蒼翼の不死鳥
「ですが
「何?」
「そろそろ頃合いでしょう。あなたがこんなにも健気に私に向かってきてくださるのですから、私も本気でお相手しなければ失礼というものです」
蒼炎の騎士が不意に両手に力を込め、刃先を交えていたオリヴィエを押し戻す。オリヴィエは咄嗟によろめきそうになったが、何とか踏ん張って絨毯を数歩擦るに留めた。敵の追撃に備えようと態勢を立て直すが、蒼炎の騎士は攻撃を仕掛ける代わりに剣を頭上に放り投げた。剣は空中で回転しながら落ち、斜めに床に突き刺さる。蒼炎の騎士はその間に腰に差していたもう一本の剣を取り出した。青く光る剣身が闇の中に姿を現す。
「こちらが私自身の剣です。名をブルー・フェニックスと言います」
蒼炎の騎士が手にした剣を片手で掲げて見せる。長い剣身は海のように深い青色をしており、端から中央にかけて白味を帯びるグラデーションを形成している。刃の両端は先端に向かって鋭角状に波打ち、色も相俟ってまさに青の炎が燃えているようだ。柄は紺色で、金色の
「ブルー・フェニックスか……。なかなか洒落た名前をつけたものだ」オリヴィエが青の剣を見ながら言った。
「剣は騎士の魂を表すもの。名称にはこだわりたかったのですよ。無論、剣そのものにも」
「確かに美しい剣ではある。だが美しさが強さを表すとは限らない」
「どうでしょうか。強さと美しさを兼ね揃えた女性が目の前にいらっしゃいますからね」
「減らず口を……。まぁいい、行くぞ」
再び剣を構えて敵に斬りかかる。すぐさま回避の姿勢を見せるかと思ったが、意外にも蒼炎の騎士は動かなかった。まるでオリヴィエを抱き留めようとでもするように無防備に胸部を晒している。
何かの作戦か? オリヴィエは一瞬怯んだが、迷いを断ち切るようにエリアル・ブレードを振り上げ、胸部の隙間目がけて刃先を落とした。それでも蒼炎の騎士は動かず、刃が到達する寸前になってようやくブルー・フェニックスを一振りした。
次の瞬間、目の前で生じた光景にオリヴィエは我が目を疑った。ブルー・フェニックスの剣身から実際に青い炎が生じたのだ。ごっという音を立てて炎が空を舞い、一瞬暗闇を照らした後で散り散りになって床に落ちた。火の粉が触れた先から絨毯がちりちりと音を立て焦げ、深紅の絨毯に黒い
「本物の炎だと……!? いったいどうやって……!」
さすがに驚愕を隠しきれず、オリヴィエが瞠目してブルー・フェニックスを見つめる。だが蒼炎の騎士は落ち着いたものだった。
「我が国の技術力は貴国よりも遙かに先んじていましてね。剣に魔力を宿らせる実験に成功したところなのですよ」
「魔力だと……? 馬鹿な。この国に魔法など存在しない!」
実際、オリヴィエがこれまで戦ってきた相手の中にも魔法を使う者は一人もいなかった。彼らが武器とするのはあくまで己の手腕のみ。
オリヴィエにとって、世界は目に見える力だけで構成されていた。だから魔法などという非科学的な存在は端から信じてこなかったのに、この男はその常識を覆すというのか。
「我々が知らぬだけで、魔法は世界の理として常に存在しています」蒼炎の騎士が落ち着き払って続けた。「この世界を支える四大元素……すなわち火、水、土、風の力。それらは単一では元素としての力しか持ちませんが、力を結集させた上でエネルギーを加えることで、強大な力を持つ魔法へと変貌を遂げる。我々はそれを実行したに過ぎません」
「……到底信じられんな。ただの手品ではないのか?」
「では試してみますか? あなたへの熱情を体現するこの炎を」
青い剣身が再び弧を描き、その軌跡に従って青い炎が空を舞う。左右に大きく火の手を広げる姿はまさしく炎から飛び立つ不死鳥のようだ。
炎は火の粉を撒き散らしながらまっすぐにオリヴィエに襲いかかってくる。オリヴィエは咄嗟に近くにあったカーテンを盾にした。炎はカーテンに燃え移って一瞬巨大な炎を上げたが、すぐに鎮火して消え去った。それでも焦げ臭い匂いや立ち上る白煙は残されている。間違いなく本物の炎だ。
蒼炎の騎士が三度目の剣を振るい、青い不死鳥が火炎弾となって向かってくる。周囲に身を隠すものもない。ならば断ち切るまでとエリアル・ブレードを振るって炎を打ち払う。銀色の閃光が闇を裂き、断ち切られた炎が火の粉となって床に落ちる。それでも全ての炎を払うことはできず、火の粉が触れた先から鎧がじゅうと音を立てて焦がされていくのがわかった。兜越しでも熱さが伝わり、こめかみに汗が滲んでいく。
「いかがでしょう? これで私の術が紛い物ではないとご理解いただけたと思いますが」
蒼炎の騎士が尋ねてくる。未だ炎を帯びた青い剣身は闇の中でいっそう鮮やかに輝き、まるで深海で煌めくサファイヤを見ているようだった。
オリヴィエはここに来て、初めて自分が動揺していることに気づいた。単なる斬り合いならいざ知らず、このような摩訶不思議な術を使われてはこちらが圧倒的に不利だ。そもそも自分は未だこの男に攻撃を加えることすらできていない。
(……私はこの男に敵わないと言うのか? この男の実力は私の上を行くと?)
