第五章 12 あんたのことが嫌いだからだよ。

 でも良かった。ションタクは奇跡的にどこも痛めていないようである。

 

 すさまじい衝撃でヘッドライトが割れてしまったが、必要なかった。

 

 焚火たきびで周囲が明るくなっていたのだから。

 

 ……って、焚火ではない。そりが燃えたまま突っ込んで端微塵ぱみじんになり、あちこちに燃え移ったようだ。

 

 先程の最上階とは異なり、こちらには新しそうな何かの機械に木箱に一斗いっと缶、それに鉄パイプや角材等が整然と並べ置かれている。いびつな形の空間ではあるが相当広い、れっきとした資材倉庫のようだ。一部散乱している箇所かしょがあるが、そこはそりが突っ込んだ部分だ。

 

 火が燃え広がり始めている。早く逃げなくては。

 

 わたしはなかば根性で立ち上がると、ションタクの手を取って階段を上り始めた。


 ……が、はたと足を止めた。


 人の足音が近付いてくる。追手だ。


 逃げ道はこの階段だけである。全身が痛むフラフラの状態で武器もなくては、もう勝ち目はない。

 

 わたしは引き返して辺りを見回し、奥の壁に何かを発見した。

 

 見覚えのある銀色の丸い金属。確か、狐魑魅こすだま渓谷内のアジトでも同様の物を見た。エレベーターのボタンである。


 なぜかかなり離れた位置に、人が立って乗るには小さいケージがある。単なる資材搬送はんそう用のエレベーターのようだ。これもやはり階数を示す表示板がないので、この地下倉庫と決まった階との昇降のみのためのものだろう。


 ボタンとケージの距離がやけに離れているのは、設置した際のミスだろうか? 意外と間抜け。来た時にナヒトが言った、お見苦しい箇所かしょもありますが、とは謙遜けんそんではないようだ。


 「紗希さん! 逃げ場はありませんよ!」


 近距離から聞こえる、ナヒトの脅迫をていした呼び掛け。


 破損した幾つかの一斗いっと缶から液体が流れ出している。


 この臭い……灯油⁉


 しかも木箱や角材まであるし、大火災のレシピがそろってる!


 ションタクがわたしの上着のすそを握りめた。


 こうなったら、資材搬送用のエレベーターで脱出しよう。少しかがめばわたしも乗れる。


 急いでションタクと共に乗り込み、扉を閉めてから、重大な問題に気が付いた。


 ケージ内にボタンがない! そもそも人が乗るようには作られていないのだ!


 そうこうするうちに、ナヒトと信者達が姿を現した。


 もう時間がない。ションタクだけでも脱出させよう。エレベーターの行き先がどんな状況なのかは不明だが、少なくとも今はここにとどまらせるよりはマシだろう。


 わたしはケージから飛び出して扉を閉め、襲歩しゅうほで行ってボタンを叩き押した。


 ションタクの泣き叫ぶ声とエレベーターの上がる鈍い音が響いたが、それらも徐々じょじょに遠くなっていった。


 ギリギリセーフ。……とは言っても、あとは片足を痛めているションタクが自力で逃げおおせられることを祈るばかりなのだが。


 最善は尽くしたのだから、ここから先は袋のねずみである自分自身の心配をしよう。


 熱くなってきた。灯油の燃える臭いも充満してきた。


 ナヒトは二、三回咳き込んでから、信者達に指示を出す。


 「消火をお願いします」


 彼らは応じ、元来た階段を足早に上って行った。


 消火はもちろん絶対に必要だが、人払いも兼ねているのだろう。


 彼らがこんなにあっさりと言いなりになるところを見ると、もうアポカリプスのリーダーは実質このナヒトなのかもしれない。


 「紗希さん、なぜ逃げるのです?」


 あんたのことが嫌いだからだよ。


 「私は自分自身のことをあなたに知っていただきたくて、様々なお話を致しました。次は私があなたのことを知る番です。是非ぜひ知りたいのです」


 そういうことか。訊きも頼みもしないのに、クソ面白くもないナヒトの生い立ちだの思想だの組織の事情だの、プライバシーを鬱陶うっとうしいほど語ると思えば……。


 「エレベーターで人質を外へ逃がしたのですね。でも無駄なことですよ」


 ナヒトが悠然ゆうぜんと歩み寄って来た。


 なるほど。このエレベーターは外へ通じていたのか。それなら少しは安心である。


 わたしはナヒトの動きに合わせて、できるだけ間合いを取れる位置へと足を運ぶ。


 「近いうち、紅衣貌ウェンナックを作るために、ニウア族を全員捕える予定ですから。まあ、そこまではあなたの知ったことではありません。気に病むことはないですよ」


 言われなくても、気に病むほどの精神的余裕など、今のわたしにはない。

 

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