眠れる炎

 戦いを終えた後の庭園は、驚くほどの静寂に包まれていた。絶え間なく響いていた剣戟の音はぴたりと止み、墓場のような沈黙が辺りを支配する。無残に刈り取られた薔薇の花弁と、石畳の上に転がる金色の甲冑がなければ、ここで今し方まで死闘が繰り広げられていたことなど誰も気づかないだろう。


 地面に伏したロベリアの遺骸を見つめながら、オリヴィエは自分の息が上がっていることに気づいた。普段の訓練なら何時間でも剣を振るっていられるのに、十人もの騎士を相手にしてさすがに堪えたようだ。まだまだ父には及ばないな、と自嘲気味に考える。


 その時、背後からがらがらという音がしてオリヴィエは振り返った。二頭の馬に手綱を付けた立派な馬車が石畳を走ってくる。馬車はオリヴィエの前で止まり、扉が開いて中から甲冑を着た大柄な男が現れた。花騎士団の隊長、グラジオだ。


「オリヴィエ、無事か!?」


 グラジオが大股でオリヴィエに近づきながら尋ねる。オリヴィエ達の馬車が追従していないことに気づいて引き返してきたのだろう。


「ええ、賊の急襲を受けましたが、先ほど全滅させました」

「賊だと?」グラジオが金色の遺骸に視線を落とす。「だが、これは……」

「金騎士団の副隊長とその部下です。馬車を襲い、姫様を誘拐するという下劣な計画を企てていました。そのような輩に騎士を名乗る資格はありません」

「そうか……。すまなかった。もう少し早く気づいていれば加勢できたのだがな」

「気になさる必要はありません。副隊長の男はまだしも、他の連中は虚仮威こけおどしでした。おそらく、新しい隊長の訓練に根を上げて騎士団を追放された連中でしょう」

「新しい隊長……蒼炎の騎士か。奴はここに現れなかったのか?」

「ええ。ですが、一騎士団を立て直すほどの手腕を持った男がこのような蛮行を許すとも思えない。計画はこの男の独断だったのではないかと」ロベリアに一瞥をくれる。

「そうか。いずれにしても無事で何よりだ。姫様はどうしている?」

「姫様は……」


 オリヴィエが言葉を続けようとした時、再び背後からがらがらという音がした。振り返ると、アイリスを乗せた馬車が石畳を走ってくるのが見えた。ゼラの馬車に乗っていた御者が御者席に座っている。殉職した同僚の代わりを務めてくれたようだ。


 アイリスの馬車はゼラの馬車と隣り合う格好で停まった。オリヴィエはグラジオに一礼してから馬車の方に近づいていく。扉を開けるや否やアイリスとぶつかりそうになった。


「あぁ、オリヴィエ! 大丈夫!? 怪我はない!?」


 アイリスが青ざめた顔でオリヴィエの両腕に縋りつく。オリヴィエはロベリアの死体が彼女から見えないように立ち位置を変えた。


「ええ、この通り、どこにも異常はありません。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」


 兜を脱ぎながら言って腰を折る。アイリスが大きく安堵の息をついた。


「そう……よかったわ。あなたがなかなか戻ってこないから心配していたの」

「私ももっと手早く片づけるつもりだったのですが、思ったよりも時間がかかってしまいました。私の未熟さゆえにご心配をおかけし申し訳ございません」

「そんなことないわ。相手は大勢だったんでしょう? 全員を無傷で倒すなんてやっぱりあなたはすごいわ」

「全ては姫様をお守りするため。あなたに降りかかる刃を払うのが私の務めなのですから」

「そう……ありがとう。あなたがいてくれて本当によかったわ」


 アイリスが息をつきながら言う。安心しきって気が抜けたのか、そのままふっと意識を失ってオリヴィエの胸に倒れ込んだ。オリヴィエが両手で彼女を抱き留める。


「とにかく、今はサルビアの王城へ向かうとしよう」グラジオが言った。

「王城までは間もなくだ。そこで陛下と姫様の身の安全を確保した上で、サルビア国王に事態を伝えるとしよう。庭園に死体を放置しておくわけにはいかんからな」

「わかりました。馬車はどうします?」

「陛下の馬車は私が御者を務める。お前は姫様の傍に付いてやれ」

「承知いたしました」


 腰を折って言い、アイリスを抱きかかえたまま馬車に乗り込む。グラジオも踵を返し、きびきびとした足取りで自分の馬車へと戻って行った。

 




 



 二台の馬車が砂煙を巻き起こしながら去った後、人気のなくなった庭園内には金色の遺骸がいくつも転がっていた。ある者は大の字になり、ある者は石畳に腹這いになり、ある者は折り重なうようにして倒れている。開いた面頬めんぼおから覗く瞳はいずれも驚愕に見開かれていた。我が身に何が起こったのか知らぬまま朽ちた者が大半なのだろう。