己が力を
今までの戦いならば、多少苦戦することがあったとしても勝利を疑ったことはなかった。だのにこの男との戦いでは勝利の兆しすら見えない。いかなる強敵であろうと膝を折るまいと誓ったはずなのに、その気概さえも彼を前にしていると打ち砕かれていくように思える。
「そろそろお疲れのご様子ですね。いかがでしょう? この辺りで降伏しては」
オリヴィエの変化を見て取ったらしい蒼炎の騎士が言った。剣を手にしたままオリヴィエの方に近づいてくる。
「私を相手にこれだけ善戦したのはあなたが初めてです。このまま眠らせてしまうのはあまりに惜しい。いかがでしょう? この辺りで
オリヴィエは何を言われているのかわからなかった。蒼炎の騎士は続けた。
「あなたは強さと高潔さを兼ね揃えた
「……冗談のつもりか? 全く笑えないが」
「
「愚問だな。私は花騎士団を脱退するつもりなどない」
「ですが、その花騎士団はあなたを冷遇しているのですよ。女性というだけであなたを蔑み、低劣な存在として貶めている……。彼らのそのような振る舞いこそが低劣であり、恥ずべきものです。そんな場所にいつまでも身を置く必要はないのでは?」
「確かに花騎士団の連中は古い考えに捕らわれている者が大半だが、中にはそうでない者もいる。知ったような口を利くのは止めてもらおうか」
「あなたは友情を感じているのですか? そのごく少数の者たちに?」
「そうだ。それに私には……決して裏切れぬ方がいるのでな」
「ほう。それはもしや、そこにいる姫君のことでしょうか?」
蒼炎の騎士がオリヴィエの背後にある寝室に視線をやる。長時間の剣戟を繰り広げたというのに、アイリスの部屋からはやはり何の物音もしない。
「そうだ。姫付きを拝命した時から、私はあの方のお傍を離れないと誓った。あの方がいる限り、私がこの国を離れることはない」
「なるほど。つまり姫君さえいなければ、あなたの
「何だと?」
オリヴィエが瞠目して眉を上げる。その時、背後からきい、と扉が開く音がした。扉の隙間から、ネグリジェにショールを羽織ったアイリスが遠慮がちに顔を覗かせている。
「オリヴィエ……。どうしたの? さっきからずっと音がして……」
不安げに廊下を見回すアイリスの瞳がオリヴィエと、その向かいに立つ長身の騎士を捉える。その剣から燃え上がる蒼炎を見た瞬間、アイリスの目が恐怖に見開かれた。
「姫様!」
オリヴィエが弾かれたようにアイリスの元へ駆け出す。だがそれより早く蒼炎の騎士が疾風のごとき勢いで駆け出し、あっさりとオリヴィエを抜いてアイリスの前に立ちはだかった。彼女を見下ろして静止した後、迷いなくブルー・フェニックスを振り上げる。青き不死鳥が翼を広げ、アイリスを
次の瞬間、奇妙なことが起こった。重なり合う刃が音を立てた瞬間、まるで共鳴するかのように二つの剣が光を放ったのだ。
光は徐々に広がっていって二人の騎士の全身を包み、白い光が漆黒の
やがて唐突に光が止み、廊下が再び漆黒の帳に包まれた。アイリスが目を開けて恐る恐る辺りを見回す。
そこに彼女の騎士の姿はなかった。彼女と相対していた漆黒の騎士も、青い炎を放っていた剣の姿もなく、ただ、舞を終えた青紫色の蝶だけが、静かに羽を横たえていた。
[第五章 闇に爆ぜるは蒼き炎 了]
[第一部 花の王国 了]
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