性差を越えて

「シャガ、お前は私の性別をどう考える?」

「え、どうって……何がだよ?」

「お前は私を男だと思うか? 女だと思うか?」

「はぁ? 何言ってんだお前。女に決まってるじゃねぇか」

「なぜそう考える?」

「なぜって……だってどっからどう見ても女じゃねぇか。そりゃ喋り方とかは男っぽいけど、だからって男だとは思わねぇよ」

「そう……だな……」


 オリヴィエは憂鬱そうに視線を落とした。シャガの答えは全てを物語っている。いくら男らしく振る舞ったところで、与えられた性を超越することはできない。


「お前の悩みってのはその、性別のことなのか? 自分が女らしくないのが嫌だとか?」

「いや、逆だ。これほど女らしくない私が、なぜ女になどに生まれたのだろうと思ってな」

「うーん……。そういう難しいことはよくわかんねぇけど、お前は自分が女なのが嫌なのか?」

「ああ。女であるがゆえに些末な事象に煩わされる。騎士団の連中の態度が典型だな」

「あれはお前に勝てないから悪口言ってるだけだって! ほっときゃあいいんだよ!」

「問題が奴らのことだけであれば私もそうするだろう。だが……事の本質はそこではないのだ」

「どういうことだよ?」


 シャガが不可解そうに眉根を寄せる。オリヴィエは覚悟を決めて話すことにした。


「……私は姫様をお慕い申し上げている。だがそれは、単に姫付きとしてだけではない」

「え……つまり?」

「お前が姫様に抱いている感情を、私もまた抱いているということだ」


 シャガが呆けた顔でオリヴィエを見つめてくる。その言葉の意味が呑み込めてくるにつれて、彼の目がみるみる見開かれていくのがわかった。


「……最初は単なる愛慕だと思っていた」オリヴィエは憂鬱そうに言った。「親が我が子を慈しむように、姫様の天真爛漫なお姿に惹かれているのだとな。

 だが……次第にそれだけではないことに気づいた。姫様の一挙手一投足を追い、何気ないお言葉に心を揺らぶされ……正常ではないとわかっていても収められずにいる」


 自分が夜にトリトマの森に行くことを提案した時、デートみたいだと言って無邪気に笑ったアイリス。出会ったばかりの頃、自分の髪が好きだと言い、そっと髪に触れられた時の指先の優しさ。舞踏会で貴族の男に囲まれ、楽しげに談笑している彼女の姿を遠巻きに見守ることしかできなかった口惜しさ……。そうした記憶の一つ一つを思い出すたびに心が疼き、許されざる感情を抱いてしまった自分を罰したくなる。


「それは……その……、何て言うか……しょうがないよな! だって姫様可愛いしさ! そりゃ好きにもなっちまうさ!」


 シャガが当惑しながらも明るく言う。自分の赤裸々な告白を気味悪がらずに受け入れてくれることがオリヴィエは有り難かった。


「その……告白とかはしないのか? そんだけ好きならいっそ言っちまってもいいんじゃねぇかと思うんだけど」シャガが頬を搔きつつ言った。

「馬鹿な。私は女だぞ? 受け入れられるはずがない」

「いやでも、わかんねぇぞ。姫様もお前のこと好きかもしれねぇじゃん」

「仮に姫様が私に好意を寄せてくださっているとしても、それはあくまで騎士としてだ。懸想の相手としてではない」

「そうかなぁ……。でもほら、お前って女にモテるんだろ? 侍女からも何回もラブレター渡されたって言ってたじゃん」

「あぁ、先日も殿下から部屋に誘われたところだ」

「マジ? それはちょっと羨ましい……ってそうじゃなくて。とにかくさ、他にもお前を好きな女がいるんだから、姫様がお前を好きだっておかしくないじゃん? お前らずっと一緒にいるんだから余計にさ」

「それは……」


 確かに、アイリスにもそれらしい言動がなかったわけではない。二人でトリトマの森に行ったあの夜、寒風に身を晒される中、アイリスはそっと自分の胸に身を委ねてきた。オリヴィエの鼓動を感じていると、男に抱かれているように身体が熱を帯びていくと言って。

 それに舞踏会で彼女が着た翡翠色のドレス。あのドレスを選んだ理由を、アイリスはオリヴィエの髪と同じ色だからと言っていた。同じ色のドレスを着ることで、少しでもオリヴィエに近づきたいのだと。


