第四章 16 もう卒業しなきゃいけない。

 「考えてみれば、今まで軍曹におんぶに抱っこだったし……もう卒業しなきゃいけない」


 局長は感慨かんがい深くつぶやくと、清々すがすがしいまでに一片の未練もなくベルウッドさんの手を離す。


 ノエル先輩とわたしは苦笑いしながら顔を見合わせ、胸をで下ろした。


 ベルウッドさんは離された手の指先を所在しょざいなく動かしていた。


 わたしとしては、局長にはこんな軽薄けいはくふしだらオヤジにはなびいてほしくないな。軍曹みたいに頼もしくて侠気きょうきあふれる男性なら許すけど……。


 ひょっとしたらここだけの話、局長が軍曹にれていたのかな?


 でも不貞行為! それ以前に、許すも許さないも、わたしに権限なんかなかった。


 「血の臭いがするな」


 立ち直ったベルウッドさんが鼻をひくひくさせた。


 「逃げる時、追手をかなり斬りましたから……」


 わたしは可能な限り短く答えた。


 数時間前、軍曹は生きていて、あそこで命の限り奮闘した。あの姿は忘れられない。


 でも、今はそんな余計なことまで言わない方が良いだろう。軍曹におんぶに抱っこ状態から卒業しようと意気込いきごんでいる局長のためにも。


 それからしばらく歩き、まわしき狐魑魅こすだま渓谷に入った。

 

 遺体こそ片付けられていたが、まだそこかしこに血痕けっこんがたくさん見られる。言うまでもなく、軍曹にさばほふられた者達の残滓ざんしだ。

 

 何百体ものお地蔵様と、見方次第で顔のようにも見える幾つもの巨大な岩々が、揺らめく松明で絶妙にライトアップされている光景は異界そのもの。今にも幽霊や妖怪が現れそうだ。

 

 やっぱり、脱出した時のわたしは相当気が動転していたんだなぁ。地獄を定型化したようなこんな場所を見て安心していたのだから。気味が悪いとか不気味とか、一切忘れて。

 

 いよいよ地蔵ロード突き当たり、内部に続く入り口である割れ目まで辿たどり着いた。

 

 わたし、道順覚えてるかな。自信がない。

 

 「それじゃあ紗希、わたしの後ろから案内して。ルーサーは最後尾をお願い」

 

 局長の指示で、局長、わたし、ノエル先輩、ベルウッドさんの順に並んで入った。

 

 一気に緊張が高まり、鼓動こどうが速くなる。

 

 「なるほど。これが妖狐血晶フォキシタイト。自然の産物とはいえ、わたし達には迷惑な存在ね」

 

 局長は指先で岩肌に触れた。

 

 奇跡的にも、わたしの記憶力は素晴らしかった。自分でも驚くほど確信を持って案内することができていた。まるで、軍曹がその都度つど働きかけてくれているように。


 そして敵が現れることもなく順調に進んで行き、例の円筒形空間へと辿り着いたのだが、ここでの出来事については省略させてもらうことにする。


 そもそも特筆とくひつすべき現象も事件もなかったのである。


 あの大蛇型紅衣貌ウェンナックの姿もなく、ただ螺旋らせん階段に累々るいるいたる遺体が放置されていたのみ。    


 血みどろの地獄絵図のような光景は決して気持ちの良いものではないが、それは軍曹の決死行の跡なので、今さら騒ぎ立てることではないのだ。


 何より、ベルウッドさんのケダモノセンサーで、その円筒形空間内には生き物の気配がないことも確認された。


 わたしは内心ホッとした。また激長螺旋階段を、しかも遺体をまたぎながら上り下りする破目はめにならずに済んだのだから。


 しかしながら、あの大蛇がいないというのは不気味だ。この螺旋階段をい上ったとしても、せまい通路は通れない。もっと広い別の通路……軍曹と来た時に見た、あの鉄格子でふさがれていた通路から、どこかへ運び出したのだろうか?


 そんな思案をめぐらせながら、元来た道を戻り、途中の五差路ごさろを通り過ぎようとした時のこと。


 「ストップ」


 急にベルウッドさんが制止の声を発した。


 わたしは立ち止まった局長とノエル先輩にはさまれた。痛い。


 「こっちの通路の先に誰かいるな。五、六人ぐらいか」


 ベルウッドさんは数歩戻り、五差路ごさろの一番左の通路を指し示した。


 ……って、風の音以外、何も聞こえないんですけど……?


 「近い?」


 と、局長。


 「……いや、少し遠い。どうする?」


 「きっと信者達ね。取り調べる必要もあるし、身柄みがらを確保しましょう」


 即断即決。局長、ハンサムウーマン♥


 「念のため、こっちの存在に気付かれないように、ライトを消して。ここからは手探りで慎重に進むわ」


 「それは嫌味か、局長?」


 ベルウッドさんが問い、得意気にフンと鼻を鳴らす。


 そう。この人にはライトの有無なんて関係なかった。

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