エピローグ 3 あー良かった。悪者じゃなくて。

 すぐに目覚めた。


 灰褐色はいかっしょくの物が見えた。


 胸にあの鈍い痛みを感じる。浅い呼吸しかできず、体もだるなまりのように重い。


 何度かき込んだものの、少しずつ焦点しょうてんが合ってきて、灰褐色の物が家屋かおくの天井であることが分かった。


 「やっと気が付いたね。良かった。もう永遠に眠ったままかと思ったよ」


 ノエル先輩の安堵あんどする声。


 そちらに目を向けると、局長とベルウッドさんも一緒だった。


 わたしは寝台に横になっていて、三人はその左側に座っていた。


 局長は少し血色が良くないようだが、それでも前回よりはだいぶ元気そうだった。


 「大変だったんだぞ。局長が必死にお前さんの怪我を治して、そのままぶっ倒れたんだ」


 「わたしはもう大丈夫よ。丸一日休ませてもらったから」


 「でもまだ手が冷たいな。もう一眠りした方がいい。俺も妖狐血晶フォキシタイトの針でやられたせいで、まだ微熱がある。くっ付いて寝れば丁度いいだろ」


 ベルウッドさんはさり気なく局長の手を握る。


 局長はベルウッドさんの手を握り返してから、その手首をおもむろひねり上げた。


 「えっと、あの……わたし、どのぐらい寝てたんですか?」


 「二日半ってとこですね」


 悶絶もんぜつするベルウッドさんの後ろから答えたのは、わたしの知らない男性の声だった。 


 「幸いにもナイフは心臓かられていました。神楽坂局長が肺や骨の損傷を大方おおかた治してくださったお陰で、大量出血も途中でおさえられましたよ。輸血もしましたし、しばらく安静にしていれば良くなります」

 

 「ありがとうございます、トヘヌベシ先生」


 局長がベルウッドさんの手を放り離し、男性に丁寧ていねいにお礼を述べた。


 トヘ……??? 誰?


 「初めまして、紗希さん。私はこのソエトク村の医師、トヘヌベシと申します。コタンシュのいとこです」


 キョトンとするわたしに、トヘヌベシ医師は簡単に自己紹介をしてくれた。


 コタンシュさんのいとこ? つまりニウア族?


 医師とは言っても白衣姿ではなく、ニウア族の普段着とおぼしき服装だった。


 あー良かった。悪者じゃなくて。なんか、ですます調で話す若い男性には、反射的に拒否反応を起こしそう。


 「はい……初めまして。その……倭俱槌わぐつちの言葉、お上手ですね」


 「東河岸しのかし大学の医学部を卒業しましたので、お陰様でそれなりには……」


 うわっ、超優秀。しかも謙虚けんきょ


 ニウア族は倭俱槌人との接触は極力きょくりょくけている、とは一昔前の話なのかもしれない。個人レベルではこうして留学までしちゃっているのだから。


 わたしはノエル先輩の手を借り、ゆっくりと身を起こした。


 しっかりとした骨組みで支えられた天井、中央の囲炉裏いろりかやらしきものでできたかべ、そこに掛けられた動物の毛皮や鹿の角等を見るとニウア族らしいインテリア(?)だが、わたしが寝ている寝台や、たななどにある医療器具諸々もろもろを見ると、まさしく診療所だった。朱室しゅむろ診療所と同等の器具と薬はそなわっているだろう。


 小さな窓の外は明るく、雪深い村の様子がうかがえた。


 糖ヶ原とうがはら同様に素朴そぼくな家屋が並んでいたが、木造ではなかった。今いるこの診療所のように、屋根と壁が笹やかやで造られている。


 断熱効果があるのか、意外と温かい。火さえやさなければ、極寒の真冬でも快適に過ごせそうである。


 「あ、局長」


 ふと思いだして呼び掛けたものの、わたしはどう伝えれば良いのかあぐねてしまった。


 夢の中で……はたまたこの世とあの世の狭間はざまで軍曹と言葉を交わしたこと。


 また局長を『あいつ』とか呼んでいたが、それに関してはだまっておこう。


 「その……軍曹が……局長に、よろしく伝えてくれって、言っていたので……」


 我ながら妙な事を口走っていることに気付き、ちょっと後悔するわたし。


 「そう。ありがとう」


 局長はいぶかる様子もなく微笑ほほえんだ。親か子供か兄弟か、はたまた恋人に想いをせるような、いつくしみ深い眼差まなざしだった。


 ドアがノックされ、こちらの返事も待たずに開けられた。

 

 入ってきたのはコタンシュさんとその奥さんと見られる女性、ションタク、そしてなんと朱室しゅむろさん。

 

 「サキ! 生き返った!」

 

 コタンシュさんは涙ぐみながらわたしのそばに来て、両手をしっかりと握り締めてきた。

 

 喜んでくれるのは嬉しいけど、ちょっと痛い。

 

 「ニウアの血、もっとやる。サキ、もっと元気になる」


 あれ? すると、輸血ってニウア族の人達から? 


 倭俱槌わぐつち人のわたしのために血液を分けてくれたのだ。こんなに心優しい人達を食人族だの野蛮人だのと教えるなんて、やっぱり学校なんか絶対行かない。地理の教科書は焼却処分決定!

 

 「ところで、朱室さん、どうしてここに?」


 「昨日の朝、皆さんを迎えさぁ来たら、こん人にこごさぁ案内されました。お嬢さん、目ぇ覚めてホントがったです」

 

 「事情を説明したら、コタンシュさんが犬ぞりで狐魑魅こすだま渓谷まで走って行ってくれたんだ。まさか朱室さんを連れてくるとは思わなかったけど……」

 

 相変わらずの快闊かいかつ調子の朱室さんに続き、ノエル先輩が補足説明をしてくれた。


 毎朝でも迎えに行きますと言っていた朱室さんに無駄足を踏ませるのは申し訳ない。この村まで来てもらって正解だろう。

 

 ここから狐魑魅渓谷まで行ったとなると、岩山の向こうへ回り込んだのだろうか。遠い道のりだっただろうに、コタンシュさんとワンコ達にも感謝である。


 そう言えば、朱室さんて名前、響きがニウア語っぽいけど、もしかしたらご先祖様はニウア族だったりして。

 

 何やらションタクが母親の後ろに隠れ、もじもじしている。


 母親が微笑みながらションタクの背を軽く押した。

 

 はて? トイレにでも行きたいのかな?


 

 

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