訓練

 騎士の訓練場は屋外にあり、円状に並んだ木柵の中に芝生の地面が広がっている。中では様々な色の鎧をまとった騎士たちが剣や槍の刃先をぶつけ、文字通りつばぜり合いを繰り広げている。あちこちで金属音が飛び交う光景は緊迫感が漂っていて、彼らの誰もが訓練に打ち込んでいるのが見て取れた。


 そんな風に訓練に精を出す騎士たちの真ん中で、赤銅しゃくどう色の鎧を着た騎士が一人佇み、彼らの間で視線を走らせているのが見えた。兜に付いた金色のフリンジを振り乱し、騎士たちに向かって矢継ぎ早に指示を飛ばしている。


「そこ! 剣の握りがなっておらん! 武器の構えは基本中の基本だぞ!」

「そこ! 攻撃時に無駄な動きが多い! それでは相手の反撃を誘うだけだ!」


 そんな手厳しい言葉を次々とかけながら、赤銅色の騎士は大股で騎士たちの間を闊歩かっぽしていく。彼こそがこの花騎士団を統括する隊長、グラジオだ。


 グラジオはなおも口角泡を飛ばしていたが、そこで入口から誰かが入ってくるのが見えて振り返った。オリヴィエが大股で自分の方に近づいてくる。


「グラジオ隊長! ただ今戻りました!」


 オリヴィエがきびきびとした口調で言った。彼女の存在に気づいた何人かの騎士が戦いの手を止める。


「む、オリヴィエか。 陛下との謁見は終わったのか?」グラジオが尋ねた。

「はい。先ほど終了いたしました。私もこれより訓練に戻ります」

「そうか。では一度仕切り直しをするか。……皆の者、手を止めろ!」


 グラジオの一言で、辺りに飛び交っていた丁々発止ちょうちょうはっしの音がぴたりと止んだ。グラジオは騎士たちをぐるりと見回してから言った。


「オリヴィエが戻ったため、今から別の訓練を開始する。騎士が力をつけるためには、己が戦法を磨くだけでなく、他者の戦法を観察することも必要だ。そこで今から、二名の代表を選出して試合を行いたいと思う。

 ルールはこうだ。今から順番に代表を選出し、一対一で試合を行ってもらう。代表の選出は挙手制とし、先に名乗りを挙げた者が対戦相手を指名する。ただし、代表になれるのは一度きりで、一度戦った者を指名することはできない。これを順に繰り返し、全員が代表になったところで訓練は終了とする。説明は以上だが、何か質問のある者は?」


 誰も声を上げなかった。グラジオは頷いて続けた。


「では、早速代表の選出に入る。最初に戦いたい者はいるか?」

「はい! 私が行きます!」


 後方から元気のいい声がした。グラジオがその方に視線を移すと、淡青たんせい色の鎧を着た小柄な騎士が、つま先立ちをしながらぴんと手を挙げているのが見えた。


「お前は新入りだったな。名は確か……」

「シャガです! 花騎士団に入団して一週間になります! 剣術の腕はまだまだですが、やる気だけは誰にも負けません!」


 淡青色の騎士が勢い込んで叫んだ。籠手ガントレットを装着した手を握り締め、気合を示すようにガッツポーズを作る。周りにいる騎士が何名か忍び笑いを漏らしたが、本人は気に留めていない様子だ。


「よかろう。最初の代表はお前だ」グラジオが尊大に頷いた。「それで、対戦相手には誰を指名する?」

「はい。オリヴィエ殿に戦いを挑みます!」


 シャガの一言で、騎士たちはにわかに騒然となった。グラジオでさえ、困惑を隠せない様子でまじまじとシャガを見返している。


「……シャガ、お前のその闘志は見上げたものだと思うが、考え直した方がいいのではないか?」グラジオが諭すように言った。

「剣術の腕は、自分と互角の相手と戦って初めて磨かれるものだ。お前はまだ新入りで、オリヴィエと相応に渡り合えるほどの実力を持っているとは思えん」


 何人かの騎士が賛同するように頷く。だがシャガは引かなかった。


「構いません! 俺、強い奴と戦って自分を磨きたいんです! それにオリヴィエ殿は、あの有名な『翠色すいしょくの騎士』なんでしょう? そんな奴と手合わせしない手はありません!」

「しかし……」

「……いいでしょう。その勝負、受けて立ちましょう」


 困惑するグラジオをよそに、オリヴィエが静かに言った。騎士たちが一斉に彼女に視線を注ぐ。オリヴィエは周囲の騎士には目もくれず、シャガだけを見据えて言った。


「ただし、やるからには一切手加減はしない。たとえお前が傷を負ったとしても、それはお前の責任だ。その覚悟はできているのだな?」

「おう! もちろんだ! 俺も女だからって手加減はしないぜ!」


 シャガは息巻いて腕を揺すり始める。グラジオは二人の間で気遣わしげに視線を左右させていたが、やがて決意を固めたように頷いた。


「よかろう。それでは第一回戦は、シャガとオリヴィエの対戦とする。二人は前に出て、他の者は壁際へと下がれ!」


 グラジオの号令で騎士たちは一斉に行動を開始した。シャガは意気揚々と空いたスペースへと繰り出し、オリヴィエは兜を被ってその向かいに立つ。


「勝負は一本先取制。相手に一度でも攻撃を当てた方の勝利とする。では始めるぞ。構え……!」


 グラジオの合図で二人は腰から素早く剣を抜き、腰を屈めて構えの態勢を取った。互いの姿を見据えたまま呼吸を止める。


「始め!」


 グラジオが叫ぶと同時にシャガが前へと飛び出した。両手で剣を大きく振りかぶってオリヴィエに襲いかかる。だがオリヴィエは後ろに下がって軽く攻撃をかわした。剣の切っ先が地面に突き刺さり、シャガは慌てて剣を引き抜こうとする。


