脱出
迫りくる男達の足音に耳を澄ませながら、オリヴィエは改めて辺りを確認した。目が慣れてきたのか、先ほどよりも周囲にあるものが識別できる。酒樽と積み上げられた粉袋。どうやら厨房に閉じ込められているようだ。
視線を脇にやったところで、壁際にエリアル・ブレードが立てかけられているのが見えた。武器を取り上げたものの、扱いに困って置いておいたのだろうか。
だが武器が近くにあるのは好都合だ。武器さえあれば、男の一人や二人瞬時にねじ伏せることができる。問題は、そこに手を伸ばすことができるかどうか。
ひとまず革紐の拘束を解かねばならない。幸い、足は拘束されていないので、手近にあるものを手繰り寄せることはできる。
手頃なものがないか視線を走らせたところで、流しの下に果物ナイフが落ちているのが見えた。足を伸ばせば届かない距離ではない。
それにしても、使えそうなものが都合よく落ちているものだ。あるいはアニスが自らの罪悪感を軽減するために敢えて残していったのだろうか。
厨房の入り口に視線をやり、男達が来ないのを確認してからオリヴィエはナイフの方に足を伸ばした。だがあと少しのところで届かない。誤って蹴飛ばしてもいけないので、床を這わせるようにしながら慎重に脚を動かす。ブーツのつま先がナイフの柄に当たったのを確認してから慎重に手前に滑らせる。ロープを手繰り寄せるように、少しずつ。
足を手前に曲げつつナイフを徐々に身体に近づけていき、手の方へ押しやろうとしたところで急に扉が開く音がした。咄嗟に脚を動かすのを止めて顔を俯ける。どやどやとした足音。先の男達が厨房に入ってきたようだ。
「お、いたぜ。……って何だ? 二人いるぞ?」
「そっちの髪の長いのが女騎士だろ。もう一人の女は何だ?」
「そういや連れがいるって聞いたことがあるぜ。そっちはただの田舎娘らしいが」
会話をしている間にも男達はこちらに近づいてくる。オリヴィエは僅かに身を動かしてナイフを彼らの目から隠した。気づかれて取り上げられでもしたら一環の終わりだ。
「で、どうする? 女騎士の方だけ連れて行くか?」
「うーん……。どうせなら二人まとめて連れてっちまったらどうだ? 田舎娘の方は娼館にでも売り飛ばせばいいだろ」
「それもそうだな。にしても暗くてよく見えねぇな。どっかにランプか何かないのか?」
男達が辺りを探す気配がする。オリヴィエは息を殺してその機会が来るのを待った。
間もなく好機は訪れた。男の一人が壁に付けられたランプを見つけたのだ。
かち、とスイッチが鳴る音と共に部屋が明るくなる。男達は一瞬目を細めてからオリヴィエの方を見た。女騎士は瞑目したまま動かない。
「へえ、こりゃ確かに美人だな。どれ、もっと顔をよく見てやろうじゃねぇか……」
男の一人がオリヴィエの顔面に手を伸ばそうとしたその時、それまで微動だにしなかったオリヴィエが急にかっと目を見開いた。男が気圧された様子で身を引く。
その間にオリヴィエは勢いよく右脚を突き出して男に足払いを食らわせた。男が背中から床に倒れて頭を打つ。
その隙にオリヴィエは隠していたナイフを後方の壁に向かって勢いよく蹴った。跳ね返ったところを手で摑み、逆手に持って革紐に当てる。すぐさま別の男二人が襲いかかってきたが脇腹に蹴りを食らわせて防いだ。小刻みにナイフを動かして革紐を切断する。
「くそっ、このアマが……! 大人しくしやがれ!」
最初に倒れた男が起き上がりながらオリヴィエを制止しようとする。だが時すでに遅し。革紐を切ったオリヴィエは素早く起き上がって男の
オリヴィエは改めて状況を確認した。厨房にいる男は全員で三人。今は全員床に倒れているがすぐに起き上がって向かってくるだろう。三人とも体格は屈強そうで、腕力だけで相手をするのは限界がある。
撃退するには武器が必要だ。エリアル・ブレードは右端にいる男の傍にあった。あれを取り戻すことができれば勝機はある。
「お前達、私が誰だか知らないと見えるな。牧場を襲った仲間の
男達の注意を惹きつけるべくオリヴィエが声を張り上げる。男達が
「あぁ? 知らねぇよそんなもん。領主様は手下を何人も雇ってるんだ。他の奴らのことなんかいちいち気にしてねぇよ」
「そうか。ならば教えてやろう。お前達の仲間は、今のお前達と同じように民家に押し入って女を連れ去ろうとした。それを別の女が撃退し、男達は出生時の姿を晒して逃げ帰ることになった。あの
「……そういやそんな話を聞いたことあるな」別の男が言った。「剣振り回した田舎娘にこっぴどくやられて、しばらく女を見るとビビるようになったって……。
……って待てよ。その田舎娘って……」
男達が当惑した顔で視線を合わせ、次いで恐る恐るオリヴィエの方を向く。オリヴィエは蔑むような一瞥を彼らにくれて言った。
「そう、私がその女だ。ただし私は田舎娘ではなく、騎士だ。名はオリヴィエ・ミラ・グリュンヒルデ」
「グリュンヒルデ!」さらに別の男が叫んだ。
「そうだ! あいつらが言ってたのもその名前だ!
「……
低く呟いたオリヴィエの声が処刑宣告のように響き、男達が青ざめた顔で一斉に口を噤む。オリヴィエは軽く鼻を鳴らして続けた。
「……自分の名前を声高に吹聴するつもりはない。だが、私の名を知っているのであれば、私が容易に捕らえられる女でないことも理解できるはずだ。このまま大人しく私達を解放すれば、この場は見逃してやってもいい」
「見逃すだぁ? そんなことできるわけねぇだろ!? 領主様は失敗した人間には容赦ねぇんだ! 手ぶらで帰ったなんて言ったら何をされるか……」
「ならばどうする? 負け戦と知りながら勝負を挑むか?」
「当たり前だ! 何せこっちは三人もいるんだからな! 女一人捕まえるくらい朝飯前だ!」
「それにお前は剣を持っちゃいねぇ!」別の男が吠えた。「剣を持たない剣士なんざただの飾りだ!」
「いつ私が剣を持っていないと言った?」
冷ややかな眼差しに射竦められ、男達が一斉に息を呑んだ。
オリヴィエは半身に構えた姿勢を戻して男達に真正面から向かい合った。
「私がお前達と無益なお喋りを楽しむとでも思ったか? 全てはこの剣を手にするために時間を稼いでいただけのこと。それにも気づかず私を捕らえるなどと息巻くとは、思慮の浅さが露見したな」
「じゃ、じゃあ……今までの話は、俺達の注意を惹きつけるための演技だったってのか?」
「その通り。最初から剣を手にしていればこのような時間の浪費をすることもなかった。その場合、お前達は灯りが点いた瞬間に床に伏すことになっていただろうがな」
「くそっ! 舐めやがって!」
粉袋の上に倒れていた男が勢いよく起き上がり、粉を払ってから腰に差していたナイフを抜き出した。他の男二人も起き上がってそれに倣う。
三人とも憎悪を剥き出しにしていたが、オリヴィエは怯むことなく自分も剣を構えた。これ以上の時間の浪費は無用。さっさと片をつけることにしよう。
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