遊戯の舞台は

 支配人に連れられて二人がやってきたのは、街に来て最初に訪れた『テミス』という名の高級宿だった。八階建ての外観は周囲のどの建物よりも大きく、扉から外壁に至るまで過剰と思えるほどの装飾が施されている。二メートルはありそうな黒塗りの扉には二人のボーイが控え、オリヴィエ達の姿を見ると揃って胸に手を当ててお辞儀をした。昼間は自分達に目もくれなかったのに、男爵の招待客とわかった途端に随分な手のひら返しだ。


 内装も外観に負けず劣らず立派だった。ロビーは二階部分まで吹き抜けになっていて、天井からぶら下がった巨大なシャンデリアが室内を皎々と照らしている。壁と床はどちらも大理石でできているようで、シャンデリアの灯りを受けて金色に染まり、温かで洗練された雰囲気を醸し出している。部屋の端には立派な観葉植物が置かれているほか、赤い薔薇を生けた花瓶がいくつも飾られ、ロビー全体にかぐわしい香りを立ちこめさせている。贅を凝らしたその内装はいかにも貴族が好みそうで、オリヴィエは見るからに高級そうなテーブルや椅子を眺めながら、これ一つで何人の浮浪者が糊口ここうを凌げるのだろうと考えた。


 レオポルトはラウンジにある革張りのソファーに座っていた。まるで自分の家であるかのように堂々と背もたれに身を預け、手鏡を見ながら口髭の手入れをしている。支配人に連れられてやってくるオリヴィエを見ると目尻を下げて片手を上げた。


「やぁ、こんばんはお嬢さん。きっと来てくださると思っていましたよ」


 表面だけ見れば愛想のいい中年男であるが、その厚い面の皮の下にある悪心をオリヴィエは知っている。だから機先を制するように言った。


「最初に言っておくが、私はお前の要求を呑むつもりはない。お前が浮名を流す男であることはすでに聞き及んでいるのでな。私に執着しても無駄だということを忠告しに来ただけだ」


「ほう。それを伝えるためにわざわざ会いに来てくださったのですか。ですが人伝にしなかったところを見ると、あなたも本心では寝心地のいい閨房けいぼうを求めているのでは?」


「……その楽観的思考にはある意味感心する。だが私の言葉に裏も表もない。お前がいかに策を弄そうと、私を捕らえることなど不可能。無知な小娘と同類などと思わないことだ」


「あなたを無知などとは思っておりませんよ。むしろ言葉の節々に知性が感じられる。それに勇気もおありなようだ。何、こうして乗り込んでこられたのを見ればわかりますよ」


「私は騎士だ。自分に害を為す相手から尻尾を巻いて逃げるような真似はしない」


「なるほど。騎士ですか。知性と勇気を兼ね備えた、美しき騎士……。これほどの名花にはなかなかお目にかかれるものではない。ぜひ香りを堪能したいものですねぇ」


 何を言ってもレオポルトには飄々とかわされてしまう。言葉では埒が明かないと思い、オリヴィエは剣に片手をかけつつ言った。


「とにかく、今後一切私には関わらないことだ。さもなくばお前のその口髭を切り落とすことになる」


「それは困りますねぇ……。ですがお嬢さん、私の話ももう少し聞いてはくださいませんか? 私は何もあなたと無理に情交を結ぼうというわけではないのですよ。ただあなたと勝負をしたいと思っただけで」


「勝負だと?」


「そうです。ストレリチア家はノウゼン地方でも有数の大尽たいじんですが、全てを財力で解決するわけではない。本当に欲しいものは実力で摑み取るという考えが先祖代々受け継がれているのですよ。その方が手に入れた時の喜びも増しますからね」


「貴様の主義など知ったことではない。第一、その勝負とやらを受けたところで私に何のメリットがある?」


「そうですね。手始めに宿所を提供することはできるかと。テミスは私の傘下にありましてね、一番上等な部屋は空けておくように日頃から申しつけているのですよ。お望みであれば、その部屋をあなた方にお貸しいたしましょう。無論、代金はこちらでお支払いします」


「貴様が情事をした部屋で寝泊まりしろと? 戯れ言にも程があるな」


「そちらがお気に召さないようでしたら、他の部屋をご用意することもできますよ。何しろ私はここでは上客ですからね。指を鳴らすだけで一つでも二つでも部屋を空けることができる。そうでしょう?」


 レオポルトが同意を求めるように支配人を見る。支配人が渋々頷いた。


「それと……そうですね。買い物の際に便宜を図って差し上げてもよろしい」レオポルトがオリヴィエの方に向き直る。

「ストレリチア家の名は露天商の間でも知れ渡っておりますからね。いかなる高価な品であっても定価の半値で購入することができるでしょう」


「……それはまた、随分と大盤振る舞いだな。負ければ自慢の家を破産させることになるだろうに」


「負け戦に挑む趣味はありませんよ。勝利を確信しているからこそ好条件を呈示しているまでです」


 レオポルトは憎らしいほど落ち着き払っている。騎士を相手にそれだけ大言壮語を叩くとは、よほど腕に自信があるらしい。

 だが、いくらこの男が剣術に長けていたとしても所詮は貴族の戯れ。生来の騎士である自分に敵うとは思えない。そう考えると、勝負を受ける利点もあるように思えてきたが、念には念を入れた方がいい。