 だけど、そうした記憶の断片は結局自分が見ている世界に過ぎず、願望が現実を曲解し、自分に都合のいいものに作り替えている可能性は否定できない。


 王子様と王女様が幸せになる物語は存在する。だが、王女様と別の女が結ばれる物語などどこにもない。性別を超えた相愛など、お伽噺とぎばなしの中にすら存在しないのだ。


「……いずれにしても、私は自分の心を打ち明けるつもりはない」オリヴィエが思考を断ち切るように言った。「女に恋情を寄せられたところで、姫様を困惑させるだけだからな」

「うーん、そうかぁ……。でも何となくお前が悩んでる理由がわかったぜ。女でいるってのもいろいろ大変なんだな……」

「ああ。だが考えても詮無いことだ。私が女である事実は変えようがないのだからな」

「そうだけど……何かもどかしいよなぁ! 姫様のことだけじゃなくて騎士団のこともだけど、女ってだけでいろいろ不自由してんだからさぁ!」

「それが現実だ。足掻いても変えられぬ以上、与えられた器で生を全うするしかない」

「俺だったらそこまで割り切れないけどなぁ……。何でお前はそんなに達観できるんだ?」

「さぁな……。多すぎる不条理に慣れただけかもしれん」


 実際、騎士を拝命してからの十年間は不条理の連続だった。女というだけで蔑視され、正当な実力を認められずにいる。自分よりも明らかに実力の劣る者が幅を利かせ、自分は彼らの嘲笑に耐えながら、訓練場の片隅で黙々と剣を振るうしかない。拝命当初は憤りを感じていたそんな現状にも、今や何も感じなくなってしまっていた。


「そっか……。お前も大変なんだな。でもありがとな! 正直に話してくれて」シャガが表情を綻ばせて言った。

「礼を言うのは私の方だ。このような個人的な話を人に打ち明けたことはなかったからな」

「そうなのか? へへ、じゃ、俺が第一号ってことか。嬉しいぜ!」

「耳当たりのよい話ではなかっただろうがな。気分を害していなければよいが」

「全然! 逆に本音が聞けて嬉しかったぜ!」

「そうか。私も少しだけ心が軽くなった気がする。お前が真摯に耳を傾けてくれたおかげかもしれん」

「そりゃお前、あんな話されたら真面目に聞くしかないじゃん?」

「そうでもないだろう。面白がって吹聴する連中も少なからずいるはずだ」

「そういう奴らは心が狭いんだよ。自分が当たり前だって思うことしか信じようとしないんだ。でも俺は違うぜ! お前が悩んでることもよくわかったし……あ、いや、簡単にわかるとか言っちゃいけないのかな?」

「いや、構わない。立場が違う以上、完全に理解するのは元より不可能だからな」

「そうか……。あ、でもさオリヴィエ、俺思うんだけど、男か女かなんてどうでもいいんじゃねぇかな?」


 オリヴィエが怪訝そうに眉根を寄せる。シャガは言葉を探しながら続けた。


「お前は自分が女だからいろんなことができないって思ってるのかもしれないけど、そうじゃないと思うんだ。お前は騎士団の中で一番強いけど、それはお前が頑張って訓練してきたからだ。他の奴らが言うみたいに、手加減されたり色目を使ったりしたからじゃない。お前の実力なんだよ。お前が強いってことは俺もグラジオ隊長も知ってるし、お前自身も知ってる。それで十分じゃねぇのかな?」


 オリヴィエが目を瞬かせてシャガを見る。シャガは続けた。


「姫様のことだってそうだよ。お前が自分の気持ち言いにくいのはわかるけど、だからってその気持ちまで否定しなくていいと思うんだ。好きになっちまったもんはしょうがねぇし、胸張ってればいいと思う。それにさ、姫様だってお前のことは好きだと思うよ。異性としてどうとかじゃなくて、人間としてさ」

「シャガ……」


 思いがけず励ましの言葉をかけられ、胸の内側がほんのり温かみを帯びていく。シャガは鼻の下を搔いて照れ臭そうに笑った。


「……なんて、ちょっとカッコつけちまったかな。でもホントにそう思ってるんだぜ。俺もお前が男だろうが女だろうが友達だって思ってるし」

「……そうか。私もお前のことは友人と思っている。お前がいてくれてよかったよ、シャガ」

「へへ、いいってことよ! いっつも稽古つけてもらってるお礼だからな!」


 シャガが少年のように屈託のない笑顔を見せ、オリヴィエもようやく笑みを返した。この男は剣術の腕は未熟だが、人格という点では他の誰よりも上かもしれない。

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