宴の名残

 ズオウの一団がいなくなったところで、オリヴィエは剣を磨くのを止めて入口の方を見た。取り巻きに囲まれたズオウの大きな背中が遠ざかっていく。これから食堂に行き、また一頻り自分の悪口を言うつもりなのだろう。彼の言葉は全て聞こえていたが、オリヴィエは相手をする気にもなれなかった。それよりも気にかかるのはグラジオの話だ。他の騎士と同様、彼女もまたディモルフォセカと金騎士団、そしてそれを率いる騎士の存在に思いを馳せていた。


(蒼炎の騎士、か……。名は体を表すという以上、その異名は伊達ではあるまい。果たして実力はいかほどのものか……)


 五十人もの相手を一度に倒した騎士。状況が違えばぜひとも手合わせしたいところだが、あいにく敵と勝負を楽しむ趣味はない。もし、彼が率いる騎士団がエーデルワイス王国に攻め入るようなことがあれば、自分は容赦なく敵を抹殺するだろう。蒼炎の騎士がどれほど手練れだとしても、オリヴィエは自ら膝を折る気は毛頭なかった。


「……おや、オリヴィエ殿、まだ残っておられたのですか」


 不意に背後から声がしてオリヴィエは振り返った。ルドベキアが入口にある柵の間を通って中に入ってくるところだった。


「ルドベキア? どうした、何か忘れ物でもしたのか?」

「いいえ、食堂が混雑していましたので、先に今日の自主練習を済ませようと戻ってきたのです」

「そうか。お前は相変わらず熱心だな。訓練直後だというのにまだ練習を怠らないとは」

「騎士として常に精進に励むのは当然のこと。あなたこそ訓練場に残っているのは、邪魔者が入らない場で訓練をするつもりだからではないのですか?」

「私は他の騎士の連中と帰路を共にするのを避けているだけだ。奴らの口から出る罵詈雑言は聞き飽きたからな」


 ルドベキアは察したように頷き、それ以上追求しようとはしなかった。オリヴィエは彼の心遣いを有り難く思った。


「そういえば先日は悪かったな。自主練習の機会を取り上げてしまって」

「何のことでしょう?」

「舞踏会のことだ。お前はあの晩、本来は警護に当たっていなかった。私の代理を務めなければ好きなだけ訓練に励むことができただろうに、悪いことをしたと思ってな」

「あぁ……そのことですか。どうぞお気になさらず。王族の身辺警護というのも、それはそれで学ぶところはありましたから」

「そう言ってもらえると有り難い。シャガの訓練にもなったようで感謝している」

「ええ、彼も喜んでいました。警護の練習というよりは別の点に、ですが」


 舞踏会の翌日、訓練場で自分を見るなり飛びついてきたシャガの姿をオリヴィエは思い出した。シャガはいつになく興奮した様子で、ドレスアップしたアイリスがいかに美しかったかを言葉を尽くして語っていた。それを見てオリヴィエは、約束を反故にせずに済んでよかったと心から安堵したものだ。


「あなたの方はいかがでしたか? 舞踏会で羽を伸ばされたのですか?」

「いや……私はやはりあのような場には不向きだ。紳士や令嬢の中にいても気を遣うばかりでな。今後は姫様から依頼があっても断るつもりでいる」

「それは残念ですね。あなたのダンスは実にお上手だったのに」


 ルドベキアが真顔で言ったので、オリヴィエは咄嗟に言葉を返すことができなかった。数秒彼の顔を凝視した後、恐る恐る尋ねる。


「……お前、まさか、見ていたのか……?」

「……ええ、申し訳ありません。差し出がましい真似をするつもりはなかったのですが、庭園の付近を通りがかった際に偶然お姿を拝見してしまいまして……」

「別に非難するつもりはない。それよりもどこまで見ていたんだ?」

「あなたがあの殿方とワルツを踊っているところまでです。ただ、最初はあなただということにも気づかず、どこかの令嬢がお相手をされていると思ったのです。それほどお上手で……私もつい見入ってしまったものですから」


 ルドベキアが気詰まりそうに視線を落とす。彼に見られていたと思うとオリヴィエも気恥ずかしかったが、それでも肝心な場面は見られていなかったと知って安堵した。


「ルドベキア、このことはくれぐれも他の騎士には……」

「ええ、存じております。告げ口するつもりはありませんから、ご安心を」

「そうか、ならばいい。まさか目撃されているとは思わなかったが、見られたのがお前でまだよかった。他の騎士であれば何を言われるかわかったものではないからな」

「ええ……私としても幸運でした。あなたのドレスも、それを着て踊るあなたの姿も……実に美麗なものでしたから」


 ルドベキアが珍しく口ごもりながら言う。オリヴィエは彼の真意を測りかねたが、これ以上追求してあの晩のことを蒸し返したくなかったので止めた。


「ところでオリヴィエ殿、もしお急ぎでなければ、手合わせをお願いできませんか?」

「手合わせ? 今からか?」

「はい。今この場にいるのは我ら二人だけ。粗雑な外野の声がなければこそ、互いの実力を正確に測れるというものでしょう」

「いいだろう。だが観衆の有無だけで、勝敗に差が出るとも思わないがな」

「その時は己の実力不足を認めるまでのこと。外的条件の違いだけで、あなたに勝利しようなどとは元より考えておりませんよ」


 そう言ったルドベキアはいつもの落ち着きを取り戻していた。オリヴィエも舞踏会の追想を頭から振り払い、目の前の戦いに集中することにした。

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