エピローグ 1 神にしても悪魔にしても……。

 わたしは暗闇にいた。背中と胸が痛み、息苦しい。

 

 みょう心地ここちだった。地に足が付いていない。


 それもそのはず、物凄いスピードで体が上昇していたのだ。実際のところ、この暗闇空間では上下左右は認識できなかったのだが。

 

 それにどういうわけか、進むにしたがって、痛みと息苦しさがやわらいでゆく。


 行く手に、青緑色にきらめく巨大な雲のような物が現れた。


 不思議と恐怖は感じなかった。


 幼い頃に一度会っている。正体こそ知らないが、危険な存在ではないということだけは知っていたのだから。

 

 わたしに練識功アストラルフォースさずけた、あの青緑色の人物と同類だ。今回は人の姿ではない。それだけのことである。

 

 青緑色の雲が間近まぢかまでせまると、それは胡麻ごまよりも小さい微粒子びりゅうしの集合体であることが見て取れた。

 

 そして突入。


 【この世は人の子から出た邪念で満ちあふれています我があるじは人の子が苦難に耐えられるよう力をお与えになりました人の子は自らの肉体で苦難に立ち向かわねばなりません人の子は災いの種をいたのです我があるじは罪深い人の子をいつくしみます我があるじは人の子が苦難に打ち勝つことを知っております我があるじは……】

 

 理解、記憶できたのはこの程度だった。


 無数の微粒子がわたしの体を突き抜けていく時、これまた無数の託宣たくせんが脳内で同時にかなでられたのだ。人間の処理能力では到底とうてい追い付かない容量と速度で。


 この微粒子一つ一つが、あの青緑色の人物の意思をはらんでいるようだ。伝えたいことを一気に浴びせてくるとは、なんと荒っぽい自己主張だろう。


 けれども、わたしはこの上なく爽快な気分だった。昔、練識功アストラルフォースを与えられた、あの時のように。

 

 そして、さとった。

 

 『我があるじ』とは、人知のおよばない、全知全能の存在なのだと。


 そこで目の前が真っ暗になった。



 

 名前を呼ばれ、わたしは目覚めた。


 目の前には軍曹ぐんそうの姿。


 「お前さんまでここに来てどうする?」


 軍曹はあきれ顔で言った。

 

 わたしが座っていたのは川辺の土手の上に堂々とそびえ根付く桜の木の下だった。樹齢数百年……いや、千年は超えているだろうか。それはそれは立派な大樹で、満開に咲き誇っていた。


 心地良い日差しと微風そよかぜ。まるでおとぎ話に出てくる楽園か桃源郷とうげんきょうのよう。


 不思議なことに、川の向こうの対岸は霧かかすみのようなものがかかっていて様子が全くうかがえない。こんなに良い天気なのに。

 

 「あれ? 軍曹、無事だったんですか?」


 わたしの問いに、軍曹がコケそうになった。


 「無事ならこんな所にいるわけがないだろ」


 そこでようやく、わたしは事態をみ込むことができた。


 「死んだんですね、わたし……。なんか変な夢を見ました。入信の勧誘みたいな言葉をいっぱい聞かされたような……」

 

 「ああ、あれ、、なら俺も通ってきた」

 

 軍曹は桜を見上げ、ウンザリ気味に答える。


 「しかしなぁ……人の子に練識功アストラルフォースを与えるより、あの御使みつかい気取りのやっこさん達が紅衣貌ウェンナックを倒した方が手っ取り早いと思うが……そんな尻拭しりぬぐいはしてくれないのかな」

 

 たぶん、あの御使い気取りさん達に言わせれば、『人の子が自分で蒔いた種なんだから』なのだろう。人間から出た狂悪な思念が種となりかてとなり、紅衣貌ウェンナックが発生したと言っても過言ではないのだから。

 

 でも、なんか納得が行かない。紅衣貌ウェンナック新奇器官エキゾチックオーガンとやらを取り入れたことで、あれほどの超大変化を起こすなんて。てっきり真逆の属性かと思いきや、実は、練識功アストラルフォース紅衣貌ウェンナック根源もとは同じなのかもしれない。どちらも超自然的な存在であることをかんがみれば、きっと人間目線からの善悪など関係ないのだろう。


 神にしても悪魔にしても、わたし達人間のあずかり知らない領域の存在であることに変わりはないのだから。

 

 あんな醜悪しゅうあくな怪物と同じ根源の物が、自分の体内にあると思うとはなはだ気持ち悪いが、そう理解しておこう。

 

 「まあ、それはさておきだ、紗希、お前さんはまだ戻れる。早く戻った方がいい」

 

 軍曹は思案するわたしに視線を戻し、優しく微笑ほほえんだ。

 

 「もう俺はあっちに行かなきゃならない」


 「戻るって……どうすれば……?」

 

 わたしとしては、もうしばらくここで軍曹とお花見を楽しんでいたい気分だ。しばらくと言わず、ずっとでもいい。ここはとても綺麗きれいで暖かくて居心地の良い常春とこはるの場所なのだから。

 

 「俺と反対方向、そっちへ行くんだ」


 軍曹は巨木の後ろを指し示した。


 立ち上がってそちらを望むと、やはり白い霧のようなものがかかっていて、何も見えない。


 「俺はあの橋を渡って川の向こう側へ行く」


 「橋を渡ったら……軍曹はもう戻って来ないんですよね?」


 「仕方がないさ。まあ将来、お前さんの子供に生まれ変わることでもできたら最高だな」


 冗談めかしの軍曹。


 「それとも……地獄行きかな」


 こちらは冗談に聞こえず、深刻そう。

 

 

 


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