第二章 5 希望、尊厳、知恵、力

 「ほ、本当に同僚です。大家と下宿人でもありますけど……」

 

 わたしはあわてふためきあぐねてしまった。

 

 「実はアンブローズで仕事を始めたんだ」

 

 勝手口からベルウッドさんが戻って来た。外の水道で洗ってきたのか、大根もネギもきれいな状態だった。

 

 ……って、どの部分から聞いていたのだろう?

 

 「僕はあまり気が進まなかったんだけどね。どうしてもってアンブローズの局長に頼まれて、仕方なくアルバイトをしてるんだ」

 

 局長、そこまで懇願こんがんはしてなかったけど? それに『仕方なく』とかけしからん。

 

 だが、今のわたしの胸中ではそんないきどおりより、もっと気掛かりな別の問題が優勢となっていた。

 

 「そうだったのね。危険なこともあるでしょうから、二人とも十分に気を付けるのよ」

 

 「……驚かないの、ママ?」

 

 ベルウッドさんは拍子ひょうし抜けしたようにたずねる。

 

 「あなたに不思議な力が与えられたと知った時から、いつか、何か特別なおつとめにもちいられると思っていたわ。これも神様のおみちびきよ」

 

 ベサニー牧師ぼくし敬虔けいけん眼差まなざしで答えた。


             ❁     ❁     ❁

 

 牡丹ぼたん鍋が出来上がる頃には、わたしの胸中で騒々しかった乙女の気掛かりはすっかり消え去ってしまった。

 

 色気より食い気とは言うなかれ。美味しそうな匂いがすれば、悩みも心配も忘れる食べ盛りの年頃なのだから。

 

 話には、猪肉は臭みがあるとは聞いていたが、全く気にならなかった。少し歯応えがあったものの美味しくいただけた。

 

 牡丹鍋を三人で完食し、後片付けも済ませたところで、食休みもなくベルウッドさんが切り出した。

 

 「ママ、オルガンいていい?」

 

 「そう言うと思ったわ。冬至祭コンサートも近いものね。わたしはここで聞かせてもらうわ。せっかくだから紗希も一緒に行ってきたら?」

 

 「行くって……どこへ?」

 

 突然振られ、わたしはキョトンとしてしまった。

 

 ベサニー牧師はわたしとベルウッドさんにコートを差し出し、微笑むだけだった。

 

 「イカした所だ。行こう」

 

 コートを受け取るとベルウッドさんはわたしの手を取り、勝手口から外へ出た。

 

 小さな自家菜園があり、雪が積もったその間の細い道を行くと、岩壁に突き当たった。


  ―――いや。

 

 岩壁に扉があった。さびも多く、これまた年月を感じさせる鉄製の扉だ。

 

 ベルウッドさんが扉を開ける。もっと重々しく耳ざわりな音を想像していたが、思いのほか軽い音だった。

 

 開けた扉から中へ明かりが入るが十分ではなく、薄暗い。

 

 「ここは礼拝堂れいはいどうだ。天然の洞穴ほらあなをそのまま利用してるんだ」

 

 「あの、暗くて見えないんですけど?」

 

 しかしながら、声の反響具合からして、堂の大まかな広さと形は体感できた。

 

 それにしても寒い。わたしは思い出したようにコートを着た。

 

 「扉の横に灯りのスイッチがある」

 

 暗がりを物ともせず、ベルウッドさんはスタスタと奥へ進んでゆく。

 

 わたしは言われた通り、扉の横を手で探り、スイッチらしい出っ張りを発見した。

 

 灯りを点けると、礼拝堂の全貌ぜんぼうが目に飛び込んできた。

 

 入り口から奥に向かってややいびつ楕円だえん形の空間の中に、百人分程度の飴色あめいろの長椅子が並び、壁に沿って燭台しょくだいした電球は明る過ぎず暗過ぎず、やわらかく上品な灯りをともしていた。

 

 高さ二十メートルはありそうな天井は崩落ほうらくを防ぐために灰色のコンクリートで固められていたが、長椅子と同じ色のはりが縦横に渡されており、それらがほんのり温もりを感じさせた。

 

 けれどもなかんずく、わたしの目を引いたのは、正面だん上で銀色にそびえ輝く見事なパイプオルガンだった。

 

 予告もなく、ベルウッドさんがき始める。

 

 主旋律しゅせんりつからの前奏。重厚で荘厳そうごんで神秘的で、それでいて優しくいやされる音色ねいろ

 

 ゴスペルのようでもありラブソングのようでもある、ずっと聞いていたくなるような曲調だ。

 

 伴奏ばんそうが加わり、深味が増す。


 

 希望、尊厳、知恵、力

 

 あなたが教えてくれたから

 

 ち果てすさんだこの国で

 

 廃人はいじんした私でさえも

 

 あなたのために戦える

 

 あなたのために生き抜ける

 

 あなたのために死に切れる

 

 きずなぬくもり、いつくしみ

 

 あなたが与えてくれたから

 

 その両腕にいだかれて

 

 歓喜に満ちてされよう


 

 風前のともしびのような切ない後奏が消え終えた。

 

 全身がしびれた。体中の細胞が震えた。失神寸前まで感激してしまった。

 

 お世辞せじ抜きでれ落ちそうだった。

 

 「拍手はくしゅはどうした?」


 こんな余計な一言がなければ。

 

 このオッサンの人となり、、を改めて思い出し、わたしの内に満ち満ちていた感激は嘘のように霧散むさんした。

 

 「今度の冬至祭コンサートで歌う予定だ。先行して聴けたお前さんは幸せ者だ」

 

 「……まあまあですね。何と言ってもパイプオルガンがとっても綺麗きれいな音ですし」

 

 「素直じゃないな。本当は俺の色気のある歌声と演奏に陶酔とうすいして、拍手も忘れたんだろ」

 

 「違います!」

 

 調子に乗られてもしゃくなので、わたしはなかば反射的にえた。

 

 後に聞いた話によると、冬至祭コンサートとは毎年ベルウッドさんが趣味も兼ねてもよおしている持ち寄りポットラック形式のパーティーで、人々が食事をしながらコンサートと交流を楽しむイベントとのこと。厚意こういでそれなりの献金けんきんも集まり、全額この胡楠うなん教会に差し上げているらしい。

 

 ベサニー牧師も献金は全て知り合いの孤児院等に寄付しているのだそうだ。

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