夕餉にて

 それからさらに二週間が経った。ギルドでの依頼を順調にこなしたことで、オリヴィエの手持ち金はすでに十万ベリルにも達していた。カズーラの街に到着した当初は一万ベリル強だったので、この二ヶ月でかなりの額を稼いだことになる。これだけあれば当分旅金には困らないだろう。


 リアと相談の末、オリヴィエは三日後に街を発つことにした。その間に必要な物資の購入を済ませ、世話になった街の人々に挨拶に行く。二ヶ月間の逗留とうりゅう生活を経て、オリヴィエもリアもこの街に馴染んできており、旅立ちに際してそれなりの寂しさを感じていた。


 一番の問題はタイムのことだった。早朝の訓練の際、オリヴィエが街を発つことを伝えるとタイムは目に見えて不満そうな顔になった。街を発つことは事前に伝えていたとは言え、いざ訓練が日常化すると日課がなくなることが嫌になったのだろう。リアと二人がかりで宥めすかし、何とか納得させたところで家に帰した。


 晩餐ばんさんの誘いがあったのはその翌朝のことだった。いつものように一時間ほどの訓練を終え、オリヴィエがギルドに向かおうとすると、タイムがこんなことを言ったのだ。


「なぁオリヴィエ、今日の夕飯うちで食べてってくれよ!」


 聞けば、オリヴィエが出発することを昨晩アニスに話したところ、アニスは今までのお礼に食事を振る舞いたいと言ったそうだ。

 オリヴィエはアニスにも挨拶に行くつもりでいたが、これ以上厚意に甘える気はなかったので晩餐の件は辞退しようとした。

 だがタイムは頑として聞かず、承諾しなければ解放してくれそうにもなかった。


「オリヴィエ、もうすぐ行っちゃうんだろ! 最後くらいうちでゆっくりしてってくれよ!」


 半分泣きそうな顔でそんなことを言われると無下にもできず、オリヴィエはリアと共に酒場を訪問することを約束した。






 その後、ギルドで一日分の依頼を終えたオリヴィエは、リアと合流してから酒場に向かった。酒場の周囲は相変わらず閑散としていて人気がない。中に入っても他の客は誰もいなかった。店が繁盛していないのは日頃から見ているが、誰もいないというのも珍しい。


「あ、オリヴィエ! リア! 待ってたよ!」


 居室に続く扉からタイムが勢いよく飛び出してくる。オリヴィエの元まで来たところで歓迎の意を示すようにぴょんぴょん跳ねた。


「今日はかしきりなんだぜ! 母ちゃんがオリヴィエのために店空けてくれたんだ!」


「貸し切り? いや、そこまでしてもらう義理はない。ただでさえ経営が思わしくないんだ。少しでも集客を図ったほうがいい」


「いいんだよ! 母ちゃんがそうしたいって言ってるんだから!」


「しかし……」


「あら、タイム、もうお客様が見えているの?」


 店の奥から声がして、アニスがカウンターの木の扉を開けて出てきた。オリヴィエ達の前まで歩いてくるとアニスは両手を重ねて静々と一礼した。


「オリヴィエ様、このたびは本当にうちの子がお世話になりました。本来なら報酬をお支払いしなければいけませんでしたのに、すっかりご厚意に甘えてしまって……。せめて最後くらいきちんとお礼をしたいと思って、今日はご招待させていただいたんです」


「いえ……そんな、気を遣わないでください。息子さんの件は私が独断でしたことで、礼などしていただく必要はありません」


「そうはいきません。オリヴィエ様はこの子のために多大な労力を割いてくださったんです。おもてなしくらいしないと私の気が済みません」


「しかし……」


「お願いします。私とこの子のためだと思って、一晩だけお付き合いください」


 アニスが深々と頭を下げ、隣でタイムも床にぶつかりそうな勢いで頭を下げる。親子揃って頭を垂れられてオリヴィエはすっかり困惑してしまった。


「騎士様、ここはご厚意に甘えません?」リアが横から口を挟んだ。

「私、アニスさんのお気持ちがわかりますわ。牧場の時だって、騎士様がいてくだったおかげで私もおじいさまも助けられましたもの。お礼をしたいと思うのは当然ですわ」


「だが何も店を貸し切りにすることはないだろう。私達のために経営を悪化させるような事態は避けたい」


「お二人には心置きなく食事を楽しんでいただきたいんです」アニスが言った。「最後まで……私のためにご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」


 そう言ったアニスの表情はどこか沈んでいた。酔っ払いに絡まれ、オリヴィエに助けられたことを思い出しているのかもしれない。


「なぁいいだろ! オリヴィエ!」タイムがオリヴィエの腕を引っ張った。

「母ちゃん、オリヴィエのためにいっぱいごちそう作ったんだぜ! せっかくだし食べてってくれよ!」


「ね、騎士様。タイム君もこう言っていますし、ゆっくりさせていただきましょうよ」


 リアも便乗して微笑みかける。オリヴィエは軽く息をついた。


「わかった。だが時間はせいぜい二時間程度にしておこう。あまり長居するのも申し訳ないからな」

「ありがとうございます。では、さっそくお料理をお持ちしますね」


 アニスが軽く頭を下げて厨房に戻っていく。心なしか、その表情はいつもより憂鬱そうに見えた。何か悩ましいことでもあるのだろうか。






 その後の晩餐は賑やかなものだった。タイムはオリヴィエとリアと一緒にテーブルに着き、母親が作った料理を一つ一つ自慢げに紹介していた。

 実際、それらの料理は今までの夕餉で出されたものよりもずっと豪華で、アニスが腕によりをかけたことが窺えた。オリヴィエもリアも料理一つ一つに舌鼓を打ち、酒場には心地よい空気が広がっていた。




