花の心

「さて、お前の弟二人は気絶してしまったようだ」


 背後で伸びているグラハムとノヴァリスを見やりながらオリヴィエが言った。


「これでは自慢のフォーメーションを披露することもできまい。どうする? この場で降参するか?」


「降参だと? そんなものするか! このカーディナル、最後の一人になっても剣を収めはせぬ!」


「いいだろう。それでこそ騎士だ。ここからは差しで向かってくるがいい!」


 オリヴィエが剣を構えつつカーディナルに接近する。カーディナルも生け垣から身を起こして応戦の体勢を取った。

 薔薇を背景にした決闘。それはいつかの薔薇園での死闘を彷彿とさせたが、あの時のような長期戦にはならなかった。それまでの戦いでカーディナルは疲弊しきっており、オリヴィエの攻撃を受けるだけで精一杯だったからだ。結果、五分も経たないうちにカーディナルは再び生け垣に追い詰められていた。


「……連携なしではこの程度か。やはり貴様は騎士として底が知れている」


 剣の刃先をカーディナルに突きつけながらオリヴィエが呟く。カーディナルはもはや抵抗する気力もないのか、生け垣に両手を預けた格好で歯噛みしていた。


「うう……言われなくたってわかってる! 俺達は単体じゃ弱いんだ! あのフォーメーションだって、一人じゃ何回やっても勝てないから考えたんだ!」


「数で質を補う発想は悪くない。実際、どの型もそれなりに手応えがあったからな」


「でもお前は全部破っちまったじゃないか! せっかく三日三晩寝ないで考えたのに!」


「……私を責められても困る。第一、それほどの熱意があるのならば、剣術でも鍛錬を続けていればよかったんだ。そうすれば正式な騎士への道も開かれたかもしれないものを」


「お前は成功した側の人間だからそんな偉そうなことが言えるんだ! 努力を続けても選ばれない奴の惨めさなんてわからないんだよ!」


 カーディナルのその言葉はオリヴィエの心をちくりと刺した。オリヴィエ自身、自分が騎士を拝命できたのは努力を続けたからだと思っていたが、一方で人の道を決めるのが努力だけではないことも理解していた。


 自分は金銭的に不自由のない家に生まれ、父という偉大な師の下で訓練に励むことができた。だが彼らはそうではない。家は貧乏で、鎧や剣を揃えるにも借金をしなければならなかった。恵まれない環境では稽古を積むことさえもままならず、実力不足を補うために必死に戦法を考案したのだろう。

 彼らの影ながらの努力を思うとオリヴィエは同情を覚えたが、だからといって悪を見過ごすことはできない。


「……お前達が単なる大道芸人でないことはよくわかった。その点の非礼はお詫びする。だが、私は同じ騎士として、お前達の過ちを許すことはできない」


 ためらいながらもオリヴィエが剣を握る手に力を強める。少し逡巡した後、迷いを断ち切るように剣を振り上げる。

 彼女が死の刃を振り下ろそうとしたまさにその時、カーディナルが急に声を上げた。


「あっ、ちょっと待て! ここで剣を振るな!」


「何だ? 命乞いでもしようと言うのか?」オリヴィエが手を止める。


「違う! 死ぬ覚悟ならとっくにできている! ただ場所が問題なんだ!」


「場所?」


「そうだ! ここで俺を斬ったら花が巻き添えになる! 斬るなら別の場所にしろ!」


 あまりにも意外な言葉が飛び出し、オリヴィエは呆気に取られてカーディナルを見つめた。確かに彼の背後には薔薇の生け垣があり、このまま剣を下ろせば花が落ちることは必然。だが――。


「……貴様、正気か? 自分の命よりも花の心配をすると?」

「花だって生きてるんだぞ! 罪人である俺が斬られるのは当然だが、罪のない花を巻き添えにすることはできん!」


 カーディナルの口調は大真面目で、冗談を言っているわけではないらしい。


 オリヴィエはしばし彼を見つめた後、やがて目を伏せてゆっくりと剣を下ろした。


「……私も騎士になってそれなりに経つが、お前のような騎士は初めてだ」


 視線を落としてしばし立ち尽くした後、オリヴィエはゆっくりと剣を鞘に収めた。カーディナルが口を半開きにしてオリヴィエを見つめてくる。


「な……何だ? 俺を斬らないのか?」


「ああ。今のお前の言を聞いて気が変わった。血に塗れた戦場においても、花への慈しみを忘れぬ心に敬意を表し、これまでの悪行は水に流してやる」


「ほ……本当に? そう見せかけて不意打ちするつもりじゃないだろうな?」


「そのような無粋な真似はしない。第一、お前を斬るつもりなら、こうして話に耳を傾けることすらなく脳天を叩き切っている」


「そ、そうか……。じゃあ許してくれるんだな?」


「お前達が今後、二度と賊に身をやつさないと約束するのであればな」


「するする! 元々この商売だって金がないからやっただけで、貴族を傷つけるつもりなんてなかったんだ!」


「だろうな。お前達は他人の血肉の上に胡座あぐらをかけるような悪漢ではない」


 二人がそんな会話をしている間に、グラハムとノヴァリスが意識を取り戻してゆっくりと身体を起こした。二人とも最初は意識が朦朧としていたが、兄とオリヴィエが剣を収めて会話をしているのを見て目を丸くした。


