第四章 13 わたしは呪詛のように漏らした。

 わたしはノエル先輩からそそくさとハンカチを受け取り、口の周りをいた。ハンカチは後で洗って返します……。


 局長はハッとしてわたしを見た。


 「ごめんなさい、紗希。一番疲れているあなたを忘れていて……」


 普段の局長なら気が回るはずなのだが、やはりまだ軍曹を亡くしたショックのためか、完全に平静へいせいには戻れていないのだろう。


 わたし自身、局長のお陰で怪我は完治し、今のところ空腹はあるが極度きょくどの疲労は感じていないので、たとえ今夜中に作戦会議をすることになっても問題はない。


 だから、局長にはあまり自分を責めないでほしいな。大切な人を失った直後なのだから、少しは感傷かんしょうひたっても良いと思う。


 とりあえず、こんな不作法を働いたのにも関わらず、失望されていないことに安心した。


 「いえ、お陰様で怪我も治っているので大丈夫です」


 「怪我は治せても、体力の回復まではできないの。今のあなたは気が張っているだけで、体は相当疲れているはずよ。食べたらすぐ寝なさい」


 なんか、子供扱いされているみたいで心地悪い。まあ、局長からすればわたしはまだ子供だろうけど……。


 「この中で、狐魑魅こすだま渓谷を知っているのはあなただけなの。紗希、あなたがたよりだから。今夜中にちゃんと休養を取って」

 

 「……は、はい」

 

 思いがけず局長から頼りにされ、わたしはちょっと嬉しかった。ただの子供扱いではなかったのだ。


 でもわたし、あの蟻の巣みたいな通路の道順まで覚えていないと思う。役に立てるかな。軍曹みたいな記憶力が欲しい。


 「安心しろ。明日、俺がジョリジョリ攻撃で起こしてやるから」


 「結構です! 自分で起きますから!」


 わたしはベルウッドさんの世にも恐ろしい申し出を断固拒否した。


 顔面凶器であんな強姦まがいの起こし方をされるのは御免こうむりたい。誰にも見られたくない。特にノエル先輩には絶対に。


 「そんじゃ、ごゆっぐり。何がありましたらいづでも呼んでぐだせえ」


 朱室しゅむろさんはそう言い、居間を後にした。


 わたし達は各自おにぎりを取り、食べ始めた。


 お米が何と美味なことか。まるで全身の細胞が求めていたかのようで、何個でも食べられそう。み豆腐と根菜類の具だくさん熱々お味噌汁がまたおにぎりと合い、飲み込むたびに五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る。田舎味噌独特の風味。ご飯が進みまくる。


 おにぎりを七個、味噌汁を四杯、甘露煮かんろにを三尾、たくあんを少々食べてから、贅沢至福のフルーツとビスケットへ。


 食べ過ぎとは言うなかれ。滋養じようの必要な年頃なのだから。何より、今のわたしは大怪我の治癒の後で、点滴を受けたとは言え軽い栄養失調状態なのだ。これは口実ではない。断じて。


 干し柿もお茶と合い、心も体もホッコリ♪


 それから完食間近となった時、全員、ほぼ同時に手を止めた。


 表の足音に気付いて。


 わたし達は眉をひそめ、顔を見合わせる。


 ここは村でただ一軒の診療所だ。こんな夜中でも緊急の来訪者はいるだろう。


 でも違う。患者ではない。わたしは断言できた。


 なぜなら、覚えのあるあの微弱な練識功アストラルフォースが感じられたのだから。


 「ナヒト?」


 わたしは呪詛じゅそのようにらした。


 なぜわざわざこの村に来たのだろう? わたし達を倒すことが目的なら、練識功アストラルフォース不可であるあの狐魑魅渓谷で待ち構えて、紅衣貌ウェンナックをけしかければいいものを。

 

 まさか、わたし達が見て見ぬふりをして帰るとでも思っているのだろうか? そうだとすれば、ずいぶんと見くびられたものだ。

 

 最悪なのは、この村もろとも襲撃されることだが、それならこそこそとしのんで来ることはない。最初から村中に火でも付けてしまえば済むのだから。

 

 引き戸がノックされた。

 

 わたし達は反射的に引き戸の延長線上から退しりぞいた。相手は拳銃を持っている。戸越しに銃撃でもされたらたまらないので。

 

 全員で剣を抜いた直後、戸が静かに開けられた。

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