断罪と迷い

「さて……今日はもう遅い。私もお前も、少々夜遊びが過ぎたようだ。この辺りで眠りにつく頃合いだろう」


 遊戯の終わりを宣言し、首筋を撫でていた剣を胸まで下ろす。ギルベルトは今や涙目になっていたが、それでもまだ、命乞いをするだけの気力は残されていた。


「ま……待て……。頼む……。許してくれ……。これからはもう……悪いことはしねぇって約束するから……」


「貴様の戯言を私が信じるとでも?」


「本当だ……。それに……俺が死んだら……侯爵家の血が……絶えちまう……」


「貴様はすでに爵位を剥奪された。元より侯爵家の血は今日で途絶えている」


「だ……だが……悔い改めれば……、爵位を……、取り戻すことだって……」


「それはどうだろうな。お前が爵位を取り戻そうと思えば一度の人生では足りないだろう。お前の罪はそれだけ重い。潔く罰を受け入れた方が身のためだと思うがな」


「グロキシニア家は……ノウゼン地方に古くから伝わる名家で……」


「それもお前の父の代までの話だ。お前は自身の悪行によって家名をも汚したのだ。お前に侯爵を名乗る資格はない」


 切れ切れに語を紡いでいたギルベルトが、とうとう言葉を失って項垂れる。どれだけ言葉を尽くしても命脈を保つことは不可能だと悟ったのだろう。

 彼が覚悟を決めたのを見て、オリヴィエもこれ以上の問答は不要と判断した。両手で柄を握り、剣を持ち上げる。


「……もし、貴様が本当に悔い改めるつもりがあるのなら、別の人間として生まれ変わることもできるだろう。神の御許みもとで悪しき魂を浄化し、自らの罪業を償うことだ」


 ゆっくりと振り上げられる金色の刃。そこに何か鮮やかな色のものが移る。ギルベルトの背後の棚の上に置かれている花瓶に生けられた花だ。寝室にあったものと同じ、ノウゼンカズラとグロキシニアの花。その主の運命を象徴するように、グロキシニアの赤い花弁が、ゆっくりと落ちるのが見えた。


「心を持たぬ悪の化身よ……花のひつぎで眠るがいい!」


 ひゅん。ひゅん。交差する刃はまっすぐにギルベルトの首筋を貫き、噴き出した血潮が彼の赤いシャツと一体化していく。血は間もなくフロックコートにまで到達し、首を抑えた彼の手もまた緋色に染め上げられていく。


 ギルベルトはふらつきながらも棚で身体を支えたが、間もなくバランスを崩して床にくずおれた。滑った手が棚の上に置かれていたものをぎ払い、先の花瓶も床に落ちて砕け散る。行き場を失ったグロキシニアの花は空中で花弁を舞わせた後、主の後を追うように遺骸の上に積もっていく。残されたノウゼンカズラの花も同様に花弁を散らし、葬列を行うように、命を終えた二つのグロキシニアの上に落ちていく。


 名誉の花が散りゆく様は、長年勝者の椅子に鎮座していた侯爵家が、その玉座から永久に退いたことを象徴しているように思えた。








 二組の花弁が散りゆく様を、オリヴィエは無言で見つめていた。やがて全ての花が落ちたところで改めて遺骸を見下ろす。


 ギルベルトは完全にこと切れていた。瞳孔は見開かれたままぴくりとも動かず、指先は強張って静止している。もう、その口が皮肉に歪められることも、その手が自分の上をい回ることもない。そう考えてもオリヴィエは少しも安堵を覚えず、むしろ身体が震えるのを感じていた。


 恐怖ゆえではない。人を殺めたのはこれが初めてではなく、死体を見下ろしたことは数え切れないほどある。

 ただし、自分が今まで手にかけてきたのは騎士や賊など、いずれも武器を持った人間だった。民間人を手にかけたのは今回が初めてであり、そのことで一抹の後悔を覚えていた。ギルベルトが処刑されるべき罪人であり、自分は悪を断罪したのだと言い聞かせても深憂が晴れることはなかった。


 私は所詮、彼に凌辱された恨みを果たしたかっただけではないのだろうか? 怒りに身を任せて剣を振るったつもりはなかったが、それでもあの太刀が私刑の様相を全く帯びていなかったかと問われれば自信がない。金騎士団に彼の身を引き渡し、処置を委ねる。それが正しい判断だったはずだ。そうすれば彼は本当に悔い改め、現世で罪をあがなうことができたかもしれない。

 だが、自分はその機会を奪い、彼をなぶり殺しにした。それは結局、彼と同じ穴のむじなであったことにならないだろうか?