 異変が起こったのは、晩餐が始まってから一時間ほど経ってからだった。それまで機関銃のような勢いで喋り続けていたタイムの口数が急に減ったのだ。料理を食べながら半分眠っているような状態で、口を半開きにしながら船を漕いでいる。


「タイム君、随分眠そうですわね。疲れているんですの?」リアが尋ねた。


「ううん……。わかんない。さっきまで元気だったんだけど急に眠くなって……ふわぁ」タイムが欠伸をしながら答える。


「少しはしゃぎ過ぎたのかもしれませんね。そろそろお部屋に帰って休んだらどうです?」


「えー、やだよ。せっかくオリヴィエとリアが来てくれたのに……」


「出発は二日後ですわ。それまでに少しならお話する時間はあるでしょうし、今日無理して起きていなくてもいいと思いますわ」


「えー、でもぉ……」


「ほら、言ってる間にまた欠伸をして、口の中の物が見えていますわよ」


 リアに注意されてタイムが慌てて食べ物を飲み込む。その間にも瞼は半分垂れ下がり、開いた口から涎が垂れかけている。相当な睡魔に襲われているようだ。


「……タイム、リアの言う通り休んだらどうだ?」オリヴィエが見かねて言った。「その状態で食事を続けていてはいずれ喉に詰まらせるぞ」


「でも……俺、まだ話したいこといっぱいあって……ふわぁ」


「剣士には休息も必要だ。無理をして戦場で力を発揮できないようでは本末転倒だぞ」


「わかってるけど……今日がおわったら……会えなくなっちゃうし……」


今生こんじょうの別れでもないんだ。そんなに寂しがる必要はない」


「こん……?」


「今生。生きている間に会えなくなることだ。私は一旦国に帰らねばならないが、落ち着けばまたこの街を訪問してもいい」


「本当!?」


 それまで寝ぼけていたのが嘘のようにタイムがぱっちり目を開ける。オリヴィエは頷いた。


「ああ。この街にも愛着が湧いたからな。機会があれば再訪したいとは思っている」


「マジで!? じゃあじゃあ、その時はまた俺にけいこしてくれる!?」


「確約はできんが、可能な限り配慮しよう」


「やったー! サンキューオリヴィエ! 俺、それまでにりっぱな剣士様にな……」


 そこで急に電池が切れたようにタイムが動かなくなった。そのままテーブルに突っ伏してしまったので、リアが慌てて状態を確認しようと近づく。だがタイムは眠っただけのようで、間もなく大きないびきが聞こえてきた。


「……寝てしまいましたわ。よほど眠かったのでしょうか」リアが小首を傾げた。


「そのようだが……少し妙だな。あれだけ興奮していたのに急に眠るとは」


 壁の時計を見れば時刻は八時。子どもとはいえ就寝には早すぎる時間だ。昼間訓練に励んでいた疲れが出たのだろうか。


「あの……今大きな音がしましたけれど、何かあったのですか?」


 騒ぎを聞きつけたらしいアニスが厨房から出てきた。彼女の位置からではタイムはリアの影になっていて見えないようだ。


「それが、タイム君が急に睡魔に襲われたようで、話の途中で眠り込んでしまったのですわ」リアが説明した。


「まぁ、そうでしたか……。すみません、うちの子がご迷惑をおかけしてしまって」


「いえ、大丈夫ですわ。いきなり倒れたので驚きましたけれど、眠っているだけだとわかって安心しました」


「ご心配をおかけしてすみません……。この子をベッドに寝かせてきます。お二人はどうぞゆっくりなさってください」


 アニスが心底申し訳なさそうに言い、タイムを背負って居室の方へと向かう。少年とはいえ、人一人をおぶって歩く彼女の足取りはおぼつかず、オリヴィエは自分が代わりにタイムをベッドまで運ぼうかと提案したが、アニスは固辞した。そのまま二人して奥の扉から出て行き、酒場にはオリヴィエとリアだけが残される。


「……タイム君、急にどうしてたんでしょう。さっきまであんなに元気でしたのに」

「わからん。単に疲れが出ただけであればいいが……」


 そこで不意にオリヴィエの視界が霞んだ。次いで頭が重くなり、咄嗟にテーブルに片肘を突いて支える。そうでなければ自分もテーブルに突っ伏して倒れてしまいそうだった。だが、なぜ急に異変が生じたのかが判然としない。


「騎士様……? どうなさいまし……」


 同様の異変はリアにも生じたようで、頭を前後に揺らした後でぐったりと椅子にもたれかかった。すうすうと寝息を立てている。

 タイムに続いてリア。二人が立て続けに眠り込んでしまった状況を見れば、何が起こったかを推察するのは容易い。


「なぜ、だ……? なぜ、このような……」


 襲いかかる睡魔に必死に抗いながら、オリヴィエが絞り出すように問いかける。

 答えを求める相手はその場にはいない。息子を運んだその足で扉の前に立ち、罠にかかった自分達を憐れむように見つめているのだろうか。


 不覚――。慙愧ざんきと共にその言葉が浮かんだのを最後に、オリヴィエの意識も闇の世界へといざなわれた。

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