刺客

 その後、茨の三銃士と別れたオリヴィエはベロニカの屋敷への歩みを再開した。

 休憩して活力を取り戻したのか、ブレットは再び健脚ぶりを発揮して後の行程は順調に過ぎた。二時間ほど馬を走らせ、屋敷に到着した頃には太陽が西に傾きかけていた。三銃士との戦闘で時間を食ってしまったが、日が落ちる前に戻ってこられたことにオリヴィエは安堵した。


 厩舎の外にある杭にブレットの手綱を括りつけた後、オリヴィエは玄関の呼び鈴を鳴らした。ややあって扉が開かれ、中から不機嫌そうな顔をしたブルーノが現れた。


「……何だお前さん。帰ってきたのか」


 開口一番ブルーノはそう言った。まるで歓迎していないような口ぶりだ。女主人から頼まれた任を終えて帰ってきたというのに、どうしてこんな出迎えをするのだろうとオリヴィエは訝ったが、よそ者が屋敷に出入りするのを快く思わないのだろうと思い直した。


「ああ。予定よりも遅くなってしまったが、無事に宝飾品を換金してきた。夫人はどちらに?」

「……奥にいらっしゃる。とっとと入んな」


 苦虫を嚙み潰したような顔でブルーノがオリヴィエを室内に案内する。オリヴィエは訝りながらも彼の後に続いた。




 ベロニカは応接室で待っていた。リアと向かい合わせにソファーに腰かけて紅茶を飲んでいる。部屋に入ってくるオリヴィエを見るなり二人は立ち上がったが、リアの方が動くのが早かった。手にしていたカップをテーブルに置いて駆け寄ってくる。


「あぁ……騎士様! ご無事でよかったですわ!」


 オリヴィエにすがりつくようにしながらリアが言った。どこにも怪我がないことを確かめるかのように鎧のあちこちに触れ、それから安堵の息をついて彼女を見上げた。


「昨日、騎士様がお発ちになってからずっと心配で……夜も眠れなかったんです。道中、盗賊に遭いませんでしたか?」


「賊には遭ったが撃退した。予想していたほど凶悪な奴らではなかったな」


「まぁ、そうなんですの? 私……盗賊と聞いて、牧場に来たような恐ろしい殿方ではないかと思って……」リアが身を震わせる。


「あの暴漢とは全く人種が違う。今回遭った賊は……何というか、愉快な奴らだった。今回の一件で道を改めたようだからな。これからは貴族に凶刃きょうじんを向けることもないだろう」


「まぁ……すごいですわ騎士様。盗賊を改心させてしまうなんて」


「奴らは生粋の悪漢ではなかった。不遇な生育環境から一時道を誤っただけだ。私も彼らの命を無下に奪うような真似をせずに済んでよかった」


 オリヴィエは心から言った。もし、カーディナルがあの場で制止しなければ、自分は彼ら兄弟を抹殺していたかもしれない。確かに盗賊に身をやつしたことは許されないが、それで命を奪うのは罰として加重に過ぎる。この杓子しゃくし定規な態度は改めねばならないな、とオリヴィエは我が身に言い聞かせた。


