酒宴の乱
真ん中にいた男がナイフを振り上げながらオリヴィエに切りかかってくる。狭い厨房内は
戦場には不釣り合いな芳醇な香りが
その間にオリヴィエは近くにあった粉袋を一つ摑んで空中に放り投げ、剣で真っ二つに切り裂いた。破裂した袋は粉の雨を降らせ、目潰しをされるような格好になって男三人は涙目になって咳き込んだ。顔中にまぶされた粉を払い落とした時には、オリヴィエもリアの姿も消えていた。
「おい、女はどこに行った?」
「逃げたのか? 大口叩いてた割に大したことね……」
男がそう呟いた時、不意に首の後ろにひやりとしたものが触れた。男の顔から血の気が引き、
「誰が逃げたと言った? 今宵の晩餐はまだ始まったばかりだぞ。メインディッシュも食していない状態で辞去するはずがない」
冷徹な声と共に剣の刃先が首に近づく。自分が牛や豚のように食材として切り刻まれる場面を想像して男は血の気が引いた。
「お、おい……。こいつはやっぱりまずいんじゃないか?」男の一人が引き
「このままだと俺達の方がやられちまう……。ここは引き上げて領主様に事情を話した方が……」
「馬鹿野郎! そっちの方がまずいに決まってるだろ!」剣を突きつけられた男が叫ぶ。「あの方がどんだけ気が短いか知ってんだろ!」
「そうだよ! 失敗したなんて馬鹿正直に話したら
別の男も同意する。粉塗れになった男三人が口論する様は何とも無様だった。
「とにかく、こっちがやられる前にどうにかしてこいつを捕まえるんだ!」
「ああ。こんなしみったれた酒場で死にたかねぇからな!」
男三人は勢い込んで言い、獣のように身体を振るって粉を弾き飛ばした。そのまま唸り声を上げながらオリヴィエに向かってくる。矢継ぎ早にナイフを振り回したせいで食器棚が倒れ、グラスやら皿やらが音を立てて割れたが男達は気にした様子もなかった。
食器の破片を踏み潰しながら男達はひゅんひゅんと武器を振るう。だが焦りと怒りのせいで攻撃は的外れな場所を掠めるばかり。そのうち自分が割った食器の破片に足を取られて男達は続けざまに床にすっ転んだ。
オリヴィエは蔑むような目でその姿を眺めた。自滅するとは情けない。これならタイムを相手にしていた方がよほど練習になる。
その後も男達はオリヴィエに向かってきたが攻撃は掠りもせず、五分も経つ頃には三人揃ってぜいぜいと息を上げていた。何度も転んだせいで床に落ちた破片が肌を切り、顔や腕から血を流している。この分では自分が手を下すまでもなさそうだとオリヴィエは考えた。
「お前達もいい加減飽食だろう。晩餐会もこの辺りで終宴にしてはどうだ?」
「馬鹿言うな。俺らはまだ、やれ……」
「床を汚すのはワインだけで充分。これ以上血を流せば本当に食肉と化すことになるぞ」
「う、うるせぇ……。このまま帰ったって……領主様にやられる、だけ……」
「ならば
「お前は領主様の影響力を知らねぇんだ! あの人はノウゼン地方一帯を
「お前もだぞ、女騎士」別の男がオリヴィエを指差す。
「もしここで俺らから逃げられたとしても、あの方は絶対にお前を逃がしゃしねぇ。早いとこ捕まっといた方が身のためだと思うがな」
「忠告には感謝する。だがいかに領主であろうと、私を捕らえることなどできはしない。召し抱えの騎士が何人いようがこの剣の
「……話してても
男の一人が踏み出そうとしたその時、客席の方で微かに物音が聞こえた。
仲間が加勢に来たのかと思ってオリヴィエは横目でその方を見たが、そこにいる人物のシルエットを見た途端に小さく息を呑んだ。数秒その姿を目で捉えた後、男達の方に向き直って告げる。
「悪いが、これ以上お前達にかかずらっている暇はない。さっさと暇乞いをするがいい」
「何言ってんだ! 勝負はまだこれから……!」
「……終わりだと言っている」
凄みを利かせて睨みつけられ、男達が口を閉ざして怯む。オリヴィエは牽制するように彼らを睨みつけた後、彼らに背を向けて歩き出そうとした。
だが、そこで一番手前にいた男が好機とばかりにナイフを振り上げて襲いかかってきた。数秒遅れて他の二人も加勢する。
最後の最後に女騎士は隙を見せた。戦いの最中に背を晒すとは油断大敵。この千載一遇のチャンスを逃すまいと誰もが目をぎらつかせていた。
「……せっかく温情を与えてやったのに無下にするか。何とも麗しい奉公精神だな」
振り向かないままオリヴィエが呟く。背後を取るのは戦術としては正解。だがそれは相手が隙を与えてくれればの話だ。私は敵に隙を与えるような愚かな真似はしない。
迫りくる敵の気配を察知しながら、オリヴィエは間際まで攻撃が届くのを待った。ナイフの刃が背中に到達しようとするその刹那、右手を返して後方に剣を
がいん。まるで背中に目が付いているかのように攻撃は正確に受け止められた。最初の男は驚いて動きを止め、後の二人は勢い余ってその男にぶつかった。後の二人は反動でひっくり返り、最初の一人もオリヴィエの剣に弾き飛ばされて三人は将棋倒しになって倒れた。
その間にオリヴィエはゆっくりと振り返ると、一番手前にいた男の鼻先に剣を突きつけた。眼前で光る銀色の刃先を目にし、男の顔に死の恐怖が浮かぶ。
「た……頼む! どうか命だけは……!」
男達が一斉に平伏して床に額を擦りつける。オリヴィエは冷然とその姿を見下ろした後、軽く息を漏らして告げた。
「元よりお前達の命を奪うつもりはない。私は無用な
だが、下手に意識を保って妨害されても面倒だ。しばし
エリアル・ブレードがゆっくりと振り上げられ、その動きに合わせて男達が顔を上げる。
ランプの灯りを受けて煌めく刃。その刃先が一瞬、食材を断つ包丁のように見えた。
「飢えを知らぬ過食の暴漢よ……。酒宴の果てに眠るがいい!」
ひゅん。ひゅん。刃の音が空を掠めたが、最初はどこに当たったかわからなかった。
だがそれも一瞬のこと。すぐさま近くにあった酒樽が砕け散って貯蔵されていた赤ワインが噴出した。ワインは激しく飛沫を散らしながら四方八方から男達に振りかかり、男達の身体を赤く染め上げていく。いきなり大量の酒を浴びたことで急速に酔いが回り、立ち上がろうとした男達の足取りがおぼつかなくなる。
そのうち自分から転んだり戸棚に突っ込んだりして次々と倒れ、やがて全員ぴくりとも動かなくなった。赤い液体の上に
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