襲撃

 その時、急に馬車が大きく揺れ、オリヴィエ達は座席から放り出されそうになった。馬が石にでもつまづいたのかと思ったが、馬車はそのまま停止してしまって動き出す気配がない。


「おい、どうした?」


 御者席側の壁を叩いて呼びかけるが返事はない。不審に思って窓から顔を出すと、手綱を放した御者がゆっくりと横向きに倒れていくのが見えた。何か赤いものが周囲を舞っている。薔薇の花びら? いや違う。首筋からほとばしるあれは――緋色の鮮血。


「どうしたのオリヴィエ、何があったの?」


 アイリスが不安そうにオリヴィエの鎧に触れる。オリヴィエは素早く窓から顔を引っ込めて彼女の方に向き直った。恐怖を与えたくはないが、何も知らせずには済まされない。


「……姫様、どうやら非常事態のようです。ここから一歩も出ないでください」

「え、でも……」

「姫様の身の安全のためです。どうぞご理解を」


 オリヴィエの表情から事の切迫性を感じ取ったのだろう。アイリスは不安げな顔をしながらも頷いた。

 オリヴィエは腰に下げた剣を確かめると、急いで兜を被って馬車を降りた。




 馬車は薔薇園の中心部で停まっていた。生け垣に囲まれた十字路の真ん中にぽつんと佇み、誰からも忘れられてしまったように思える。馬は無傷で、持ち手を失った手綱をぶら下げたまま、足元にある草をのんびりと食んでいる。ゼラ達を乗せた馬車の姿は見えない。オリヴィエ達が襲撃を受けたことに気づかずに進んでしまったようだ。


 オリヴィエは注意深く辺りを見回した後、足元に倒れている御者の傍に片膝を突いた。甲の目元側の面頬めんぼおを上げて御者の姿を観察する。瞳孔は開かれ、口は半開きになったまま硬直し、首筋から流れ出す血が石畳の間を縫うように広がっていく。脈を確かめるまでもなく、すでにこときれていることは明らかだ。四方を薔薇に囲まれた美しい庭園に、その凄惨な光景はひどく不釣り合いだった。


 オリヴィエは痛ましそうに目を細めたが、すぐに表情を引き締めて御者の傷口を調べた。斜めに切られた傷口は鋭利な刃物でつけられたものだろう。だが、ナイフや短刀を使ったにしては傷口が大きすぎる。ならばこれは――。


 その時、背後から何者の気配を感じてオリヴィエは咄嗟に飛び退いた。次いでぶん、と何かを振り下ろすような音がして、さらにきいんという金属音が辺りに響いた。素早く身を起こして前方を見ると、金色の甲冑をまとった騎士が石畳に長剣を食い込ませていた。剣は刃が青紫色で、つばの部分が蝶のような形をしている。


「ほう……。今の攻撃をかわすとはな。さすがは『翠色すいしょくの騎士』といったところか」


 金色の騎士が感心したように言った。兜の面頬がずらされて口元だけが見えるようになっている。年齢はわからないが、声からして男のようだ。


「貴様、何者だ?」オリヴィエが鋭い目で敵を見た。

「ふん。わからぬか? この甲冑を見ても何も気づかぬとは、よほど目が節穴と見える」


 金色の騎士が侮蔑したように鼻を鳴らす。オリヴィエは怪訝そうに目を細めたが、甲冑の胸部に白い線で彫られた花の紋章を見たところであることに気づいた。


「その紋章……。それに金色の甲冑……。まさか貴様、ディモルフォセカの騎士か?」

「いかにも。金騎士団副隊長、ロベリアとはこの俺のこと。ディモルフォセカ随一と呼ばれる実力を持ち、長きにわたって金騎士団を率いてきた騎士よ」


 ロベリアが居丈高な口調で言う。オリヴィエは唾を飲んで相手を見据えた。まさかここで金騎士団の騎士に遭遇することになろうとは。だが副隊長ということは、この男は『蒼炎そうえんの騎士』ではないようだ。


