好敵手

 それから数十分後、一旦宿舎に戻り、支度を済ませたオリヴィエは訓練場におもむいた。すでに騎士の大半が集まっており、剣を磨いたり、素振りをしたりしてそれぞれ士気を高めている。シャガの姿はまだなかった。森で迷っていなければいいのだがとオリヴィエは考えた。


 さらに十分後、ほぼ全ての騎士が参集したところでグラジオが到着した。騎士の一団に視線を巡らせ、きびきびとした口調で点呼を取る。そこへようやくシャガが入ってきた。後方からこっそり一団に加わろうとしたが、そこでグラジオの怒声が飛んだ。


「シャガ! また遅刻か! 十分前には準備を済ませていろと毎度言っているだろうが!」

「す、すみません!」


 シャガがぴんと背筋を伸ばして平身低頭する。それを見て何人かの騎士が忍び笑いを漏らした。オリヴィエは無表情で彼を見つめながら、今度近道を教えてやろうと思った。


「では、全員揃ったところで本日の訓練に入る」グラジオが改まった口調で言った。

「前回の試合から時間が経過したため、本日の訓練では再び一対一で試合を行う。

 ルールは前回同様、挙手制で代表を選出し、最初に名乗りを挙げた者が対戦相手を指名する。代表になれるのは一度きりで、一度戦った者の指名は不可。他に質問のある者は?」


 誰も手を挙げなかった。グラジオは頷いて続けた。


「では、早速代表の選出に入る。最初に戦いたい者は?」


 やはり誰も手を挙げなかった。前回真っ先に名乗りを挙げたシャガも、今日は慎重に対戦相手を選ぼうとしているのか、外見から力量を推し量ろうとするかのように騎士一人一人の顔を眺め回している。


「では……僭越せんえつながらわたくしが」


 誰かの静かな声が聞こえ、騎士たちが一斉にその方を振り返った。一団の端の方にいる、くろがね色の鎧をまとった騎士が控えめに片手を挙げている。


「ほう、ルドベキアか。お前が勝負を申し出るとは珍しいな」


 グラジオが意外そうに言った。周囲にいる騎士たちも物珍しそうにルドベキアを見つめている。だがルドベキアは臆さずに続けた。


「誰かが名乗りを挙げなければ訓練が進みません。とはいえ、先鋒せんぽうに立つことに抵抗を覚えるのもまた人の道理。であれば、私がその役を担うほかないと思ったまでです」


 あくまで淡々と言葉を継ぐルドベキアに、周囲の騎士が気勢を殺がれた様子で視線を落とした。彼の入団歴は半年と浅く、年齢も二十二歳と騎士団の中では若いが、この通り落ち着いた物腰で話すので経歴や年齢以上の貫禄があり、他の騎士から一目を置かれていた。


「よかろう。ではルドベキア、対戦相手として誰を指名する?」グラジオが尋ねた。

「無論、オリヴィエ殿を」


 騎士の間から一斉にどよめきが上がる。グラジオですら眉を上げた。


「ふむ。その言葉、前回の試合を見た上で口にしているのだろうな?」

「元より。いくら新入りのシャガ殿が相手だったとはいえ、オリヴィエ殿の強さはあの試合を見れば一目瞭然。であればこそ、私はオリヴィエ殿との戦いを所望しているのです」


 ルドベキアの口調はやはり淡々としていたが、それでいて揺るぎない決意がにじんでいた。あえて強敵に勝負を挑み、打ち倒さんとする決意。


「ふむ……。よかろう、お前も異論はないか? オリヴィエ」


 グラジオがオリヴィエに向き直って尋ねる。一連の会話を静聴していたオリヴィエは、ゆっくりと、だが迷いなく頷いた。


「ええ、相手が誰であろうと、挑まれた勝負から逃げるつもりは毛頭ありません」


 オリヴィエが手短に言ってルドベキアを見据える。鉄色の兜に覆われて彼の表情は見えなかったが、そこに動揺や恐怖は一切感じられず、あるのはむしろ喜びだった。自分を高みへと導く強敵と戦えることの喜び。


「では、これより対戦に入る。双方、位置に付け!」


 グラジオの号令で周囲の騎士が壁際に下がり、二人の騎士だけが訓練場の中央に残された。オリヴィエは兜を被り、後頭部で一つに束ねた髪をその中に入れる。ふと、今朝のシャガとの会話が頭をよぎったが、すぐに頭を振って考えを追い払った。互いに剣を抜き、相手の姿だけを眼球に映す。


「勝負は一本先取制。一度でも攻撃を当てた方の勝利とする。

 では始めるぞ。構え……!」


 二人が剣を構えて腰を落とす。互いの視線が交差したその刹那、グラジオの「始め!」という声と共に一斉に行動を開始した。


 最初に動いたのはオリヴィエだった。腰を落とした態勢のまま風のように訓練場を駆け抜け、ルドベキアの脇腹に一撃を食らわせようとする。だがルドベキアはその動きを読んだかのように軽く後ろに引いて避けた。

 オリヴィエの剣が空を掠めたのも束の間、今度はルドベキアが手首を返してオリヴィエのみぞおち辺りに剣を突き立てようとした。オリヴィエは地面に手を突いて飛び退き、空中で回転しながら後方に着地する。着地と同時に剣を返し、下からルドベキアの腹部を狙うが彼の剣にはばまれた。怯まずに今度は顔面に剣を向けるが軽く首を振ってかわされる。その後も何度も攻撃を仕掛けるが全く当たる気配がない。


「いいぞ、ルドベキア! その生意気な女騎士をやっつけろ!」

「女が男に勝てないってことを思い知らせてやれ!」


 騎士の間から野次が飛ぶ。グラジオが一喝するとぴたりと止んだが、それでも喜色きしょくを浮かべた彼らの顔を見れば、この試合運びに満足していることは明らかだった。


 ルドベキアは周囲の野次には耳を貸していないのか、気に留めた様子もなくオリヴィエを見据えている。彼にとっての関心事は敵を倒せるか否かの一点のみで、オリヴィエの性別などどうでもよいのだろう。

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