 オリヴィエは悶々としながら遺骸を見つめていたが、やがて小さくため息をついて遺骸に背を向けた。

 どれだけ悔いたところで彼の命が戻ることはない。ならばせめて、彼の魂が神の御許で清められ、善人として生まれ変われるよう祈ることにしよう。いずれ自分も裁きを受けるかもしれないが、その時は甘んじて受け入れようとオリヴィエは考えた。


 オリヴィエが一人考えに耽っていると、不意に廊下からどやどやと足音が聞こえた。

 衛兵の残党? オリヴィエは咄嗟に剣を構えたが、部屋に入ってきたのは衛兵ではなく金騎士団だった。咄嗟に剣を下ろしたものの、手放す気にはなれない。

 金騎士団は部屋を見回し、オリヴィエを見つけると近づいてきて声をかけた。


「おお、こちらにいらっしゃいましたか! 探しましたぞ! あの男と共にいなくなっておられたようなので、また拉致されたのではないかと危惧していたのです」


「……拉致はされていない。私は……」


 何と言葉を続ければよいものかわからず、後方にある遺骸にちらりと視線をやる。金の騎士は遺骸を見つめ、次いでオリヴィエがぶら下げた剣に視線を移し、納得した様子で頷いた。


「なるほど。あの男に襲われそうになったところを応戦したのですね。ですがご安心ください。このような状況下では罪に問われることはありません」


「いや、私は……」


 訂正しようとしたところでオリヴィエは口を噤んだ。彼らは自分の正体に気づいていない。ならば、自分が彼を葬ったことをわざわざ知らせることはないだろう。もちろん、傷口を調べれば素人の手によるものでないことはすぐに判明するだろうが、金の騎士は遺骸を調べようとはしなかった。


「もう一人のご婦人も我々が救出しました。あちらの方もお怪我はないそうですよ」


「それは何よりだ。後は……馬と荷物があるはずだが、そちらはどうなっている?」


「馬は厩舎に繋がれていました。荷物も、袋に入れて応接室の隅に置いてあったのを回収してあります。随分と重いようでしたが、何が入っているのですか?」


「それは……個人的なものなので、できればお話しするのは控えたいのだが」


「ああ、そうですね。不躾な質問をしてしまい申し訳ありませんでした」


 金の騎士が訝る様子もなく頷く。おそらく袋の中には自分の剣と鎧が入っているのだろう。金騎士団が中身を改めなかったことにオリヴィエは心から安堵した。


「それにしても災難でしたね。我々が駆けつけるのが後少しでも遅ければ、あなたは今頃奴の餌食になっていましたよ」


「……ああ、そうだな。助けてくださったことに感謝申し上げる」


「礼ならば、我々に通報した方に言ってください。ちょうど外でお待ちですので」


「外? この屋敷にその人が来ているのか?」


「はい。我々と共に参じてくださいました。庭園でお待ちですので、ご案内します」


 金の騎士がさりげなくオリヴィエから剣を取り上げ、彼女の手を引いて廊下へと案内する。オリヴィエは訝りながらも従った。近くで話しても金の騎士はやはり自分の正体には気づいていないらしい。以前戦った時はいずれも兜を被っていたので顔を知られていないのはわかるが、この髪を見ても気づかないものだろうか。


 そこで扉の前にある姿見が目に入り、オリヴィエは鏡に映る自分の姿を見つめた。ローカットの紫色のドレスは身体のラインがはっきりとわかり、上がらないファスナーと裂かれた繊維のせいで背中が半分ほど見えてしまっている。肌を多く晒した姿は娼婦か、好意的に見ても大胆な令嬢にしか見えない。

 なるほど、この姿であれば、自分を騎士と思わなくても無理はない。オリヴィエは今日初めてこの趣味の悪いドレスに感謝した。

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