第三章 9 どうしてこういうおどろおどろしい場所に……?

 はて? なんだかほんのり空気が生ぬるいような……? それに、温泉郷胡楠うなん町とよくにおいがする。

 

 真っ白い雪原の遠い前方、ゆるい下り坂の先に、灰褐色はいかっしょくの岩が見える。

 

 「あれが狐魑魅こすだま渓谷です。ここからは歩きましょう。万が一、エンジン音で彼らに気付かれてもいけませんから」

 

 伊太池いたいけさんが言った。


 アイスバーンが多いため雪で足がまるようなことはなさそうだが、すべる心配をした方が良い。

 

 伊太池さんは雪上の具合を確認すると、わたし達の後ろにんである荷物の中から何やらトゲトゲした金属製の器具を取り出した。

 

 「渓谷付近は少し急です。念のためアイゼンを付けましょう」

 

 アイゼンっていうんだ。初めて見た。


 改めてのぞむと、この分なら狐魑魅渓谷までせいぜい三百メートル程度だ。

 

 渓谷の岩肌がむき出しになっているのは、きっとあそこだけ地熱や蒸気で雪が溶けているためだろう。生ぬるい空気が来ているのも納得である。

 

 「ところで、特殊部隊はどの辺りまで行ってるんだ?」

 

 軍曹がたずねた。

 

 「渓谷の少し奥です。ギリギリまで近付けたので」

 

 「優秀だな。大したもんだ」

 

 「元傭兵ようへい将方まつかたさんにおめの言葉をいただけるなんて、きっと隊員達も喜びます」


 そんなやりとりをしながら、わたし達はブーツにアイゼンを装着そうちゃくした。

 

 もちろん、アイゼンなんて見るのも初めてだったわたしは、軍曹と伊太池さんに装着を手伝ってもらった。

 

 


 固まった氷雪の下り坂を下り、狐魑魅渓谷に辿たどり着いた。

 

 渓谷自体少し曲がりくねっており、石がゴロゴロとあって足場も悪いが、歩ける道にはなっていた。雪が少ないのは救いである。

 

 道の両サイドは一段低くなっていて、小さなお地蔵じぞう様が沢山ひしめいている。七、八百体はあるだろうか。

 

 等間隔とうかんかく松明たいまつも設置されており、夜間はライトアップによってさらにらしい、、、雰囲気ふんいきかもし出すに違いない。

 

 「不気味な所ですね」

 

 「ここは霊場れいじょうなんです。その昔、この地に妖怪狐ようかいぎつねふうじ込められたという伝説がありまして、今もその狐が瘴気しょうきはなって、あらゆる生き物を寄せ付けないようにしている、と。もちろん瘴気の正体は火山性ガスですけどね」

 

 わたしのつぶやきに、伊太池さんが簡潔かんけつに答えてくれた。本当にツアーコンダクターをていしてきた。

 

 それにしても狂信団体って、どうしてこういうおどろおどろしい場所にアジトをかまえるのが好きなんだろう? 絶妙ぜつみょうに雰囲気があって信者は集まりそうだけど。


 地蔵ロードを抜け、突き当りに硫黄いおうで黄色くなった岩山。まるで、地球が天に向かって牙をくようにするどそびえている。

 

 その岩山のけ目に、さらに奥へと続く通路があった。

 

 さすがに少し暑くなってきた。

 

 わたし達は防寒着のジャケットを脱いで腰に巻いてから、慎重しんちょうに裂け目内部へとを進めた。

 

 暗くせまい通路。はばは一メートルもないほどで、岩の凹凸おうとつがあって通りにくい。

 

 わたし達は懐中電灯かいちゅうでんとうの明かりをたよりに、伊太池さん、わたし、軍曹の順に並んで進んだ。

 

 途中、分かれ道になっていた。

 

 伊太池さんは迷うことなく右へ行く。

 

 それからも分かれ道は何度かあったが、伊太池さんの足取りは慣れたものだった。一秒も考えることなく先導せんどうしてくれる。

 

 こんなありの巣みたいな場所、よく順路を覚えられたものだ。またまた少しだけ尊敬してしまった。

 

 いつの間にかくさった卵のような臭いもしなくなっていた。

 

 それより、先程から少し気になっていたのだが、上下左右の岩肌で、深紅しんく色の粒々がキラキラと輝いている。柘榴石ガーネットの原石か何かだろうか? 感動を覚えている場合ではないが、美しく幻想的げんそうてきだ。

 

 何度目かの分かれ道の後、伊太池さんは立ち止まった。

 

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