純朴なる心

「では、私はそろそろ宿舎に戻るとしよう」オリヴィエは言った。

「お前も森林浴をするのは結構だが、あまり遅くならないうちに戻った方がいいぞ。ここは慣れていないと迷いやすいからな」

「おう、わかったぜ! 忠告ありがとな!」


 シャガが気さくに言って笑った。オリヴィエは頷くと、彼に背を向けて森から立ち去ろうとしたが、そこでシャガが尋ねてきた。


「あ、そうだオリヴィエ、お前って確か姫付きの騎士なんだよな?」

「あぁ。それがどうかしたか?」

「いや、その、もし姫様が好きなものとか知ってたら教えてほしいなーって……」


 シャガが恥ずかしそうに目を逸らし、両の人差し指を突っつき合わせる。オリヴィエは立ち止まり、まじまじと彼の姿を見つめた。


「なぜそんなことを聞く? 姫様に贈り物でもしようというのか?」

「うん。実はそうなんだ。あの年頃の女の子って何が好きなんだ? やっぱ服とか化粧品か?」

「あの方はそうした装飾品よりも、花の方がお好みだ。花を贈れば喜ばれるだろう」

「そっか、花か……。確かに姫様らしいな! で、どんな花が好きなんだ?」

「小さく可愛らしい花がお好みだ。そこのビオラやスミレのようにな」


 オリヴィエが傍に咲いている小さな花々の方に視線をやった。月光の下で花を愛でていたアイリスの姿が脳裏に浮かんだが、表情には出さなかった。


「そっか。ビオラとスミレか……。確かにちっさくて可愛いよな! 姫様そっくりで!」


 シャガが頬を綻ばせた。少年のような顔がほんのり桜色に染まっている。オリヴィエは目をすがめてその顔を見つめた後、ふと思いついて尋ねた。


「シャガ、お前もしや、アイリス様に好意があるのか?」

「あ、バレた? だってほら、姫様って可愛いじゃん? 見た目は美人なのに、中身は天真爛漫な女の子って感じでさ! 騎士の奴らもみんな噂してるぜ。姫様は可愛いって」


 確かに、アイリスは騎士団の中でも評判がよかった。ただ、それは彼女の愛らしさだけでなく、人柄の影響もあるのだろうとオリヴィエは思っていた。


 アイリスは自分が姫であることを鼻にかけることもなく、下級の騎士に対しても分け隔てなく接し、怪我をした騎士を見た時などは、率先して手当てをしようとしてくれた。そんな彼女を騎士たちが愛おしむのは当然で、彼らにとってアイリスは高嶺の花ではなく、道端に咲く純朴な花だった。


「あの方に好意を抱く騎士は多い。それゆえに、姫付きの騎士である私を疎んじる者も多いのだがな」

「そうなのか? でも、お前は実力があるから姫付きになったんだろ? だったら文句言われる筋合いはねぇじゃん」

「いや、そうではない。あの方が私を指名されたのだ」

「へぇ、何でまた?」

「私も直接お尋ねしたことはない。ただ、姫付きの騎士は、姫様のお目付役として行動を共にすることを義務づけられている。どうせ行動を見張られるのならば、男よりも女の方が好都合だと考えられたのだろう」




『オリヴィエ……。私はね、あなたに傍にいてほしいの。他の誰でもない、あなたに』




 拝命を受けた直後、アイリスの部屋で二人きりになった時、上目遣いに自分を見上げてきたアイリスの瞳を思い出す。その瞳はどこか心細そうで、小さな両手でオリヴィエの手をしっかりと握り締めていた。まるで少しでも手を離したら、オリヴィエが遠くへ行ってしまうのではないかと怖れているかのように。


 その瞳を見たときからオリヴィエは決めたのだ。自分は決して姫付きの騎士の役を明け渡しはしない。自分の命が果てる時まで、この人の傍を離れないと。


「そっか。まぁ、姫付きの騎士なんて大変そうだもんな。もし出掛けてる時に姫様が襲われたら一人で戦わなきゃいけねぇし。俺にはできねぇな」


 シャガが納得した顔で頷く。力量をわきまえているからこそ、彼は自分が姫付きを担えないことにも納得している。他の騎士とは大違いだな、とオリヴィエは虚しく考えた。


「聞きたいことはそれだけか? ならば私はそろそろ帰るぞ」


 オリヴィエは話を切り上げて今度こそ立ち去ろうとする。だが再びシャガに呼び止められた。


「あ、ごめん。もう一個だけ聞かせてくれ! 姫様じゃなくてお前のことなんだけど」

「私の?」

「あぁ、前から気になってたんだけどさ、お前って何で髪が長いんだ?」


 質問の意図がわからず、オリヴィエは怪訝そうにシャガを見返した。


「ほら、髪が長いと戦う時に邪魔だろ? 切っちまった方が楽だと思うんだけど、何かこだわりでもあるのか?」

「それは……」


 オリヴィエは顔を険しくして視線を落とした。それを見たシャガが慌てて口を開いた。


「あ、嫌なら答えなくてもいいんだ。俺もちょっと気になったから聞いただけだし、話せない事情があるなら別に……」

「いや、大した事情があるわけではない。これは……ある人との誓いのようなものだ」

「誓い?」

「あぁ、もっとも、相手にとっては誓いと呼ぶほどのことでもないだろうがな」


 その短い説明では要領を得られなかったのだろう。シャガが困惑した顔で眉根を寄せたが、オリヴィエはそれ以上話すつもりはなかった。彼が単なる好奇心から尋ねたことはわかっているが、これだけは正直に答えるわけにはいかない。


「……悪いな。訓練の準備があるので、そろそろ失礼する」

「あ、俺の方こそ引き留めて悪かったな! 俺ももうちょっとしたら戻るから、また訓練場で会おうぜ!」


 急に話を切り上げられたことを気にした様子もなく、シャガが快活に言って手を振ってくる。オリヴィエは軽く頷くと、踵を返して大股に森を歩いて行った。

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