「……いいだろう。だが条件二つがある。それを飲まなければ勝負の話はなしだ」


「何なりと。して、その条件とは?」


「一つ。まず私が勝った場合、私達が滞在している間はこの宿に一切近づかないと約束しろ。万が一夜に侵入などされては目も当てられんからな」


「そのような下卑た真似はいたしませんよ。私は紳士ですからね」


 レオポルトが気取った仕草で胸に手を当てる。どの口が言う、とオリヴィエは吐き捨てたくなったが、構わず続けた。


「二つ。万が一私が負けた場合のことだ。その場合もこの少女には部屋を提供しろ」リアの方に軽く顔を向ける。「無論、お前がそこに立ち入ることは許さない」


「構いませんよ。私の目当てはあなたですからね」


「そんな……いけませんわ!」リアが悲鳴交じりに叫んだ。

「騎士様がそんなおかしな勝負をお受けする必要なんてありません! 私は野宿でも平気なんですから!」


「野宿はお勧めしませんよ」レオポルトが諭すように言った。

「この辺りは夜になると治安が悪いですからね。あなただって、浮浪者にお召し物を剝がされたくはないでしょう?」


 リアがみるみる顔を青ざめさせる。そのまま黙り込んだのを見てオリヴィエが言った。


「奴の口八丁に惑わされるな、リア。私が奴に負けることなどあり得ない」


「そうですが……万が一ということが……」


「あれは念を押しただけだ。貴族の戯れが、騎士である私を上回ると思うか?」


「騎士様……」


 リアの表情はまだ不安げだったが、それでも力強いオリヴィエの言葉に感じるものがあったのだろう。組んだ両手に視線を落とすと、信頼を示すように頷いた。


「話はついたな。ならばさっそく勝負に入るとしよう」


 これ以上の雑談は無用とばかりにレオポルトに背を向け、オリヴィエは足早に宿の外に向かおうとする。だがなぜかレオポルトは動こうとしなかった。


「お待ちください。どこに行こうと言うのです?」


「外に決まっているだろう。室内で剣など振り回せば他の客の迷惑になる」


「剣など使うつもりはありませんよ。私が申し上げた勝負とは剣戟けんげきとは別物ですから」


「別物? ではいったい何だと……」


「ポーカーですよ、もちろん。由緒正しき貴族の嗜み。すなわちカードゲームです」


 オリヴィエが息を飲んで瞠目する。レオポルトは滔々とうとうと続けた。


「私は平和主義でしてね。暴力を伴う勝負は好まないのですよ。カードゲームであれば、武器を振り回すことも血が流れることもない。まさに高貴なる者の嗜みです」


「では……貴様は最初から、私と剣を交えるつもりはなかったというのか?」


「当然です。騎士相手に剣戟で勝てると思うほど私も自惚れてはおりませんよ」


 ここに来てオリヴィエは、自分がはかられたことに気づいた。彼が見せたあの絶大な自信は、剣の腕を誇っているからではなかった。むしろ剣では勝てないと思ったからこそ、自分の得意とする戦場にオリヴィエを引き込んだのだ。言葉巧みに誘導して。


「そんな……卑怯ですわ! 人を騙して勝負を受けさせるなんて……!」リアが憤慨した様子で叫んだ。


「騙してなどおりませんよ。私は『剣術の勝負』をするとは一言も申しておりませんからね」


「でも賭け事だともおっしゃいませんでしたわ! 騎士様が誤解なさるのは当たり前です!」


「それはあなた方の認識の問題でしょう? ご自身の常識を押しつけられても困りますねぇ」


 ぬけぬけと言ってのけるレオポルトの態度に、リアがますます憤激した顔になって拳を振るわせる。一方のオリヴィエはと言えば、騙されたことに義憤を感じながらも、それ以上に彼の口車に乗せられてしまった自分に忸怩じくじたる思いがしていた。


「さぁお嬢さん、どうなさいますか? このまま勝負を続けますか? それとも端から諦めて逃げ出しますか?」


 レオポルトが挑発するように尋ねてくる。オリヴィエはしばし逡巡したが、ここで逃げ出して騎士の名に泥を塗ることはできないと思い、意を決して言った。


「いいだろう。一度受けた勝負を降りるなど騎士の名折れ。その勝負、受けて立つ」


「それでこそ騎士です。今宵は楽しくなりそうですよ」


 レオポルトが上機嫌で口髭を撫でる。リアが明らかに心配そうな視線を向けてきたが、オリヴィエは内心の動揺を悟られないよう、硬い表情で頷いて見せた。




********************


次回からポーカーの勝負が始まります。本文だけでルールが把握できるよう構成していますが、より詳しいルールを知りたい方はこちらのサイトをご参照ください。また、不明点やルール誤り等があればお気軽にコメントでお知らせください。

https://playingcards.jp/m/game_rules/drawpoker_rules.html

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