新たな役目

 それから数週間が経ち、舞踏会まで後二日を残すところとなった。

 城では召使いによる飾り付けが進められ、白亜の城はいっそう絢爛けんらんな様相を呈していた。金色のモールが窓から窓へと渡され、トリトマの森や庭園から集めた花がそこに彩りを添えている。会場である広間は徹底的に清掃が行われ、大理石に顔が映るほどぴかぴかに磨き上げられていた。庭園の草木は庭師による剪定せんていが施され、絵画と見紛うような美しい光景が一面に広がっている。


 そんないつもにも増して煌びやかな城内をオリヴィエは一人歩いていた。アイリスから呼び出しを受けたのだ。何やら緊急の用事のようで、訓練終了後にすぐに部屋に来てほしいと遣いから言伝を受けた。アイリスがそこまで急かすとは珍しい。いったい何事だろう。オリヴィエは疑念を抱えながら彼女の部屋へと急いだ。


 部屋の前に到着し、扉をノックすると待っていたかのようにアイリスがすぐさま扉を開けた。オリヴィエの姿を見ると心底安堵した顔で息をつく。


「あぁ……よかったオリヴィエ、来てくれたのね。ごめんなさい、急に呼び立てたりして」

「いえ、構いませんよ。それよりも何かあったのですか?」

「あのねオリヴィエ、私、どうしてもあなたに頼みたいことがあるの。明後日の舞踏会のことなんだけど」

「警備のことなら心配はご無用です。広間の東側で待機し、王族の座席付近を警護せよとの命令をグラジオ隊長から受けていますので」

「ええ、それはわかってるわ。私がお願いしたいのは警備じゃなくて、あなたに舞踏会に出てほしいってことなの」

「私に?」


 予想外の申し出に、オリヴィエは目を眇めてアイリスを見やった。アイリスは頷いて続けた。


「そうなの。実はご招待していたシュバルツ家のご令嬢が高熱を出してしまって、今朝欠席の御連絡を受けたの。だから人数が足りなくなってしまって、代わりにあなたに出てほしいのよ」

「ですが……なぜ私に? 貴族のご令嬢なら他にも招待なさっているでしょう」

「殿方とご令嬢が同じ人数になるように招待状を出したから、このままだとダンスのお相手のいない方が出てしまうの。私はお招きしてる側だから、ダンス以外にも皆さんのお相手をしないといけないし……」

「私はダンスなど踊ったことがありません。令嬢の代わりなど務まりませんよ」

「そんなに難しく考えなくていいのよ。相手の方がリードしてくださるのに合わせていればいいんだから。それに全員で踊るのは最初と最後だけだから、他の時間は休んでいればいいわ」

「二曲だけであれば、なおさら無理に人を選出する必要はないでしょう。第一警備はどうするのです?」

「それは大丈夫。お父様に頼んで代役を立ててもらったから。ルドベキアさんだったかしら? あの方があなたの代理を務めてくださるそうよ」


 ルドベキアは当日非番だったはずだが、彼は舞踏会にはまるで関心がないらしく、いつも通り自主練習に励むと言っていた。彼が警護に当たるのであればゼラやアイリスの身辺を護ることはできるだろうが、それでもオリヴィエは気が進まなかった。


「いくら姫様のお頼みでも、今回ばかりは承服しかねます。私が舞踏会など……騎士の連中に物笑いの種を提供するだけです」

「そうかしら……。あなたは運動神経がいいから、ダンスもすぐに踊れると思うんだけど」

「懸念しているのはダンスだけではありません。ドレスを着て奴らの眼前に現れること自体が問題なのです。私が女であることを持ち出してはやし立てるに決まっている」

「そう……。わかったわ。あなたに無理をさせるわけにはいかないものね。他に臨席できるご令嬢がいないか探してみるわ」


 アイリスは肩を窄めてため息をつくと、部屋の奥にあるテーブルへと向かった。机上にある紙の束を持ち上げ、ぱらぱらと捲る。おそらく招待客の名簿だろう。名簿に視線を落とす表情は憂鬱そうで、いかにも残念がっている様子が窺える。


 アイリスの落胆した顔を見ているうちに、オリヴィエは居たたまれない気持ちになってきた。王族主催の舞踏会となれば、招かれる側の貴族にも相応の準備がいる。急に来られる者を見つけるのは容易ではないだろう。だからといって人数が欠けたままでは、主宰者であるアイリスやゼラの立つ瀬がない。


 オリヴィエは少し逡巡した後、小さくため息をついて言った。


「……わかりました。姫様のお望み通り、舞踏会に出ることに致しましょう」

「本当!?」アイリスがぱっと顔を輝かせた。

「ええ、私の個人的な事情のために、姫様のお手を煩わせるのは本意ではありませんから」

「でも、本当にいいの? 騎士の皆さんにドレス姿を見られるのは嫌なんじゃ……」

「連中は益体えきたいのないことを口走るでしょうが、好きに言わせておけばいい。身にまとうものが変わったからと言って、私が騎士であることに変わりはないのですから」

「そう。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら。あぁ、でもよかった。これで心置きなく皆様におもてなしができるわ。本当にありがとうね、オリヴィエ」


 アイリスが名簿をテーブルに戻し、オリヴィエの手を取ってにっこりと笑う。その笑顔はいつも通り花が開いたようで、心の底から喜んでいることが見て取れる。


 オリヴィエは主人の顔を見つめながら、この笑みを守れるのであれば、我が身に受ける侮辱など些事に過ぎぬ、と考えた。

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