 だが、肉体と魂が分離された状態にあっても、彼らは誰一人として剣を手放してはいなかった。一時賊に身をやつしたとしても彼らはやはり騎士であり、その身に刻まれた誇りが剣を手放すことを許さなかったのだ。


 そこで不意に茂みががさごそと揺れる音がして、中から二人の人物が現れた。一人はずんぐりとした体格で、大柄な身体を金色の甲冑で覆っている。もう一人は背が高くすらりとしていて、長身を漆黒の甲冑で包んでいる。騎士だ。どちらも剣をいており、彼らが歩くたびに柄や鞘が甲冑に当たってかちかちと音を立てた。


 二人の騎士は庭園内を闊歩し、金色の遺骸を順番に調べて回った。最後にロベリアの遺骸を確認したところで、彼の傍らに片膝を突いた大柄な騎士が首を横に振る。


「やはり全滅みたいですね。どいつも首をすっぱり斬られてます」


 大柄な騎士が野太い声で言った。体格の良さも相俟って相手を威圧するような響きがある。


「ロベリアと腹心の連中に不審な動きがあるのは気づいてましたが、まさかこんな大それた計画を立てていたとは思いませんでしたよ。あれほど事を急くなと隊長が釘を刺していたのに、馬鹿な奴らです」


 大柄な騎士がため息をついてロベリアを見下ろす。かつては戦友として幾多の戦場を共にしてきた男に対し、もはや当時の親愛を感じることはなかった。


「それで、こいつらをどうします? 国に連れて帰りますか?」


 大柄な騎士が片膝を突いたまま漆黒の騎士の方を振り仰ぐ。漆黒の騎士はすぐには答えず、元隊長の遺骸をしばらく見下ろした後で首を横に振った。


「いいえ……このままにしておきましょう。彼らは騎士の領分を超えた振る舞いをした。もはや我々の仲間と呼ぶことはできません。無頼漢ぶらいかんの弔いの場としては、この花園はいささか上等に過ぎるかもしれませんが」


 漆黒の騎士が言った。落ち着いた、物柔らかな声だ。声だけ聞けば吟遊詩人のようにも感じられるだろう。


「それにしても残念でしたね」漆黒の騎士がロベリアを見下ろして言った。

「彼の腕は申し分ないものでした。ですが、騎士としての精神が欠けていたゆえにこのような暴挙に走り、結果として命を落とした……。道を誤らなければ立派な騎士になれたでしょうに」

「ロベリアは昔から自惚れの強い奴でしたからね。あなたから役を取り返そうと必死だったんでしょうよ」大柄な騎士が言った。

「私は役を奪ったつもりはありません。それが我が国のためになると思えばこそお引き受けしたまでです。本来ならば、私のごとき若輩者が人の上に立つ資格などないのですから」

「そういう謙虚な姿勢も気に障ったんでしょうよ。実力でも人格でも敵わないとなりゃあ、あいつも立つ瀬がありませんからね」

「そう言われましても……こればかりは生まれつきの性格ですから」


 漆黒の騎士が悩ましげにかぶりを振る。彼の口調はどこまでも丁重であり、死者を冒涜ぼうとくするような態度は少しも見られなかった。


「にしても、噂通りの手練れですね、『翠色すいしょくの騎士』は」大柄な騎士が兜の奥の顔をしかめた。「これだけの人数を一度に片付けちまうんですから、まったく恐ろしい女だ」

「単に強いだけではありませんよ」漆黒の騎士が言った。「その戦いぶりは実に美しく、まるで戦女神のようだと囁かれています。私も一度拝見してみたいものです」

「はっ、何を呑気なことを……。でも困りましたね。今回の一件がゼラの耳に入れば交渉はますます難航する。花騎士団の警備体制も強まり、領地拡大の道は遠ざかる一方……。ロベリアも面倒なことをしてくれたもんだ」大柄な騎士がこめかみを掻いた。

「過ぎたことを悔やんでも仕方がありません。ここは一旦国に戻り、作戦を練り直すことにしましょう」


 漆黒の騎士がたしなめるように言い、踵を返して歩き出す。が、数歩歩いたところで立ち止まり、引き返してロベリアの遺骸の傍に屈み込んだ。彼の籠手ガントレットの指先をゆっくりと開き、握られたままの剣をそっと取り上げる。


「この剣は回収しておきましょう。捨て置くには惜しい逸品ですからね」


 漆黒の騎士が言って立ち上がり、ロベリアの剣を自身のベルトに刺した。蝶を象ったつばが揺れ、彼のもう一本の剣と重なりあって音を立てる。


 炎をかたどった蒼い剣が、鞘の中で静かに刃を眠らせていた。




[第四章 剣に宿るは父の御影 了]

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