「あの……騎士様、無事にお戻りいただいて本当に何よりですわ」


 横からベロニカの声がしてオリヴィエは振り返った。ベロニカはソファーの傍に佇み、両手をへその辺りで重ねた格好でこちらを見つめている。


「今回は、本当に危険な任務を依頼してしまって……あたくしずっと反省していたんです。見ず知らずの方を家の騒動に巻き込むべきではなかったと……」


「ご心配には及びません。賊は刺客としては軟弱でした。あの程度の実力では私の道を阻むことはできません」


「そう……ですか」


 ベロニカがなぜか憂鬱そうな顔になる。オリヴィエは訝ったが、彼女が口を開く前にベロニカが言った。


「それで、宝飾品は……?」

「ええ。無事に換金を終えて持ち帰りました。金貨で五十万ベリルあります」


 紐で口を縛った布袋を三つ取り出してソファーの上に置き、その中の一つを開けて中を見せる。ぎっしりと詰まった金貨が中で光り輝いていた。


「まぁ……これだけあれば当分は生活に困りませんわ。本当に、何とお礼を言ったらよいか……」


「礼には及びません。伯爵家を守る一助となれたのであれば私としても光栄です」


「でも……これだけしていただいのに何のお礼も差し上げないなんて心苦しいですわ。何でしたら、このお金の一部を差し上げても……」


「それはいけません。この金貨は屋敷を守るための貴重な資金なのです。それを私に譲ってしまっては本末転倒だ」


「で、では……、せめてもう一晩泊まって行かれてはいかがです? 日も暮れてきましたし、出発は明日の朝にしても……」


「それも結構です。依頼は終わった。これ以上のご厚意に甘えるわけにはまいりません」


「ですが……」


「……それよりも夫人、私は一つ、あなたにお尋ねしたいことがあるのです」


 オリヴィエが急に神妙な顔になる。ベロニカが当惑した視線を返した。


「あなたがおっしゃった、例の三人組の賊……。確かに貴族から金品を奪っていたようですが、私に関してはそうではなかった。金のことなど一言も口にせず、私を倒すこと自体を目的としていたようなのです。そこがあなたの話と食い違う」


「そ、それは……」


「それに奴らは妙なことを口走っていました。どうも彼らは、何者かに雇われて私を倒すよう命じられていたようなのです。

 私は最初、雇い主はノウゼン地方の領主ではないかと思っていました。領主はなぜか私を付け狙っているようですからね。

 ただ……考えてみれば、私が今回の任に付き、あの道を通ることを領主が知っているはずがない。彼らに情報を流せたのは、この依頼に関わる人間だけだ」


 次第に低くなる声で呟きながら、オリヴィエがゆっくりとベロニカに歩み寄る。ベロニカは怯えた顔で身を引いたが、すぐにソファーに阻まれて身動きが取れなくなった。


 疲労のにじんだ彼女の顔を真正面から見つめながら、オリヴィエはゆっくりと語を継いだ。


「夫人……。あの三銃士を私に差し向けたのは、もしやあなたではありませんか?」


 ベロニカがはっと息を飲む。リアもオリヴィエの背後で驚愕に目を見開いた。


「あの平原で私に会った時、あなたは随分と驚いた様子でおられた。あなたはそれを、女の騎士が珍しいからだとおっしゃっていましたが、本当は別に理由があったのではありませんか? その理由とはすなわち……標的が目の前に現れたこと」


 オリヴィエの視線から逃れるようにベロニカが俯く。オリヴィエは彼女から目を逸らさずに続けた。


「あなたはカズーラの街に使いをやり、私を探させたとおっしゃっていた。それは依頼のためではなく、私を捕縛するためだったのではありませんか?

 だが、使いの者が到着した時にはすでに私は街を発っていた。知らせを受けたあなたは途方に暮れたが、その矢先、あの平原で私と邂逅かいこうを果たすことになった……。

 あの時あなたが喜んでおられたのは私に依頼ができるからではない。獲物を捉える機会が巡ってきたことに喜悦していたのだ」


 ベロニカは唇を引き結んで答えない。だが、その顔に浮かんだ焦りの色を見れば、オリヴィエの言葉が正鵠せいこくを射ていることは明らかだった。


「情報を流したのはおそらく昨日。文では時間がかかる以上、ブルーノに馬車を出させたのだろうな。直ちに屋敷を発とうとした私を引き留めたのは、少しでも伝達の時間を稼いでおきたかったから。私はその術策にはまり、あなたに情報を流す隙を与えた。連絡を受けた三銃士は私を待ち伏せして襲ったが、急襲は失敗し、私は屋敷に帰ってきた。そこであなたは別の方策を練るため、再び私達を引き留めたというわけだ……。哀れな未亡人を装っておきながら、随分と狡猾に立ち回ったものだ」