「あ、兄者!? これはいったいどうしたことか!?」グラハムが口角泡を飛ばす。


「おお、聞いてくれ弟達よ! この人は俺の命を助けてくれたんだ!」


「何? 敵に塩を送っただと!? 何かの罠ではないのか!?」ノヴァリスが訝しげにオリヴィエを見る。


「俺も最初は疑ったんだが、よく考えたらこの人がそんな回りくどい真似をするはずがないんだ! 罠なんて仕掛ける必要がないくらい強いんだからな!」


「それもそうだな! 何せ俺達のフォーメーションを残らず破ったくらいなんだからな!」


「あれだけ見事にやられるとむしろ清々しいぞ! 強い敵との戦いは勉強になるな!」


 茨の三銃士が例によって呑気な会話をする。彼らの様子を見てもオリヴィエは先ほどまでのように呆れを覚えず、むしろ子どものを見守る母親のような気分になってふっと表情を緩めた。


「ところで……お前達はこれからどうするつもりだ?」


 オリヴィエが茨の三銃士に尋ねる。三人が会話を止めて彼女の方を見た。


「お前達の連携は悪くなかった。このまま訓練を積み、挑み続ければ騎士への道が開かれる可能性はあると思うが」


「うーん。でも九回連続で試験に落ちてるからなぁ……。正直あまり自信がなくてなぁ……」


「次落ちたら十連敗だもんなぁ……。さすがにヘコむよなぁ……」


「そもそも金騎士団の試験は個人戦だからなぁ……。フォーメーションを考えても使う機会がないんだよなぁ……」


 茨の三銃士が悩ましげに唸り声を上げる。オリヴィエは少し考えてから続けた。


「……では、金騎士団以外では? そこならばお前達の連携を活かすこともできるが」


「何!? そんな場所があるのか!?」カーディナルががばりと顔を上げる。


「ああ。もっとも、そこに所属するためには、お前達は国を離れることになるが……」


「それでもいい! どこにあるんだその場所は! 教えてくれ!」


 カーディナルが急き込んで言いながら身を乗り出し、左右に立つグラハムとノヴァリスもそれにならう。オリヴィエは少し身を引きながら答えた。


「……エーデルワイス王国の花騎士団だ。そこでも登用試験があるが、実技は個人戦とは限らず、その者の実力を最も発揮できる方法で行うことになっている。お前達が熱意を伝えれば、一度くらいは団体戦を認めてもらえるだろう」


「エーデルワイス王国か……。ここからだとちょっと遠いな。俺達、馬も場所も持ってないし……」カーディナルが項垂れる。


「確かに距離はある。だが遠路遥々訪れる価値はあるぞ。百花繚乱ひゃっかりょうらんの美しい王国だからな」


「花が見れるのはいいなぁ」グラハムがのんびりと呟く。「あれ? でも、エーデルワイス王国って確か敵国じゃ……」


「敵国であることは間違いない。だが、お前達のような花を慈しむ心のある者には、金騎士団よりも相応しい場ではないかと思う。金騎士団の実態は敵国を侵略する賊だからな」


「むう……。そうか。一度帰ってゆっくり考えてみるか……」


 ノヴァリスが腕組みをして思案し、兄二人もそれぞれの考えにふけっている。オリヴィエはその様子を見ながら、もし彼らが花騎士団の登用試験を受けることがあれば、グラジオに口利きをしてやろうと考えた。


「では、私はこれで失礼する。お前達もさっさと家に帰るがいい」


「そうだな! 長丁場の戦闘で腹が減った。帰って夕食にしよう!」


「それが終わったら特訓だ! また新しいフォーメーションを考案せねば!」


「騎士への道は長く険しい! だが我らは諦めはせぬ! なぜならば……」


 三銃士がそこで一斉にレイピアを構える。オリヴィエは警戒して身を引いたが、彼らは剣を突き出すことはせず、それを頭上に掲げて叫んだ。


「我ら、茨の三銃士! いつか大輪の花を咲かせる、誇り高き騎士なのだから!」


 三本の刃が空中で音を立てて交差する。大道芸のような蝶蝶しい振る舞い。だがオリヴィエはそれを見ても、もはや彼らを道化師だとは思わなかった。


 今ではオリヴィエも彼らを騎士と認めており、その気骨に敬意を表しようと、小さく拍手を送ってやった。

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