「……遅い」


 シャガの背後から声がした。シャガがはっとして振り返ると、オリヴィエが冷ややかな眼差しで自分の首筋に剣を突きつけていた。オリヴィエは手首を返して攻撃を仕掛けようとしたが、それより早くシャガが剣を引き抜いて地面に転がった。オリヴィエの攻撃は空をかすめ、シャガはふうっと息をつく。


「……それで防いだつもりか?」


 再びオリヴィエの声がした。次の瞬間、前方から二度目の攻撃が飛んできて、シャガは咄嗟に頭を屈めて攻撃をかわした。攻撃はシャガの頭上を掠め、兜に付いていたフリンジがぱらぱらと崩れる。シャガは自分の顔が青ざめるのを感じた。


 オリヴィエはその後も続けざまに攻撃を繰り出し、シャガを壁際へと追い詰めていく。シャガは身体を左右に捩って攻撃をかわしたが、次第に息が上がってきたのか動きが鈍くなってきた。何とか反撃しようするものの、間断なく攻撃が飛んでくるので剣を振りかぶる暇さえない。あまりにも一方的な試合運びに、騎士の間からため息が漏れた。


「おい、しっかりしろ新入り! 女なんかにやられてどうするんだ!」


 誰かが野次を飛ばした。その声が皮切りになったように騎士の間から次々とブーイングが飛ぶ。


「静まれ! 試合の最中だぞ!」


 グラジオが怒鳴りつけると騎士たちはすぐに黙り込んだ。だが、周囲にくすぶった空気は、それが彼らの間に蔓延まんえんする不満であることを物語っていた。


「何だ……。どういうことだ? あんたあいつらに嫌われてるのか?」


 シャガが当惑した様子で言った。額当てと面頬めんぼおの間からオリヴィエの顔を覗き見ようとするが、それより早くオリヴィエが視線を落として尋ねた。


「……他人の戯言ざれごとになど興味はない。それよりもお前、私と戦う意志はまだあるのか? 今までの状況を見る限り、降参した方が身のためだと思うが」

「降参? するわけないだろそんなもん! 俺は今、あの『翠色すいしょくの騎士』と戦ってんだ! こんな機会を簡単に捨てられるかってんだ!」


 シャガは興奮気味に言って剣を構え直す。あれだけ圧倒されたにもかかわらず悔しがる様子はなく、むしろこの戦いを楽しんでいるように見える。


「そうか。ならば私も遠慮はすまい。一思いに楽にしてやろう」


 オリヴィエはそう言って両手で剣を掲げた。シャガも表情を引き締めて迎撃の態勢を取る。互いの呼吸が止まり、その一瞬が永遠にも感じられた。


 先に動いたのはオリヴィエの方だった。地面を蹴って駆け出し、あっという間にシャガの懐に飛び込んでくる。シャガは剣で攻撃を受け止めようとしたが、オリヴィエはその動きを呼んだように狙いを変え、シャガの頭目がけて剣を振り上げた。シャガが頭を防御しようとした時にはすでに遅く、次の瞬間、きいんという音がしてシャガの兜が弾き飛ばされた。


「そこまで!」


 グラジオの声が飛び、試合に見入っていた騎士たちがはっとして我に帰った。改めて前方に視線をやると、静かに剣を納めるオリヴィエと、呆けた顔で立ち尽くすシャガの姿が目に入る。どちらが試合を制したかは明らかだ。


「……シャガ、やはりお前には分不相応な試合だったようだ。今度戦う時は、実力を見てから相手を選んだ方がいい」


 グラジオがため息混じりに言った。そこでようやくシャガも自分の敗北に気づいたのか、照れたような笑みを浮かべて頭を搔いた。


「オリヴィエ、お前の戦いは見事だった」グラジオがオリヴィエの方に向き直った。「攻撃は的確で、動きに全く無駄がない。他の者にとっても学ぶ点の多い戦いだった。良い試合を見せてくれたことに礼を言う」

「ありがとうございます」


 グラジオに褒められてもオリヴィエの冷静さは変わらなかった。兜を脱いで頭を下げると、役目は終わったとばかりに壁際へと退く。すると、すれ違いざまに何人かの騎士の囁きが聞こえてきた。


「……女のくせに騎士なんかやって、おまけに強いなんて不公平だよな。女は女らしく、家にでも引っ込んでればいいのにな」

「そうそう。態度がしおらしけりゃまだ可愛げもあるけど、実際にはあぁして偉そうだしな。あれじゃ一生嫁には行けないな」


 そんな妬みや嘲笑がオリヴィエの耳にはっきりと聞こえてくる。小声のためにグラジオには聞こえていないようだ。


 オリヴィエは無表情で彼らの傍を通り過ぎると、壁に背をつけ、無言で二試合を見守った。

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