第四章 9 ……あの時、出会えて、良かった。

 「わたしの治療術は細胞分裂を強制的に何百倍にも早める行為なの。健康な細胞でもがん細胞でも関係なく……ごめんなさい、軍曹。わたしにはどうすることもできない」


 局長は表情にやるせなさをにじませてうつむいた。


 助けるための治療術が癌細胞の増殖ぞうしょくまで促進そくしんし死をまねく。なんと皮肉なことか。

 

 「あんたが謝ることはない。俺の不摂生ふせっせいが原因だ。自業自得だよ。ま、来春に花見でもできればおんの字だったがな」

 

 軍曹は陽気に言ったが、それが逆に切なくも感じた。

 

 もう余命が短いと知っていたのだ。だから、わたしの相棒をベルウッドさんに引き継いだ。

 

 三回の吐血、そして重傷を負い、出血量も多い。わたしにも分かっていた。軍曹はもう助からないと。こうして今まで意識があったこと自体、奇跡に近いのだ。

 

 「皆さん、ひとまず、村さぁ戻りましょう」

 

 朱室しゅむろさんが言った。

 

 「お願いします」

 

 局長は答え、軍曹の隣に座り、軍曹の体を包み込むように抱き締めた。


 わたし達も乗り込んで座ると、朱室さんはスノーモービルを発進させた。


 「……紗希」


 軍曹があえぐように呼び掛けてきた。


 「お前さんには礼を言いたい。狐魑魅こすだま渓谷から……ここまで来て、また仲間に再会できたのは……お前さんが運んでくれたお陰だ」


 「いえ……わたしは何もできなくて……軍曹がいたから脱出できたんです」


 わたしは声を詰まらせて答えた。感謝してもらえるほどの働きができたのだろうか? あの絶体絶命の修羅場しゅらばを斬り抜けられたのは、まぎれもなく軍曹の人並み外れた実力と気骨きこつの結果だ。わたしは後をついて行くだけで精一杯だったのだから。


 「それと……局長、これだけは、言わせてくれ」


 まだくらんだままであろう軍曹の目がうつろになり、呂律ろれつも回らなくなってきていた。


 「……あの時、出会えて、良かった」


 局長のために生きて戦ってきた軍曹の、この短い台詞せりふの中に、一体どれほど壮大で重厚で濃密な想いが込められているのか、わたしでは一生かけても知るよしもない。


 きっと、局長と軍曹本人にしかはかれないとうとい想いなのだ。


 軍曹はその言葉を最後に、目を閉じた。


 局長は何も言わず、天をあおいだ。


 いつまでも軍曹を抱き締めていた。まるで、消えゆく温もりをしむかのように。


 局長の胸中でも様々な想いが交錯こうさくしているのだろう。


 わたしは気が付いた。軍曹がわたしに感謝していると言ったのは、決してなぐさめではない。本心からだったのだ。


 仲間の元で最期を迎えることができるのだから。


 安らかに、幸せに旅立てるのだから。


 見送る方はやっぱり悲しいが、でも一番悲しいのは局長のはず。局長が涙をこらえているのだから、わたし達が泣いてはいけない。


 病気だったのだから、もう先は長くなかったのだから……そういう口実で割り切れば、悲しみをまぎらわすせめてもの気休めにはなる。


 だけど、わたしが死期を早めてしまった気がして、その罪悪感はぬぐえない。

 



 村へ向かう道中、局長の腕の中で、軍曹は眠るように息を引き取った。

 

 穏やかな表情だった。

 

 局長の腕の中で、仲間に看取みとられて最期を迎えることができて良かった。

 

 本当に良かった。怪物の餌食えじきになるより、敵に頭を撃ち抜かれるより、ずっと……。




 軍曹とわたしが出発した日の正午過ぎ、保安局からアンブローズに一本の電話があった。

 

 保安局職員:「実は、先日支給しました拳銃に不具合が見つかりまして、万が一、暴発等の事故があってはいけませんので、お手数ですが、念のために一度回収させてください」


 局長:「拳銃? まだ受け取っておりませんが? 伊太池いたいけさんから、もう少し待つようにとうかがっております」


 保安局職員:「え? 三日前、アンブローズさんに五人分お渡ししたと、伊太池から報告を受けておりますが?」


 局長:「いえ、受け取っておりません。何かの間違いでは?」


 保安局職員:「ええと……では、後ほど本人に確認いたします」


 局長:「後ほどって……今すぐできませんか?」


 保安局職員:「はい。申し訳ありません。伊太池は都合つごうで今日から五日間休暇きゅうかを取っておりまして、自宅にもいないようで連絡が付かないんです。休暇明けに本人に確認致します」


 局長:「休暇? 今朝早くに、うちのスタッフ二人とアポカリプスのアジトがある狐魑魅こすだま渓谷へ向かったはずです。お宅の特殊部隊も現地で待機しているでしょう?」


 保安局職員:「アポカリプスですか。その組織につきましては、まだ我々も調査中でして、全貌ぜんぼうが明らかになり次第対処する予定です。必要とあらばアンブローズさんにもご協力を要請ようせいさせていただきますが……」

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