纏う衣は
それから二日が経ち、いよいよ舞踏会の本番を迎えた。
夜の帳が辺りを包む中、多くの馬車が城の入口に乗りつけては、新調した夜会服を着こなした男や、最新式のドレスに身を包んだ女が次々と下りてくる。彼らはいずれも胸を張り、靴のかかとを鳴らし、尊大に頭をもたげて歩いている。まるで自分こそがこの舞踏会の主役だと主張しているかのようだ。警護に当たる騎士たちは恭しく賓客を出迎えながらも、不審な人物が紛れ込んでいないかと周囲に鋭い視線を走らせていた。
オリヴィエは広間に隣接した控え室でその様子を眺めていた。貴族はもちろん、騎士たちの動きにも問題はないかと目を光らせる。警備の指揮はグラジオが執っているはずで、自分が貴族や騎士を見張る必要はないのだが、少しでも普段と同じ振る舞いをして気を落ち着けていたかったのだ。
「ねぇオリヴィエ、私の格好、変じゃないかしら?」
背後から声をかけられてオリヴィエは振り返った。例の翡翠色のドレスを
オリヴィエは我知らずその姿に見惚れた。見慣れているはずの主人の姿が、今は全く知らない女性のように見える。
「いいえ……ドレスもその髪型も、とてもよくお似合いです。一瞬、どこのご婦人に声をかけられたのかと思ってしまいました」
「あら、それどういう意味?」
「普段と雰囲気が違っている、ということです。より洗練され、淑女らしくお見受けする」
「あら、普段の私は淑女じゃないっていうの?」
アイリスが頬を膨らませた。上品な装いには似合わない子ども染みた仕草が可笑しくて、オリヴィエはふっと笑みを漏らした。
「それよりオリヴィエ、あなたのドレス、本当にそれでよかったの?」
「ええ、私はあくまで代理ですから、衣服に
オリヴィエの衣装はアイリスが見繕ってくれたのだが、彼女が提案した明るい色の衣装をオリヴィエは全て断った。代わりに着ることに同意したのは、ほとんど飾りのない質素な黒のドレスだ。首から足元までをぴったりと覆うデザインで、ドレスというより喪服のように見える。亡くなった王妃、つまりアイリスの実母の部屋から偶然見つかったものだが、あまりに地味なデザインなので一度も着られる機会がなかったらしい。
「そう……。でも勿体ないわね。せっかくの舞踏会なのに黒のドレスだなんて」
「元より目立つ気はありませんから。私には相応の衣装でしょう」
「なら髪型は? いつもみたいに下ろしてるだけじゃ味気ないでしょう? 前もって言ってくれたら結ってあげたのに」
「服にも髪型にも頓着するつもりはありません。私は私のままでいるだけです」
「そう……。ならせめてアクセサリーをつけたらどう? このイヤリングなんていいと思うんだけど」
アイリスが傍らにある宝石箱から何かを取り出してオリヴィエに差し出す。それは小ぶりのイヤリングで、花の形にカットされたダイヤが何とも愛らしい。
「これならそんなに目立たないし、黒のドレスにも合うと思うの。ね、ちょっとだけ付けてみてくれない?」
「……仕方がありませんね」
オリヴィエが軽く息をついて少し身を屈める。アイリスは表情を綻ばせると、つま先立ちになってオリヴィエの右耳にイヤリングを付けた。指先がそっとオリヴィエの
「じゃ、準備はこれくらいでいいわね。そろそろ行きましょうか」
アイリスが言い、オリヴィエの手を取って広間へと誘っていく。オリヴィエはぎこちない足取りで後に続いた。途中、広間の外東側にちらりと視線をやると、無表情で立っているルドベキアの姿が目に入った。目が合うと無言で会釈してきたので、オリヴィエも会釈を返す。
その時、彼の背後に誰かがいるのが見えてオリヴィエは目を細めた。暗がりの中でも目立つ
オリヴィエは状況が飲み込めずに二人の間で視線を左右させたが、そこで昨日の訓練のことを思い出した。
舞踏会に出席するため、シャガに便宜を図れなくなったことをオリヴィエは詫びた。シャガは特に落ち込んだ様子も見せず、舞踏会を楽しんできてくれと快活に笑った。その会話をしていた時、ルドベキアが傍にいたのだ。
オリヴィエの物問いたげな視線に気づいたのだろう。ルドベキアが小さく口を動かして言った。
「……彼には私と共に警備に当たってもらうことにしました。これも訓練の一環ということで、グラジオ隊長にも許可をいただいております。ですから我々のことはお気になさらず、あなたはあなたの任を果たしてください」
ルドベキアは言葉少なに言うと、すぐにオリヴィエから視線を外してしまった。シャガも慌ててそれに倣うが、そのくせ何度もオリヴィエの隣に立つアイリスの方に視線をやっている。
オリヴィエはしばし二人の間で視線を交差させた後、ルドベキアに向かって無言で頷いた。彼にはいずれ何らかの形で礼をせねばならないだろうが、今は彼の言う通り、自分に課せられた任を果たすのが先決だ。そう心を決め、オリヴィエはアイリスと共に会場へ向かって歩き出した。
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