「貴様、何が目的だ? なぜ私達の馬車を襲った?」

「無論。貴様らの行く手を阻むのが目的よ。その馬車にはエーデルワイス王国の姫が乗っているのだろう? 我々は姫に用があるのでな」

「姫様に何の用だ?」

「我が国が領土拡大を進めておることは知っておろう? 陛下はエーデルワイス王国の領土にいたく関心を示しておいででな。協定によって領土の一部を明け渡すよう従前からゼラ国王に持ちかけておるのだが、なかなか応じぬようでな。そこで陛下のお力添えにと、我々がゼラの娘を手中に収めようと考えたのだ」

「つまり、姫様を人質に交渉を有利に進めようということか。下劣な真似を……」

「何とでも言え。陛下の本懐を果たすことは我が金騎士団にとって絶対的使命。そのためなら自らの手を汚すことも厭わぬ」


 ロベリアの態度に全く悪びれた様子は見られない。彼の国王への忠誠心は相当高いようだ。


「姫様に手出しをする者は容赦しない。私が誰か知らぬわけではないだろうな?」

「無論知っている。『翠色の騎士』、女であるが相当な手練れのようだな」

「わかっているなら大人しく立ち去ることだ。貴様がどれほどの実力の持ち主であろうと、私に勝てるなどと思わない方がいい」

「ほう、随分と自信があるようだな? 強さへの慢心は騎士の御法度ではなかったか?」

「慢心ではなく、事実だ。今の花騎士団でも私を打ち負かした者はいないのでな」

「それは面白い。だが、これを前にしても同じことが言えるかな?」


 ロベリアが口元を緩めて指を鳴らす。すると彼の背後にあった茂みが揺れ、そこから何人もの騎士が現れた。ロベリアと同じ金色の甲冑を身につけている。


「ここにいるのは皆俺の部下だ」ロベリアが言った。「入隊当初から俺が目をかけてきた忠実な部下ばかりでな。これだけの人数を相手にしては、いかに貴様でも敵うまい?」


 オリヴィエは目を細めて周囲を見回した。騎士の数はロベリアを含めて十人。皆体格がよく、手にした剣も立派なものだ。確かに粒揃いの集団に見える。


「一人では敵わぬ相手と知って頭数を揃えてきたか。卑劣な真似をする……」

「全ては陛下の宿望を叶えるため。俺は用心深い性格なものでな」

「数を揃えれば私に勝てるとでも?」

「数だけではないぞ。今の金騎士団の実力の程は貴様も知っておろう?」

「確かに。だがそれはお前ではなく、『蒼炎の騎士』の功績のはずだ。お前はそのお零れにあずかっただけではないのか?」


 ロベリアの頬がぴくりと引き攣る。どうやら痛いところを突いたらしい。


「……ふん、あのような若造に何ができる? 今は一時的に隊長の座を明け渡してやっているが、俺が隊長の座に返り咲くのは時間の問題。この計画は、陛下に俺の価値を見直していただくための布石でもある!」

「要するにお前は『蒼炎の騎士』にお株を奪われ、名誉挽回のために姫様の強奪を図ったというわけだ」オリヴィエが冷たく言い放った。

「だが剣術で挽回を図るならまだしも、このような賊染みた手段に走るとは……実力の程が知れるな」

「黙れ! 貴様のような生まれつき才能に恵まれた人間に何がわかる!?」


 ロベリアが歯を剝いて剣を握る手に力を込める。この程度の挑発で怒りを覚えるとは、やはりこの男は騎士としては二流。それでも油断はできない。


「御託はもういい。貴様も騎士なら、口八丁に頼る前に剣で片をつけたらどうだ?」

「言われずともそのつもりだ。『翠色の騎士』を倒せば、俺こそが隊長に相応しいことを証明することになるのだからな!」


 ロベリアが調子づいた様子で叫ぶ。そのまま口元の面頬を上げると、剣を構えてオリヴィエににじり寄ってきた。他の騎士もそれに続く。

 十対一。端から見れば圧倒的に不利だが、オリヴィエが不安を感じることはなかった。私は五十人を一度に相手にした銀風ぎんぷうの騎士の娘。この程度の数を相手に怯むわけにはいかない。


 オリヴィエは顎を引いて敵を見据えると、自分も目元側の面頬を下ろした。鞘に手をかけ、ゆっくりとエリアル・ブレードを引き抜く。日光を浴びて煌めく銀色の剣身。

 かつてこの剣を手に戦った父の英姿が、今もそこに宿っているような気がした。

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