騎士の精神

 ルドベキアの身体がゆらりと右に揺れる。来る——。オリヴィエは咄嗟に左手に動いて攻撃をかわそうとしたが、予想に反してルドベキアが動いたのは左側だった。不意を突かれたオリヴィエは一瞬動揺したが、すぐに剣を構え直す。

 きいん。すんでのところでオリヴィエは攻撃を受け止め、剣を押し返してルドベキアを弾き飛ばした。次いで反撃。彼にならって左手に動いてフェイントを仕掛けるが、ルドベキアにはお見通しなのか、惑わされることなく右手に動いて攻撃を受け止めた。剣の一閃いっせん。飛び交う金属音。


(なるほど……いい腕をしている。私に勝負を挑むだけのことはあるな)


 ルドベキアと剣を違えたのはこれが初めてだが、彼が優れた実力の持ち主であることはすぐにわかった。一切の無駄を排した動き、敵の動きを冷静に見定める洞察力、そしてここぞというときに的確な一撃を放つ判断力。計算し尽くされた、実に彼らしい戦術だ。


 だが、それでも私の敵ではない。


 ルドベキアがわずかに動いた。この辺りで勝負を仕掛けるようだ。

 面白い——。オリヴィエは兜の下で笑みを浮かべると、ゆっくりと剣を構えて応戦の態勢を取った。ルドベキアの剣が空を舞い、オリヴィエの剣がそれを受け止める。間断なく続く丁々発止ちょうちょうはっし。それはあたかも一つの音楽のようで、互いの矜持きょうじを懸けたその重奏は、見る者の呼吸をも止めてしまっていた。


 やがて終幕は訪れた。オリヴィエがわずかに右に動こうとし、それを察知したルドベキアが彼女の右脇腹目がけて剣を突きつけた。相手を完封する一撃。それがついに雌雄しゆうを決するかと思われた。


 しかし、刃がオリヴィエを貫こうとした次の瞬間、オリヴィエは地面を蹴って天高く飛び上がった。目標を失った剣は虚空こくうを斬り、ルドベキアが勢い余ってよろめく。


 その一瞬の隙をオリヴィエは見逃さなかった。空中で身をよじって剣をひるがえし、迷いなくくろがね色の兜に振り下ろす。攻撃が到達する直前、兜の面頬めんぼおの間から、驚愕に見開かれたルドベキアの瞳が見えた気がした。


 きいん、という音が響いたのとオリヴィエが着地したのが同時だった。金色のフリンジが紙吹雪のように空を舞っている。どうやら勝負あったようだ。


「そこまで! ……第一試合の勝者はオリヴィエ!」


 グラジオが声高に叫ぶ。周囲から落胆とも怒号とも言えるどよめきが上がったが、オリヴィエは意に介さなかった。軽く息を吐き、無言で剣を鞘に収める。


「いや、二人とも見事な戦いだった。双方とも模範とも呼べる動きをしており、どちらが勝っても不思議はなかった。よい試合を見せてくれたことに礼を言う」


 グラジオがオリヴィエとルドベキアを順に見ながら言った。オリヴィエは兜を脱いで頭を下げ、ルドベキアもそれに倣う。露わになった彼の顔には、憤怒ふんぬ恥辱ちじょくも浮かんではいなかった。


「今後とも騎士団の範となるべく精進することだ。では、次の代表の選出に入る……」


 グラジオが残った騎士の方に向き直る。役目を終えたオリヴィエは騎士たちに背を向け、壁際に下がろうとした。


「いや、素晴らしい戦いでした。さすが、『翠色すいしょくの騎士』の異名を持つだけのことはある」


 後ろから声がしてオリヴィエは振り返った。騎士の一団から離れたところに立ち、自分を見つめているルドベキアの端正な顔が目に入った。鉄色に包まれた鎧の中で、黄朽葉きくちば色の頭髪だけが日の光を浴びて燦然さんぜんと輝いている。


「お前も悪くない腕だった。私が相手でなければ勝利を収められたものを、惜しいことをしたな」オリヴィエが自慢する風でもなく言った。

「そうかもしれません。ですが私は、どうしてもあなたと手合わせしたかったのですよ。強敵と相まみえればこそ己が至らなさを知り、己をさらなる高みへと向かわせることができる。それを避けて勝利に固執しているようでは、騎士を名乗る資格はない」

「お前のような考えをする騎士は少ないようだがな。大抵の騎士は、聴衆の面前で失態を晒すことを怖れるものだ」

「敗北は失態ではありません。敗北の先には勝利への道がある。その可能性を試そうともせず、勝負から逃げ出すことこそが真の失態です」


 ルドベキアの態度はいさぎよい。他の騎士のように恨みつらみを口にすることは一切なく、自分が負けた事実を粛々と受け止めている。この男は強い、とオリヴィエは改めて感じた。


「オリヴィエ殿、よければまた手合わせを願えませんか? あなたとの戦いは学ぶところが多い。私は自分を強くしてくれる者と戦いたいのですよ」

「いいだろう。私もお前とはまた戦いたい。お前のような騎士はなかなかいないからな」

「光栄です」


 ルドベキアが胸に手を当てて頭を下げる。そこで第二試合開始を告げるグラジオの声が聞こえたので、二人の会話はそこで途切れた。名前を呼ばれたのはシャガだった。今度は指名を受けた側のようで、遠目から見ても手が震え、緊張しているのがわかる。相手は見るからに屈強そうな大柄の騎士で、両手剣を片手で軽々と振るっている。


「……この騎士団に、真の騎士は驚くほど少ない」


 ルドベキアが呟いた。オリヴィエは彼の方に視線を向けた。


「世間で言われるようなほまれ高い精神を持った者はごくわずか。大抵の者はそねみを口にするばかりで、自らの実力のなさを顧みようともしない……。

 ですが、そんな腐敗しきった騎士団の中でも、彼は騎士としての精神を持ち合わせている。あなたもそうは思いませんか?」


 オリヴィエは答えず、無言で前方に視線を移した。シャガは両手で剣を握ってがたがたと震えていたが、それでも敵から目を背けようとはしなかった。しっかりと顔を上げ、自分の二倍はあるであろう相手を見据えている。


「……そうだな」


 オリヴィエはぽつりと言った。


「あいつは未熟だが、他の騎士にはない資質を持っている。いずれ芽を出すだろう」

「ええ、その時はぜひ手合わせ願いたいものです」


 ルドベキアが頷き、それ以降は口を開こうとしなかった。グラジオが号令をかけ、再び剣の音が訓練場に飛び交う。大柄の騎士が剣を振るい、シャガが飛んだり跳ねたりして攻撃をかわす。どう見ても一方的な試合運びだったが、それでもシャガは試合を放棄しようとはしなかった。


 オリヴィエはシャガの試合を見つめながら、私も手合わせ願いたいものだ、と考えた。

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