裁きの時

「は……はは……こりゃ傑作だ……。てめぇら……、本気で俺を捕まえられるとでも思ってんのか……?」


 ギルベルトが引きった顔で笑声を挙げる。彼がわずかに身を動かしたのを見て金騎士団が一斉に剣を向けたが、彼はそれでも笑うのを止めなかった。背後にある寝台に腰かけ、枕に片手をついて小刻みに肩を震わせる。


「お前らは俺を追い詰めた気でいるかもしれねぇが……俺からしたらとんだお笑い種さ。俺の力はなぁ……爵位なんかに左右されるようなやわなもんじゃねぇんだよ……」


 歪んだ笑みを浮かべながらギルベルトが枕の下に手を突っ込む。てっきり拳銃でも隠しているのかと思ったが、彼が取り出したのは呼び鈴だった。

 ギルベルトがそれを振るうと、緊迫した場に似つかわしくない軽やかな鈴の音が響いた。数瞬の静寂の後、廊下からどやどやとした足音が聞こえてくる。間もなく扉が大きく開かれ、槍を持った衛兵が何人も姿を現した。全員、無表情で槍を構えて金騎士団を見つめている。


「こいつらは俺の忠実な手下だ! 俺の命令なら盗みでも殺しでも何だってする! お前ら全員この場で息の根を止めてやるぜ!」


「だが、貴様にすでに爵位は……」金の騎士が呟く。


「爵位なんざ関係ねぇ! こいつらは俺の兵士だ! 俺個人のな!」


 高らかに告げたギルベルトの声に呼応するように手前にいた衛兵が槍を振り上げ、何の迷いもなく目の前にいた金の騎士に突き刺した。

 一瞬の静寂。次いで血飛沫が天井を染め上げ、間もなく断末魔の叫びと共に金の騎士がくずおれる。仲間の死を目の当たりにして、残りの金騎士団が気圧されたように身を引いた。


「さぁやれ! この俺に楯突いたことをあの世で後悔させてやれ!」


 ギルベルトの命令と共に衛兵が一斉に行動を開始する。金騎士団もギルベルトを包囲するのを止めて彼らに向き直った。剣と槍が部屋の至るところで交差する。次いで怒号、呻吟しんぎん、鮮血。閨房けいぼうは一瞬にして血塗れの戦場と化した。


 オリヴィエは固唾を呑んで事態を見守っていた。金騎士団と衛兵の実力は互角のようで、衛兵が槍を一突きすれば金の騎士が剣の一閃を繰り出し、金の騎士が一人倒れれば別の場所で衛兵が倒れることを繰り返していた。床に倒れる人間の数は一分ごとに増え、死屍累々ししるいるいとした寝室は足の踏み場もないほどだった。


 部屋を見回している途中で、オリヴィエはギルベルトの姿がないことに気づいた。戦闘の混乱に乗じて脱出したらしい。

 逃がすものか――駆け出そうとしたところで何かが前方を掠めた。ひゅっ。それは落命した騎士が落とした剣のようで、オリヴィエの前にある床に突き刺さった。薄闇に包まれた部屋の中で、金色の刃が燦然さんぜんと輝いている。


 オリヴィエは立ち止まって金色の剣を見つめた。それから室内、廊下と順番に確認し、今自分が為すべきことを理解した。








 戦闘は寝室以外の場にも広がっており、屋敷中で間断なく金属音が響いていた。煌びやかだった黄金の宮殿は金の騎士と衛兵の遺骸で埋め尽くされ、今や廃屋敷のような外観を呈している。


 ギルベルトは大急ぎで廊下を駆け抜けて自室に向かっていた。最初は庭園から逃走するつもりだったが、そこにも金騎士団が配備されていたため、計画を変更することにしたのだ。

 彼の自室は元々父親の書斎として使っていたもので、万一の場合に備えて秘密の通路が用意されていた。最初に父親からその話を聞いた時には、ギルベルトは子ども騙しの絡繰からくりだと一笑に付したものだが、今やその絡繰りに感謝していた。子ども騙しでも何でもいい。今はその通路だけが、自分の露命を繋いでくれる。


 衛兵と騎士の死体を踏みつけてギルベルトは自室に辿り着くと、室内に飛び込んで扉を閉めた。耳を澄ませ、室内に誰も潜んでいないことを確認する。誰もいない。

 ギルベルトは胸を撫で下ろすと、部屋の奥にあるマホガニー製の机を見やった。この机の下の床板をめくると隠し通路があるのだ。そこまで逃げれば金騎士団も追っては来られないだろう。


