第四章 10 俺は妄想しかしない。

 ―――といったやりとりから、伊太池いたいけ那仁なひとへの疑惑がふくれ上がったのだった。


 そうなると、ナヒトを含めたアポカリプスの信者達が所持していた拳銃、あれはきっとわたし達の手に渡るはずだった物なのだろう。


 村の診療所で点滴を受けながら、わたしからも狐魑魅こすだま渓谷内の状況を記憶のかぎり報告した。


 大人数おおにんずうの信者達がいたこと、アジトの奥底に彼らが作ったとされる大蛇型紅衣貌ウェンナックがいたこと、軍曹がその頭部をったにも関わらず再生したこと、彼らは練識功アストラルフォースの保持者であるわたし達をその紅衣貌に喰わせようとしていたこと、それに渓谷内は妖狐血晶フォキシタイトという天然石の作用によって練識功が働かなくなることも。

 

 ちなみに診療所の医師は、今夜自家用スノーモービルを出してくれた朱室しゅむろさんの奥さんだった。夜分にいきなり飛び込んだにも関わらず、嫌な顔一つせずに対応してくれた。

 

 「あとは栄養と休養を十分に取ってください。主人が夜食も準備していますのでどうぞ」


 奥さんの朱室医師の方はなまりがない。どことなく雰囲気も都会的だ。


 「本当にありがとうございます。助かりました」


 「お大事になさってください」


 局長は恐縮していたが、朱室医師は笑顔で答えてくれた。


 寝台の上で身を起こすと、やはりまだ少し目眩めまいがする。


 全員診察室を出て、居間の方へ向かう。


 ランプで明るかった診察室とは違い、廊下は暗い。この村は電気が通っていないのだった。


 食事の前に、ちょっと自然の用を足しに行こう。


 「紗希ちゃん、大丈夫?」


 皆と反対方向へ向かうわたしに、ノエル先輩から心配そうな声が掛かる。


 わたし、やっぱりヨタヨタしてんだな。


 「トイレなら、僕も一緒に行くよ」


 そう言ったノエル先輩は、わたしの両肩をそっと押さえてくれた。やっぱり優しい♥

 

 「ありがとうございます」

 

 「紗希」

 

 ベルウッドさんに呼び止められた。

 

 「襲うなよ」

 

 まゆ一つ動かさず、一言。

 

 まったく、真顔まがおで何を言い出すのかと思えば……。このオッサンのエロ冗談ジョークはいちいち破壊力が大きい。

 

 局長とノエル先輩が軽く吹き出していた。

 

 ムキになってもこの莫迦ばかオヤジを喜ばせるだけなので、ここは同じことを言い返してやる。

 

 「ベルウッドさんこそ、局長のことを襲わないでくださいよ」

 

 「こんな品位ある紳士に向かって失礼な。俺は妄想もうそうしかしない」

 

 「妄想も禁止ッ」

 

 局長から一蹴いっしゅうが飛んだ。

 

 「妄想ぐらいいいだろ。減るもんじゃないし、誰にも迷惑は掛けない。男のささやかな道楽だ。なぁ、ノエル?」

 

 品位ある紳士の発言とは程遠い。

 

 「あ~いや……僕はそういうの、よく分からないんで……」

 

 突然振られ、ノエル先輩が困惑する。

 

 「局長命令よ。従いなさい」

 

 「妄想の自由もないのか。飛んだパワハラだ」

 

 どの口でほざいてるんだか。セクハラ常習犯のくせに。

 

 「ノエルを巻き込んでけがさないで。これも局長命令よ」

 

 「人生の先輩としていろいろ教えるべきことがあるんだ」

 

 まだまだ続く局長とベルウッドさんのやりとりを背に、わたし達は廊下を歩いてトイレへと向かった。

 

 ノエル先輩が右手に青緑色の淡い小さな光塊を生み出し、行く手を照らす。

 

 なるほど。こんな使い方もあったのか。殺傷能力や形にこだわる必要がないので低燃費だ。わたしにもできそうである。

 

 角を曲がった先にトイレがあった。

 

 暗いし一人で来るのは少し怖い。ノエル先輩が一緒に来てくれて良かった。

 

 「局長、意外と元気そうで安心したよ」

 

 ノエル先輩が安堵あんどするようにつぶやいた。

 

 約五年間、ノエル先輩は局長と軍曹を見てきたのだ。局長にとって軍曹がどれほど大切で掛け替えのない存在か、痛いほど分かっている。だから自分で悲しむよりも、局長のことを心配していたのだろう。

 

 「強い女性ひとですよね。精神面でも」

 

 「それもあるけど、ベルウッドさんのお陰じゃないかな。ふざけているようで、ああやって気をまぎらわせているんだよ」

 

 なんて好意的な見解だろう。あのセクハラ常習犯ドSジョリジョリオヤジを、わたしはそんなふうに評価したことなど一度もないというのに。

 

 「あ、僕は後でいいよ。先に入って」

 

 これぞ本当の品位ある紳士♥

 

 わたしはノエル先輩の真似をして片手に小さな光塊を作ったが、やはり夜のトイレは怖いので小早く用を足し、手を洗って廊下に戻った。

 

 かべに寄り掛かって待っていたノエル先輩は、なぜかうれいをたたえた瞳を床に落としている。

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