愛らしき花
部屋の扉をノックすると、すぐにアイリスが中から顔を覗かせた。オリヴィエの姿を見ると顔がぱっと明るくなる。
「あら、いらっしゃいオリヴィエ! もうお仕事はいいの?」
「はい、先ほど終了しました。姫様の方は、授業は終わられたのですか?」
アイリスは姫として、様々な教養を身につけるべく何人もの家庭教師に学術を習っている。今日は歴史の授業とピアノのレッスンがあったはずだ。
「ええ、さっき終わったわ。でも先生ったらひどいのよ。私の演奏には優雅さが足りないって言うの。一生懸命弾いてるのにね?」
「懸命さが伝わるからこそ、優雅ではないと評されたのではありませんか? 人の心を打つ演奏は、奏者の労苦など感じさせないものですからね」
「まぁ、あなたも先生みたいなこと言うのね。そんな簡単に弾けたら苦労しないのに」
アイリスが腰に手を当ててむくれた顔をする。その子どもっぽい顔が可笑しくて、オリヴィエは思わず笑みを漏らした。
「それで、あなたの方はどうだったの?」アイリスが小首を傾げて尋ねた。
「今日も訓練だったのよね。誰と戦ったの?」
「ルドベキアという男です。入団して半年の新参者ですが、なかなか手強い男でした」
「あら、本当? あなたが苦戦するなんて珍しいわね。いつもは歯応えがないって言ってるのに」
「騎士団には口先だけの連中も多いですからね。ですが奴の実力は本物でした。今回は勝ちましたが、いずれは私を脅かす存在になるかもしれない」
「あら、そんなことないわ。あなたは誰よりも強い騎士よ。だから私はあなたを私の騎士に任命したんだもの」
アイリスがにっこり笑って言う。無条件の信頼を示すはずのその言葉は、なぜかオリヴィエの心をちくりと刺した。
「あぁ……そうだ。今日は姫様にお渡しするものがあるのです」オリヴィエが話題を変えるように言った。
「まぁ、何かしら? もしかしてプレゼント?」
「ええ。ただし私からではありません。ある男から預かってきたものです」
オリヴィエはそう言って背中に隠していた花束を差し出した。途端にアイリスの顔がぱっと輝く。
「まぁ……綺麗なお花。これ、どなたが?」
「シャガという騎士です。あなたに贈るため、トリトマの森で摘んできたそうです」
「本当? 嬉しいわ。私の好きなものをきちんとわかってくださってるのね」
アイリスが花束を受け取り、慈しむように目を細めて花々を見つめた。まさしく花が開いたかのような笑顔。この笑顔を見られないとは、シャガも惜しいことをしたものだ。
「ねぇ、そのシャガさんって、もしかしてあなたが稽古をしてる人?」
「ええ、それが何か?」
「ううん……。あなたが人から頼み事をされるのは珍しいと思っただけ。だってあなた、他の騎士とはほとんど関わらないでしょう?」
「連中は私を嫌っていますからね。こちらが下手に出て、無理に関わりを持つ必要もない」オリヴィエはすげなく言った。
「ええ、もちろんあなたが機嫌を取る必要はないわ。私はね、あなたにも騎士のお友達ができたことが嬉しいだけ」
「友達?」
「ええ、そうよ。シャガさんはお友達だからあなたに頼んだんでしょう?」
「いや……単に私が姫付きだからだと思いますが」
「そうかしら? よく知らない人だったら、プレゼントを預けたりしないと思うけど」
オリヴィエは黙り込んだ。本当にそうなのだろうか? 確かにシャガとはよく話をするが、時々稽古をつけているだけの関係に過ぎないと思っていた。だが実際には、シャガはそれ以上の親愛を自分に感じてくれているのだろうか。
「あ……そうだわオリヴィエ、私もあなたに渡したいものがあるの」アイリスがおずおずと言った。
「私に?」
「ええ、やっぱりお花なんだけど。昼間森に行って摘んできたのよ」
アイリスが反応を窺うように上目遣いにオリヴィエを見る。だが、期待に反してオリヴィエは深々とため息をついた。
「姫様……。一人で森に行ってはいけないとあれほど申し上げたではないですか。先日も盗賊が出ましたし、一国の姫様が一人で出歩くのがどれほど危険なことか……」
「だって……私、あなたを驚かせたかったんだもの。この前馬車で通りがかった時に咲いているのを見かけて、どうしてもあなたに贈りたいと思って……」
アイリスがいじけたように言って手を背中に回す。オリヴィエは軽くため息をついたが、すぐに表情を和らげて尋ねた。
「まぁいいでしょう。それで? 渡したい花とは何ですか?」
「これよ。ほら見て、綺麗でしょう?」
アイリスが背後に隠していた花を差し出す。白い花弁を持つ大輪の花。国花でもあるエーデルワイスだ。
「エーデルワイス……? 珍しいですね。これがあの森に咲いているとは」
季節を問わず多種多様な花が咲き誇るトリトマの森であるが、エーデルワイスが咲くことは一年に一度あるかないかだ。その希少性が国花とされる
「ええ、そうなの。だからどうしても摘みたくなっちゃって。きっとあなたの髪によく似合うと思うの。付けてあげるから、そこに座ってくれる?」
アイリスが傍にあった
「うん、やっぱり綺麗。本当、あなたの髪って白がよく映えるわね」
アイリスが満足そうに頷いた。オリヴィエは鏡に映る自分の姿を見やった。
「……鎧に花とは、何とも奇妙な取り合わせですね。他の騎士に見られたら何と言われるか」オリヴィエが苦笑を漏らした。
「あら、勝手に言わせておけばいいんだわ。私はあなたのその髪が好きなんだから」
アイリスが言ってオリヴィエの髪に触れる。そのまま下に向かって手でゆっくりと
「……本当、あなたの髪はいつ見ても綺麗ね。色もそうだけど、手触りも滑らかで羨ましいわ」
「姫様の髪も美しい瑠璃色ではないですか。まるで宝石のようだと騎士たちがいつも噂していますよ」
「そう? でも、私の髪の色は少し暗いでしょう? 私はあなたみたいに鮮やかな色の髪が好きなの」
アイリスは愛おしそうに言って何度もオリヴィエの髪を梳く。後頭部を
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