 ギルベルトは口元に笑みを浮かべて机に向かおうとしたが、そこでうなじに何か固くて冷たいものが突きつけられるのを感じた。立ち止まって振り向こうとした刹那、首筋から伝わる感触以上に冷たい声音が耳に届く。


「……どこへ行く? 侯爵。私の相手をしてくれるのではなかったのか?」


 振り向かずとも声の主がわかり、ギルベルトの顔から一瞬で笑みが消えた。同時にうなじに突きつけられているものの正体も理解する。

 壊れた機械のようにぎこちない動きで首を振り向けると、彼が予想していた通りの光景が目に入った。オリヴィエが自分の首筋に剣を突きつけている。ドレスに剣という取り合わせはひどく不釣り合いだったが、彼女の身にその二つが集うと、まるで戦女神のように気高く見えた。


「お……お前……なんで……?」掠れた声で問いかける。


「どうして拘束を解けたのかという質問か? 金騎士団が落とした剣を使ったのだ。さすがに王室召し抱えの騎士団だけあり、剣の切れ味も優れたものだ」


「じゃ……じゃあ……その剣も……?」


「そうだ。自分の剣を探している暇はなかったので拝借することにした。だがかえって好都合かもしれん。お前の血で愛剣を汚さずに済むからな」


 顔色一つ変えずにオリヴィエは言ってのける。その表情から、彼女がただの脅しで剣を向けているわけではないことをギルベルトは知った。たちまち顔から血の気が引き、滝のように吹き出す冷や汗が体温を急降下させていく。


「お……俺を……殺すつもりなのか……?」


「さて、どうするかな。お前は私が今まで出会ってきた男の中でも最も卑しく、唾棄だきすべき悪漢だ。生かしておく理由は欠片もないと思うが」


「だ……だが……お前は……、無用な殺生は……しない、はず……」


「その通り。だが、必要とあらば命を絶つことにためらいはない。お前はこの地方のあらゆる人々を苦境に追い込み、私を含む多くの女をはずかしめた……。処刑の理由としては十分だ」


「か……、考え直せ……。俺を殺したところで……お前には、何の得も……」


「確かに私個人としては貴様の命など欲しくもない。貴様が投獄され、正当な裁きを受けるならそれもよかろう。

 だが貴様は策士だ。性懲りもなく計略を巡らせ、罰を免れようとしないとも限らん。そうすれば害を被るのはノウゼン地方の人々だ。彼らがこれ以上の辛酸を舐めることのないよう、悪しき芽は摘み取らねばならない」


 剣を握る手に力がこもる。ノウゼン地方で出会った多くの人々――。アニス、マルコ、リア。その他名前も知らない多くの人々がこの男の暴政によって苦しめられてきた。彼らの窮状を間近で見てきたオリヴィエとしては、この男が法の網を掻い潜り、再び猖獗しょうけつを極める危険性を看過することはできなかった。


 ギルベルトが顔を引きらせて後ずさる。オリヴィエは彼の胸にぴたりと剣の刃先を添え、同じだけの間合いを保って彼に詰め寄った。そろり、そろりとギルベルトが後退し、やがてマホガニー製の机の手前まで来る。ギルベルトはそこで不意に口元を歪めると、しゃがんで剣をかわし、机の反対側に回り込もうとした。秘密の通路から逃げるつもりなのだ。


 だが、オリヴィエには彼の考えなどお見通しだった。彼とは別方向から机の反対側に回り込むと、床板を外そうと屈みこんでいたギルベルトの首前に剣身を当てた。ひやりとした感触が喉仏を撫でる。まるでそこに死神の手が触れているような気がして、ギルベルトは顔を凍りつかせて床板から手を外した。


「……立て。それともこのまま首を切り落とされたいか?」


 冷ややかな声でオリヴィエが告げる。ギルベルトは恐怖に瞳をわななかせながら立ち上がった。三白眼の鋭さも、人を食ったような笑みももはや影も形もなく、今にも泣きだしそうな情けない子どもの顔だけが残されている。

 こんな男に自分が弄ばれていたのだと思うとオリヴィエは腸が煮えくり返りそうになったが、感情に捕らわれてはいけないと自分に言い聞かせた。再び彼の胸に剣を突きつけ、壁際まで追い詰める。棚に阻まれて逃げ場を失ったところで首筋をゆっくりと刃先で撫でた。刃が皮膚を舐めるたびにギルベルトが半狂乱になって悲鳴を上げる。人を甚振いたぶる趣味はないが、彼にはこのくらいの恐怖を与えてやるべきだと思った。

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