜ? 国王にだって顔が利く。俺をぶちこんだりしたらどんな目に遭うかわかってんだろうな?」
「確かに陛下と侯爵一家は長年懇意にしておられた。だが、前当主が逝去して以降、陛下はお前の暴虐ぶりを憂慮しておられてな。即刻爵位を剥奪せよとのお達しだ」
「何だと?」
さすがに動揺したのかギルベルトが眉を上げる。その間に金騎士団が彼に詰め寄った。
「とにかく、我々と一緒に来てもらおうか。お前の処分は追って決めることになるが、調べれば多くの罪状が判明するはず。懲役十年は下らないだろうな」
「爵位なき今、お前を守る者はもはや何もない。大人しく裁きを受けるがいい」
金騎士団がさらにギルベルトに迫る。ようやく事の切迫性を理解したのか、ギルベルトの顔に次第に焦りが滲んできた。刃の切っ先から逃れるように後ずさるも、すぐに巨大な寝台に阻まれて身動きが取れなくなる。
オリヴィエはカーテンの影に隠れて一部始終を見守っていた。どうやら金騎士団は、自分が仲間の仇である『
それにしても――金騎士団の方を見やりながら考える。宿敵である彼らに助けられるとは、何とも因果な運命もあったものだ。
しかし今は、この運命に感謝しなければならないだろう。悪運が尽きたのは、自分ではなくギルベルトの方だったというわけだ。
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