忌まわしき性

 その後数時間が経ったが、オリヴィエは結局妙案を見つけられずにいた。


 まずは手首の拘束を解こうと考え、石壁に鎖を擦りつけるところから始めてみた。だが、鎖は頑丈にできているようで、どれだけ辛抱強く擦っても一向に切れる気配がなかった。

 そのうち手の甲が擦れて痛くなったので止め、今度は鎖を繋いでいる壁の支柱ごと抜き出せないか試してみたが、こちらも上手くいかなかった。オリヴィエがどれだけ力を入れて引っ張っても支柱はびくともせず、周囲の石壁が崩れることもなかった。どうやらこの牢獄はかなり堅牢な造りのようだ。作られてから間がないのかもしれない。


 拘束が解けないとわかってから、オリヴィエは衛兵の説得を試みた。主人が良心の欠落した暴君だったとしても、その手下には人の心は残っているかもしれないと考えたのだ。

 だが、衛兵はオリヴィエがどれだけ話しかけてもまるで反応を返さなかった。声が聞こえていないのかと思って声量を上げても同じだった。あまりに何の反応も示さないので、オリヴィエは自分が壁に向かって話しているような気分になってきた。


「おい貴様、聞いているのか⁉ あのような男の悪事に手を貸して良心が咎めないのか⁉」


 そう怒鳴りつけてもやはり衛兵は無反応だった。眉をひそめるとか、身体を捩らせるとか、そういった些細な反応を示すことさえしなかった。


 どうして彼らがそれほど平然としていられるのか、オリヴィエは最初解せなかったが、しばらくして、これは彼らなりの防衛反応かもしれないと思うようになっていった。

 度重なる主人の暴虐ぶりを見ているうちに罪悪感に耐え切れなくなり、良心の呵責から逃れるために感情を抑圧する術を身に着けた。それを繰り返しているうちに感覚が麻痺し、主人の命令を粛々と執行する機械と成り果てた。オリヴィエはそう結論付けて衛兵の説得を止めた。機械と化した人間の情にいくら訴えたところで馬耳東風でしかない。


 オリヴィエは小さくため息をつくと、背中を壁につけて足を伸ばした。徒労を重ねたことで心身共に疲れ果てていたが、そんな状況でも頭だけは冴え渡り、これまでの出来事が走馬灯のように蘇ってくる。


 ディモルフォセカに空間転移をしてから数ヶ月、何度も貞節の危機に晒されてきた。そのたびに運が味方をし、修羅場を潜り抜けることができたが、今回ばかりは運に見放されたようだ。領主に捕らえられはしないと息巻いておきながら、結局彼に捕縛されて処遇を待つことしかできない。これも騎士としての本分を忘れた罰だろうか。慢心は悪であり、己を過信してはいけないと教わっていたのに、少し油断を見せたばかりに姦計かんけいに嵌まることになってしまった。グラジオが知ったらさぞ嘆くことだろう。


 再びため息をついて視線を落とすと、ローカットのドレスから覗く胸元が目に入った。普段、鎧を着ている時にはサラシで潰しているにもかかわらず、丸みを帯びた乳房は少しも張りが失われていなかった。


 だが、オリヴィエはそれを見ても全く嬉しくはなかった。むしろそれは女の象徴であり、見るたびに不快さを生じさせるものだった。身体にこんなものが付いていなければ束の間でも自分が女であることを忘れられるのに、今や一番見たくないその部分が存在を主張し、男に欲情を起こさせる一因となっている。胸部に注がれたギルベルトの粘つくような視線を思い出し、オリヴィエは吐き出したくなるほど不快になった。この手に剣があれば、今すぐこの突起を切除し、自分が女であることを知らしめる部位から永久に決別することができるのに。


 三度ため息をついて天井を仰ぐ。結局私は、女という運命から逃れられないようだ。どれだけ男だてらに振舞ってみたところで自分が女である事実は変えられず、一部の人間からは性具の対象としかみなされない。彼らにとって重要なのは、私が女であるという一点のみ。そこでは騎士の名も剣術の腕も何の意味も持たず、他の女と同列に扱われる。理由もなく侮られ、欲望を満たすための非力な存在として虐げられる。


 それでも今までは、剣を以て暴力を薙ぎ払うことができた。性別という呪縛を断ち切り、自分は運命に屈しない騎士なのだと誇ることができた。

 だが、今の自分は剣も鎧も奪われ、女の身体を無様に晒している。オリヴィエは今日ほど自分が女に生まれたことを憎んだことはなかった。


 とはいえ、まだ膝を折ることを決めたわけではない。ギルベルトはおそらく私をどこか別の場所に移して事に及ぼうとするはず。そこで脱出の機会はあるはずだ。私はあの男の魔の手から逃れ、リアと共にこの牢獄から抜け出す。そのためには何を差し置いても剣が必要だ。剣さえあれば、この不条理な運命を断ち切ることができる。あの卑劣極まりない男の口を永久に塞ぐことができる。

 オリヴィエはそう考え、次なる戦いに備えてしばし休息を取ることにした。身体から力を抜き、ゆっくりと息を吐き出す。傍から見ればそれは諦観の吐息に思えただろうが、オリヴィエは最後まで諦めるつもりはなかった。


 鎧と剣を失った今でも、彼女の騎士としての不屈の魂は失われてはいなかった。

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