 呆れ顔で腕組みをしながらオリヴィエは深々とため息をつく。ベロニカは相変わらず何も言わない。会話の途切れた応接室は、痛いほどの沈黙に包まれていた。


「で……でも騎士様。どうして奥様はそんなことをなさいましたの?」リアが見かねた様子で口を挟んだ。

「奥様と騎士様は初対面なんでしょう? 騎士様を罠にかけるような真似をなさる理由がありませんわ!」


「確かに、私も伯爵夫人からはかられる覚えはない。だが、夫人の狙いが私自身ではなかったとしたらどうだ?」


「どういうことですの?」


「この屋敷の窮状を見るに、夫人が貧困に喘いでおられるのは事実だろう。伯爵家の屋敷を守るため、夫人は是が非でも金が必要だった。そこへ援助の申し出があったとしたらどうだ? 夫人がわらにも縋る思いでそれを承諾したとしても不思議はない」


「でも……そんな莫大な援助をしてくださる方がいらっしゃいますの?」


「一人心当たりがある。例の領主、グロキシニアという侯爵の息子だ。奴は私を捕らえるためにあらゆる策を講じている様子。その毒牙が夫人にも伸びていたとしたらどうだ? 夫人は伯爵家の窮乏を救う代償として、領主に私を差し出そうとしたのだ」


「そんな……。では奥様は、最初から私達を騙すつもりだったんですの?」


「無論。今語ったことは憶測でしかない。だが、まったく荒唐無稽な発想というわけでもないだろう。貴族間の交流は珍しいことではないからな」


 そこまで話したところでオリヴィエはベロニカの方を向いた。オリヴィエとリアが話している間、ベロニカは二人に背を向けてその場に立ち尽くしていた。擦り切れたドレスを身にまとい、寂れた屋敷に音もなく佇む姿は亡霊のようだ。


「いかがです? ベロニカ伯爵夫人。何か誤りがあればご指摘いただきたい。不躾ぶしつけな発言をお詫び申し上げます」


 オリヴィエが尋ねるもベロニカは答えない。しばらく返答を待った後、痺れを切らしたオリヴィエが彼女の元へ近づいて行った。肩に手をかけ、彼女を正面に向き直らせようとする。

 が、オリヴィエの手が肩に触れようとしたまさにその時、ベロニカがぽつりと言った。


「……本当、腕が立つだけでなく、聡明でもいらっしゃいますのね。あなたがこれほど高潔でなく……いっそお金を持ち逃げするような方であればよかったと思いますわ」


 その独白が真実を物語っていた。オリヴィエは表情を険しくし、再び彼女の肩に手をかけようとしたが、そこで背後からリアの悲鳴が聞こえた。次いで何かが倒れる音。急いで振り返ると、リアが床にうつ伏せに横たわっているのが見えた。


「リア!? どうした!?」


 血相を変えてリアに駆け寄り、彼女を抱え起こす。リアは気を失っていた。

 いったい何が? 素早く周囲に視線を巡らせたところで、不意に背後から殺気を感じた。刺客? 急いで剣に手をかけようとするも、気配を察知するのが数秒遅れた。


 次の瞬間、オリヴィエは首の後ろに鋭い痛みを感じて床に膝を突いた。どうやら首筋に何かを打ち込まれたようだ。普段なら背後を取られることなどまずないのだが、襲撃者は完全に気配を消していた。


 何者だ――? 辛うじて首を後ろに向けたオリヴィエは、視界に移ったものを見て我が目を疑った。そこには見覚えのある人物がいた。無愛想を顔に貼りつけた、背中の曲がった老人。


「……ブルーノは、本当にあたくしによく仕えてくださっていますのよ」


 オリヴィエの背後に立ったまま、ベロニカが渇いた声で呟いた。


「まともなお給金も支払えないのに、たった一人で屋敷に残ってくれて……御者の仕事以外も文句一つ言わずに引き受けてくれるのですから……。屋敷内の清掃や調理……そして時には、護衛の役割も」


 亡霊のようなベロニカの声を耳の端で捕らえながら、オリヴィエは顔を歪めて女主人とその忠僕を睨みつけた。


 ブルーノは手に棍棒を持っていた。あれを自分の首筋に叩き込んだのだろう。足音だけでなく気配まで消した上、一撃で騎士である自分を仕留めるとは。この老人、なかなかの手練れだ――。


 そんな虚しい考えが脳裏を掠めたのも束の間、オリヴィエの意識は間もなく途切れ、後には闇だけが残された。




[第九章 薔薇が織り成す剣の舞 了]

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