第三章 10 ちょっと待てい。石が動くはずはない。

 「では、私はここで引き返させていただきます」

 

 「え? 一緒に来てくれないんですか?」

 

 こんな頼りない兄ちゃんでも、いなくなると一抹いちまつの心細さがある。

 

 「皆様の足手まといになってもいけませんから。私がご案内できるのはここまでです。私は村に戻って雪上車の整備を終えたら、また渓谷手前までまいります。この下で部隊が待機たいきしておりますので合流してください。帰り道も彼らが覚えております」

 

 『この下?』


 軍曹とわたしは声をそろえて訊き返す。

 

 「はい。ここからは螺旋らせん階段です」

 

 言われて足下を照らせば、確かに壁伝かべづたいに階段が続いている。

 

 周囲に灯りを向ければ、目視できる範囲はんいだけで見積もると、ここは直径約二十メートルの円筒形えんとうけいの空間のようだ。

 

 下をのぞき込んでみても、暗闇に灯りがみ込まれてしまい、そこが確認できない。

 

 地獄じごくへ通じているのではないかと思われる螺旋階段を下りて行くのは勇気がいるが、少なくとも、特殊部隊がいるのだからあの世ではないだろう。

 

 「そうか。ここまでの案内、どうもありがとう」

 

 軍曹は伊太池さんに右手を差し出した。

 

 「どうかお気を付けて」

 

 伊太池いたいけさんはわたし達と握手あくしゅ挨拶あいさつを済ませると、また元来た暗い通路へと消えていった。

 

 仕事とは言え、伊太池さんも長い道のりを行ったり来たり大変だなぁ。

 

 今度は軍曹を前に、螺旋階段を下り始めた。

 

 「特殊部隊もえらく深部まで入り込んだもんだな」

 

 軍曹が小声で改めて感嘆かんたんする。

 

 確かに、戦場の経験がないわたしでさえ驚愕きょうがくしてしまう。ここは敵のアジトのかなり奥と思われる地点なのだ。そんな危険な場所で丸一日わたし達を待っているなんて。

 

 とは言え、訓練を重ねた特殊部隊だ。十分な下調べと安全確認の末の判断だろう。

 

 外気が吹き込んでいるらしく、フオンフオンと風の音が不気味にひびいている。また寒くなってきたので、防寒着のジャケットを着た。

 

 先程の通路もそうだが、この円筒形の空間も、人の手が加わった形跡けいせきがある。おそらくは自然にできた鍾乳洞しょうにゅうどうたぐいととのえた、といったところだろう。岩をけずって作ったと見受けられるこの螺旋階段には感心だが。

 

 ここの岩肌にもやはり、深紅色のキラキラが沢山ある。

 

 それからわたし達は黙々もくもくと螺旋階段を下り続けた。

 

 途中とちゅう、数十段置きに、換気かんき用と思われる通路があった。人がかがんで通れるほどのあなだが、こんなものが幾つもあれば、外気が変な音を立てながら吹き込むのも納得である。

 

 下へ向かうにしたがって、風の吹き込むフオンフオンという怪音が大きくなってくる。音の反響はんきょう具合が変化しているのだろうか。

 

 少し疲れてきた。まったく、この螺旋階段。き飽きするほど長い。わたしの中では一生分……とまで行かなくても、半生分は下りたと思う。


 たぶん、建物の高さにして十数階はあっただろう。

 

 やっと底に辿り着いた。

 

 フオンフオンと変な音は相変あいかわらず聞こえる。まるで、猛獣か何かの息遣いきづかいのように間近まぢかから。

 

 それより、特殊部隊はどこにいるのだろう?

 

 敵のアジト内ということもあり、あまり声を出すわけにも行かない。わたし達は懐中電灯で周囲を照らしながら人の姿を探す。

 

 相変わらずの岩肌と、軍曹の姿と、巨大な深紅色の石。

 

 特殊部隊らしき姿が見当たらない。

 

 ……ん? 巨大な深紅色の……?

 

 わたしはその場所をもう一度照らす。

 

 深い深い紅色だった。その色はあの紅衣貌ウェンナック連想れんそうさせる。

 

 その石がかすかに動いた。

 

 先程から聞こえるフオンフオンという音も、どうやらその深紅色の石からはっせられているようだ。

 

 ちょっと待てい。石が動くはずはない。

 

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