猛る闘志

「お前さん、ちまちま仕事なんか探しとらんと、どうせなら闘技に参加してみたらどうだね?」


 不意に声をかけられてオリヴィエは顔を上げた。コーヒーのおかわりを持ってきたらしい宿の主人がテーブルの傍に立っている。彼の視線から、オリヴィエは参加を促されているのが自分だということに気づいた。


「闘技に? 私がですか?」


「ああ。格好からしてお前さんは騎士なんだろう? 闘技場で優勝すれば賞金が手に入る。腕に自信があるなら行ってみるのもありだと思うがね」


「賞金とは、具体的にはどれほど?」


「優勝者は十万ベリルくらいもらえたと思うよ。二位か三位でも五万ベリルは下らないんじゃなかったかな」


 十万ベリル。オリヴィエが二ヶ月間、カズーラの街で依頼をこなして稼いだ金額だ。それだけの大金を一度に手にすることができるとわかれば俄然興味が湧いてくる。オリヴィエは質問を重ねることにした。


「闘技場は誰でも参加できるものなのですか?」


「参加費はいるが、それさえ払えば誰にでも門戸は開かれてるよ。まぁ女が参加したって例は聞いたことがないがね」


「例はなくても、参加資格はあると?」


「ああ。昔と比べて試合が一本調子になっちまったせいか、最近は参加者も減ってるらしいからな。新しい参加者がいりゃあ喜んで試合に出させてくれるだろうよ」


「闘技場はどこにあるのです?」


「ナスター地方に入ってすぐさ。ここからだと馬で一時間もかからないと思うよ」


 オリヴィエは主人の提案を吟味してみた。もし闘技場で勝利を収めることができれば、短時間で多額の報酬を得ることができる。そうでなくても、闘技場や剣闘士という言葉にはひどく心を惹かれるものがある。騎士としての闘争心が逸っているのだろう。

 一方、リアの方は気が進まないのか、顔をしかめ、飲みかけたコーヒーのカップをテーブルに置いてから言った。


「……私は反対ですわ。闘技場なんて、野蛮な殿方がたくさん集まるのでしょう? そんなところに行って騎士様がお怪我でもしたら大変ですわ」


「そう簡単に怪我をさせられるとは思わないが……実際、剣闘士の実力は如何いかほどのものなのです?」オリヴィエが主人に尋ねる。


「名乗りを上げるだけあって強者揃いだよ。特に優勝台に乗るような奴らは実力が桁違いでな。獅子を素手で殴り倒したりとか、闘牛を場外までぶん投げたりとか、いろんな逸話が飛び交ってるよ」


「前回の闘技を制したのは?」


「マチスっていう名前の剣士だよ。二位と三位はそいつの弟子でな。ここ数年は師弟で優勝台を独占してるよ」


「残りの二人も剣士なのですか?」


「いや、そいつらは槍と鉄球の使い手だ。どのみち強いことには変わりないがな」


 剣、槍、鉄球。様々な武器を片手に闘技場を牛耳る師弟。敵の概容が明らかになるにつれて闘争心がますます掻き立てられ、滾る血となって身体中を駆け巡っていく。


「もし闘技場に行くんなら早く出発した方がいい。確か今日も昼から試合があるはずだ。馬を飛ばせば今からでも間に合うだろうよ」


「わかりました。ご助言、感謝いたします」


 オリヴィエが立ち上がって深々と頭を下げる。宿の主人は特に表情を変えずに奥の部屋へと引っ込んでいった。物質的饗応きょうおうが果たせない分、せめて情報によって客を満足させようという彼なりの気遣いなのかもしれない。


「さて、そうと決まれば一刻も早く発つか。地図で闘技場の場所を確認して……」

「騎士様……やっぱり闘技に参加なさるおつもりですの?」


 リアが浮かない顔でオリヴィエを見上げてくる。主人が淹れてくれたコーヒーのおかわりに手を付けようともしていない。


「私、やっぱり気が進みませんわ。騎士様がお強いことはよく存じていますけれど、わざわざ危険な場所に足を運ぶことはないと思うんです」


「リア……私の身を案じてくれるのは有難いが、これは好機でもあるんだ。成功すれば、奪われた所持金と同等以上の金額を取り戻すことができる」


「それはわかりますけれど……万一ということがありますもの。もし……剣闘士の方に敗れて、騎士様が命を落とされるようなことがあったら……」


 リアが小さな肩を震わせる。彼女にとっては闘技場の報酬などよりも、オリヴィエの命が脅かされることの方が問題なのだろう。その心遣いはオリヴィエにも理解できたが、さりとて彼女の言に従う気にはなれなかった。椅子に腰を下ろし、そっとリアの両肩に手を乗せて続ける。


「大丈夫だ、リア。私は誰が相手でも負けはしない。私は今までにも何人もの男を打ち倒してきた。剣闘士を相手に落命などしない」


「でも……」


「それに、これは私のための戦いでもある。強者の存在を知りながら、相対することもせず逃亡する。それは騎士にとって恥ずべき行為だ。私は騎士として、敵に立ち向かわなければならない」


「騎士様……」


 リアの瞳が不安げに揺れる。牧場での平和な生活しか知らない彼女であっても、これまでオリヴィエと行動を共にしてきた以上、彼女の騎士としての矜持を推察することはできた。ためらうように視線を落としたものの、すぐに自分を納得させるように頷いて言った。


「……わかりました。これは騎士様の旅ですもの。騎士様がお決めになったことであれば、私が反対する理由はありません。ただ、一つだけ約束してくださいまし」


「何だ?」


「必ず優勝してください。そして、生きて帰ってきださい。……それだけ約束してくだされば、私はもう何も申し上げませんわ」


 そう言うとリアはオリヴィエから顔を背けてしまった。すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運び、次いで半分残ったトーストに手を伸ばす。生焼けのトーストに豊かな味わいなどあろうはずもなかったが、リアはそれが極上の珍味であるかのように時間をかけて咀嚼そしゃくしていた。そうすることで、差し迫る別の問題から目を背けようとするかのように。


 そんなリアの様子をオリヴィエは無言で見つめた。言葉でいくら説得しても、彼女の深憂を拭い去ることはできないだろう。そう考え、一言だけ返すことにした。


「ああ、当然だ」


 リアがちらりと顔を上げてオリヴィエを見返す。背筋を伸ばし、揺るぎのない視線をこちらに向けたオリヴィエの姿を見ると、ようやく納得したように頷いた。

 残った食事を咀嚼するリアの姿を見つめながら、オリヴィエは今しがた交わした約束を口の中で反芻はんすうした。


 生きて帰る。それはオリヴィエ自身の誓いでもあった。ディモルフォセカに来て早数ヶ月、ノウゼン地方での長い逗留とうりゅうを終え、自分は新しい土地に足を踏み入れようとしている。


 剣闘士の魂が眠る土地、ナスター地方。そこでどのような試練が待ち受けているかはわからないが、いかなる修羅が降りかかろうと、必ずこの剣で断ち切って見せる。

 闘技場の戦いはその足掛かりに過ぎない。西の地方を超え、故郷への架け橋をつなぐためにも、私は必ず勝利を収めねばならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る