第二章 13 大目に見てほしい。

 「でも、ちょっとでもさわったら殺します」

 

 「もうき飽きするほど施術せじゅつで触ってるよ。今さら殺されるいわれなんかあるか。俺はお前さんの体を知りくしている。もし今ここで抱き付かれても何も感じないさ」

 

 ベルウッドさんは誤解を招くことを平然とほざき、洗い場で体を洗い始める。

 

 ほかに誰もいなくて良かった。こんな羞恥心皆無しゅうちしんかいむ発言を聞かれたら、わたしは金輪際こんりんざい人目をしのんで生きていくことになるだろうから。

 

 わたしはもう一度ベルウッドさんをチラリと振り返る。

 

 背中全体に大きなあざができていた。入れ墨タトゥーさながらの濃さである。

 

 蒙古斑もうこはんなどではない。庭石に激突したためだ。

 

 なんか情けなくなる。あんなにも身をていされて、自分は何もできなかったなんて。


 もっとも、ベルウッドさんは相手が奏哲和尚そうてつおしょうだと知っていたから、危機感もなくわたしを助けられたのかもしれないが。


 わたしは溜め息を吐き、ひのきの縁に肘を付いて、改めて夜景をながめる。

 

 この素晴らしい景色、ベルウッドさんは観ることができないんだなぁ……。


 背後でしばらくバシャバシャと洗い流す音が聞こえていたが、やがて途切とぎれ、ベルウッドさんが湯船ゆぶねに入ってきた。


 一緒に温泉に入るなんて、改めてけ落ち気分になる。まあ、ベルウッドさんにすれば実家に帰ってきただけなのだが。

 

 「あの……昼間はすみませんでした。ちょっとキレてしまって……」


 わたしは白濁泉に視線を落とし、蚊の鳴くような声で謝った。

 

 「それに……剣を捨ててまでわたしを助けてくれて……石にまでぶつかって……迷惑ばかり掛けて……」

 

 「反抗期のガキンチョが、いっちょ前に気をつかうな」


 ベルウッドさんは鼻で笑いながら答えた。

 

 「お前さんが世話の焼ける短気なガキンチョだってことはとうに了承済みだ。ムカついたら俺に好きなだけ鬱憤うっぷんをぶつけろ。その代わり、他の奴には当たるな」

 

 なんかやけにオトナな言い草。

 

 「あと、恐いと体がすくむとか言ってたな」

 

 「それは……教わった呼吸法、実践してみます」

 

 「呼吸法もいいが、それでも駄目なら、その恐怖は一旦いったん俺にあずけろ」

 

 わたしの心臓がほんの少しだけ拍動はくどうのピッチを上げた。

 

 告白でもされたように胸が熱くなってゆく。

 

 「で、でも……助けられてばかりはイヤです」

 

 「ひよっこのうちはどんどん俺や仲間に助けられればいいんだ。そのうち、お前さんもたよられるまでになる。先走ってもいい事はない」

 

 「ベルウッドさんって、たまに優しくなりますね」

 

 「たまにとは失礼だな。俺はいつだって優しくて思慮しりょ深いだろ」

 

 「………」

 

 言葉を失うわたし。

 

 ここで謙遜けんそんすれば格好良く決まるのに、わたしの気持ちは一気に冷めた。


 あ、誤解しないでほしい。別にときめいていたわけではない。だんじて。

 

 突如とつじょ、急斜面下の暗闇から静寂せいじゃくつらぬくような甲高かんだかい音が聞こえた。

 

 怪物⁉ 紅衣貌ウェンナック

 

 ……じゃなくて、ただの猿だった。

 

 わたしは緊張を解いた。

 

 耳元で、ベルウッドさんの押し殺したうめき声がする。

 

 ふと気が付くと、わたしはベルウッドさんにがっちりとしがみ付いていた。

 

 思わずベルウッドさんの顔面に思い切りり手を一発。

 

 乙女の恥じらいゆえである。大目に見てほしい。

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