第四章 15 あの台詞はきっとハッタリなどではない。

 ナヒトはわたしに一瞬だけ流し目を向けてから、続けた。

 

 「ですが、我々の御神体ごしんたいの御力は今のままでも強大です。この世を変革へんかくするという神意を果たすには十分なほどに。その点はお忘れなく」

 

 捨て台詞を残すや否や、脱兎だっとのごとく雪を蹴り散らし、横っ飛びした。

 

 逃がすまいと、局長とベルウッドさんがほぼ同時にエネルギー弾を作ったが、ナヒトは一瞬にしてへいを跳び越えて去ってしまった。


 わたしの心臓は早鐘はやがねのように脈打っていた。


 不覚にも、恐怖や嫌悪とは違う感情の揺らぎが生じてしまった。


 だが、断じて好意のたぐい由来ではない。急にあんな色目を投げかけられれば、相手が誰であろうと、わたしのような可憐かれん純真無垢じゅんしんむくな乙女なら嫌でも胸が高鳴ってしまう。それだけである。そうに決まってる。わたしにはノエル先輩がいるのだから!


 局長はガス抜きでもするように、静かに安堵あんどの息を漏らした。


 「ハッタリで良かったな。寿命が縮んだよ」


 ベルウッドさんもまだ緊張の解けない様相ようそう


 「二百人の仲間が来てるなんて、見え透いた大嘘よ。こんな真冬の夜に、狐魑魅こすだま渓谷からここまで遭難覚悟で歩いて来たとは思えないし、それだけの大人数を運搬できる手段もないだろうから。ハッタリにハッタリで返しただけ」


 とか怜悧れいりな分析をした割りには、かなり肝を冷やしていたようである。さすがの局長もいささか声が震えていた。


             ❁     ❁     ❁


 ―――我々の御神体の御力は今のままでも強大です。

 

 ナヒトのあの台詞はきっとハッタリなどではない。

 

 一晩ゆっくり休んで、などと悠長ゆうちょうなことも言っていられなくなり、わたし達はその夜うちに出発した。


 朱室しゅむろさんのご主人もこころよくスノーモービルを出し、また荒れ始めてきた暗黒の氷雪の大地をひた走ってくれた。


 わたしにとって、その一時間半はあっという間だった。


 なぜなら、局長の膝枕ひざまくらで爆睡していたのだから。


 少しでも休みなさいという局長命令で、行く道中は夢すら見ずに深く眠っていた。


 もちろん十分な休養には程遠いが、かなりスッキリと目覚めることはできた。


 


 というわけで、起きたら狐魑魅渓谷手前だった。

 

 手前とは言っても数百メートルは距離があり、わたし達は吹雪の中を歩いていた。遠くにぼんやりと明るく見えるのが、松明たいまつでライトアップされた狐魑魅渓谷だ。

 

 今回は全員、両手を使えるようにとヘッドライトを準備してきた。

 

 それと防寒対策として、わたしも皆と同様、糖ヶ原とうがはら村でお借りした動物の毛皮のベストを制服の下に着ていた。保安局から貸与たいよされた防寒着は矢と弾丸でボロボロになってしまったので。


 まったく、二度と行きたくない名所ナンバーワンなのに、また来ることになるとは。仕事だから好き嫌いは言っていられないけど。


 「紗希、あなたはまだ万全じゃないだろうから、無理はしないで。敵はできるだけわたし達三人で片付けるから」


 「あんたもな、局長」


 わたしを気遣きづかってくれた局長に、ベルウッドさんから声が掛かる。


 「確かに軍曹がいないのは痛いが、でも、あんたが一人で軍曹の役割まで背負い込むことはない。必要なら、遠慮なく俺達に命令してくれ」


 軍曹不在の大仕事、局長は初めてである。


 メンバーの中で唯一、長年戦場を経験してきたのは軍曹だけ。そのため、戦闘の細部に至るまで注意を払えた。局長とて今までそんなつもりはなかったと思うが、やはり無意識のうちに頼りにしてきたふしも多かっただろう。


 だから、表情や態度にこそはっきりと出してはいないが、きっと緊張して落ち着かないはず。重責じゅうせきも感じているかもしれない。


 ベルウッドさんは局長のそんな心理状態を敏感に察知したのだろう。たぶん、ノエル先輩もわたしも分からないレベルの息遣いの変化などから。


 「なんか……いつもより力んでいる感じがしたもんでな。局長命令とあらば、お手を握って差し上げましょう」


 このオッサン、実はまだ局長のことをあきらめていなかったりして。


 「ありがとう、ルーサー」


 どうしたことか、局長はベルウッドさんが差し出した手を取り、力強く握った。


 え? まさかとは思うけど、局長、なびいてる?

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