謀略

 オリヴィエが再び目を覚ました時、視界には暗闇が広がっていた。


 未だ覚めきらぬ意識を必死に引き戻し、目を凝らして周囲の状況を窺おうとする。どうやらそこは自分達がいた酒場のようだったが、灯りがなく、人の姿もない店内は幽霊屋敷のように不気味だった。街灯のほの白い光が窓の外を照らし、ひび割れた窓や蜘蛛の巣を浮かび上がらせている。


 場所の確認を終えたところで、オリヴィエは自分の近辺に視線を移した。

 今、自分は壁を背にした格好で座っている。しかし立ち上がることはできない。両手を後ろ手にされて縛られているからだ。拘束しているのは革紐のようで、肌触りからしてそれほど上等なものではなさそうだ。紐の先は壁の突起に括りつけられているのだろう。

 隣から呼吸音が聞こえたので視線をやると、リアが同じ格好で拘束されているのが見えた。まだ意識を取り戻しておらず、穏やかに寝息を立てている。


 注意深く周囲を観察していたところで、前方からがた、という音がした。視線をやると、店内を忍び足で横切る人影が見えた。ワンピースと長い髪のシルエット。アニスだ。


「……どこへ行く?」


 オリヴィエが低い声で尋ねた。暗がりの中で、アニスがびくりと肩を上げたのがわかった。


「あなたが私達に睡眠薬を飲ませたことはわかっている。まさか饗応きょうおうの席で薬を盛られるとはな……。私も油断したようだ」


 アニスはその場に佇んだまま答えない。闇の中にいるせいで表情は見えなかった。

 影と化したアニスの姿を見つめながら、オリヴィエは静かに呟いた。


「……この一ヶ月、あなたと接してきて、あなたの人柄はある程度理解したつもりでいた。あなたは夫を亡くし、慣れない酒場を一人で切り盛りしながら、女手一つで息子を育てている……。相当な苦労があっただろうに少しも弱音を吐かず、殊勝しゅしょうな方だと思っていた……。

 だからこそ解せない。なぜこのようなはかりごとをした!?」


 アニスはやはり答えない。だが視線を落とし、自分を抱くような仕草をしたことはわかった。そのまま沈黙が流れた後、ややあってか細い声が聞こえる。


「……恩を仇で返すような真似をしてしまって、本当に申し訳ないと思っています……。でも、仕方がないのです……。あの方が……領主様が、あなたを所望されているのですから……」

「領主だと?」


 以前リアから聞いた話を思い出す。グロキシニアという侯爵家の子息。弱者を虐げることに愉悦を覚え、女を落花狼藉らっかろうぜきする放蕩ほうとう息子。その息子が、自分にいったい何の用だと言うのか。


「先日……領主様の使いだという方が店に来られました……」アニスが消え入りそうな声で話し始めた。

「その方は、地代を上げるとおっしゃって……払えなければ私も息子も即刻街から追い出すと申されました……。私が生活に困窮していると言っても全く聞く耳を持ってくださらず……私が身売りをして稼げばよいなどと言う始末で……」


 先日、カウンター越しにアニスと会話をしていた二人の男が脳裏に蘇る。あれがおそらく領主の使いだったのだろう。以前牧場に押しかけてきた男とは違っていたが、どこでも同じような横暴を行っているようだ。


「私一人であれば割り切ることもできたかもしれませんが、今の私は息子がいる身……。とてもそのような仕事はできないと申し上げると、あの方々は、代わりにあなたを差し出すように申しつけてきたのです……。あなたがこの酒場に足を運んでおられるのを知っていたようで……」


「……それであなたは私を売ると言うのか? その卑劣極まりない領主に?」


 自然と語気が荒くなる。闇の中で、アニスが小刻みに肩を震わせるのがわかった。


「……許していただこうとは思っていません。ですが、私は息子を……タイムを守らねばならないのです。あなたが息子にしてくださったことには本当に感謝していますし、それをこのような形でお返しすることは申し訳なくも思います……。ですが、他に私が取りうる方法は……」


「おい! ここか! 例の酒場ってのは!?」


 急にどやどやと足音がしたので二人の会話はそこで断ち切られた。アニスが息を呑んで入り口を振り返る。体格のいい男達が何人も店に入ってくるところだった。


「おう、あんたが女将か。例のものは用意できたんだろうな?」


「はい……。奥の部屋に、お隠ししています……」


「そうか。よくやったな。領主様にも伝えといてやるよ。あの方はあれで義理堅いから、当面は便宜を図ってくれるだろうぜ」


「ありがとうございます……」


 謝意を示しつつもアニスの声は震えていた。そのまま男の一人に店の外に連れ出され、後には男数名とオリヴィエ、リアだけが残された。


「さ、とっとと連れて行くとするか」男の一人が言った。

「にしても、何で領主様もこんな面倒くせぇことをするかねぇ。女なら他でいくらでも見つけられるだろうに」


「その女騎士とやらはなかなか別嬪べっぴんらしいからな。どっかで噂を聞いて興味を持ったんじゃねぇか?」別の男が答えた。


「あの方は珍しいものがお好きだからなぁ……。ま、せいぜい顔を拝ませてもらうとするか。上手くいけば俺らもお零れに預かれるかもしれねぇしな」


 そんな勝手な会話をしながら男達は店を探し回った。椅子やらテーブルやらを乱暴にどかしながら足音が少しずつこちらに近づいてくる。


 耳障りなその音を聞きながら、オリヴィエは今の状況について考えを巡らせた。

 どうやら自分は知らない間に領主に目をつけられてしまったらしい。オリヴィエ自身は身に覚えがなかったが、ギルドの依頼やレオポルトの一件で余計な場所にまで噂が広まってしまったのだろう。男爵に続いて侯爵にまで狙われるとは、女というのはなんて忌々しい生き物なのだろう。どこに行っても性の対象としてみなされる。


 だが、今は自分の出自を呪っている場合ではなかった。この場にはリアも一緒に捕らわれている。自分はともかく、リアだけは、どんな手を使ってでも守らなければならない。

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